hq39_1_main_img.jpg

国際会計基準にどのように対応し、持続的な企業価値創造を実現するか

  • 商学研究科准教授加賀谷哲之

2013年夏号vol.39 掲載

加賀谷哲之

加賀谷哲之

2000年、一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部専任講師、助教授を経て、2007年より現職。財務会計、IR、リスク管理、企業価値評価を専門とする。現在、経済産業省と企業活力研究所が中心となって設置している企業報告ラボ(Corporate Reporting Lab)座長、経済産業省に設置されている企業財務委員会の企業会計検討WG座長、企業活力研究所内に設置されているCSR研究会座長などを兼務している。

会計基準の国際的収れん化の過去10年

財務会計の研究にはさまざまなアプローチがあります。私はそのなかで、膨大な企業財務データ(アーカイバル・データ)をもとに、日本企業の経営実態と会計情報の属性との関係から、会計制度の改革が企業行動や競争力にどのように影響を与えるかについて研究しています。この領域で今、一番注目を浴びているのが、「国際会計基準」(International FinancialReporting Standards: IFRS)の導入に関する議論です。
国際会計基準は、単一かつ高品質な会計基準への国際的収れん化・統合化を目指し、国際会計基準委員会(IASB)によって設定された会計制度です。最初に導入を決めたのは、欧州でした。2002年、経済統合を標榜するEUが、域内で上場する企業の連結財務諸表に、2005年より国際会計基準を適用することを決定しました。さらに同年9月、アメリカの会計基準設定機関(FASB)は、国際会計基準を策定するIASBと共同で、高品質でグローバルにも活用できる会計基準の策定に向けた共同プロジェクトを設置しました。この世界二大市場の動きを無視できなくなった日本も、足並みを揃えることになりました。
会計制度をグローバルに統一しようという流れ自体は、否定すべきことではありません。しかし、どの国にも固有の経済・法制度や企業会計が存在します。各国のローカルな制度や商慣行と、国際会計基準とは果たしてうまくマッチングするのか。ここに議論の余地があります。特に欧米と異なる歴史や国民性を持った日本は、議論をしっかり行うべきでした。後ほどふれますが、元来、国際会計基準は規則主義というより、原則主義を特徴としており、見積もりや予測などを伴う会計処理に対して、企業経営者における裁量の余地が強く作用する会計基準であると解釈することが可能です。このため、そうした会計基準を経済効果に結びつけるためには、会計基準にとどまらず、それに関連した法制度(会社法、金融商品取引法、税法)や産業規制、監査やコーポレート・ガバナンスなども含めた会計制度にかかわるグランドデザインをきちんと描くことが求められます。ところが現実にはその議論は深まらず、日本基準を国際会計基準に近づけることに関心が集中しました。
EUが国際会計基準の強制適用を決定し、アメリカでも米国基準を国際会計基準と収れんさせる共同プロジェクトが進展するなかで、日本でも会計基準の国際的統合化・収れん化に向けた取り組みを進めざるを得ない状態にありました。高品質で、グローバルに単一な会計基準の開発が必要であるという目的そのものに異論を唱えることは容易ではありません。特に金融市場のグローバル化が進展するなかで、産業界・経済界よりそうした潮流に声をあげることは実質的に困難だったでしょう。このため、日本でも会計基準の国際的統合化・収れん化が急速に進展していきました。
導入から約10年が経過し、日本の企業会計と国際会計基準の差はかなり縮まりました。そして今、企業や専門家からは改めて制度の再検討が必要な時期を迎えているという意見が出ています。会計制度は、企業経営や市場など経済制度を支える基盤であり、その競争力と密接に結びついています。安易な会計基準の国際的統合化・収れん化は、企業や市場の競争力に大きな影響を与える可能性があることに多くの関係者が気付き始めたためです。国際会計基準とは何であり、日本はそれと今後どのように向き合っていくべきなのか。いよいよ本格的に吟味する段階に入ったのです。

公正価値会計と日本企業とのマッチング

国際会計基準の大きな特徴の1つとして、「公正価値会計」のプレゼンスが大きいという点があげられます。公正価値会計とは、企業の資産(または負債)を、企業が将来生み出すキャッシュ・フローをベースにした価値や市場での価値などで測定・評価する会計手法のことです。しかしこうした公正価値会計の導入は、企業経営に重大な影響を与える可能性があります。オックスフォード大学のトモ・スズキ教授は、国際会計基準が大きく依拠する公正価値会計の問題について、パーム油に対する農業会計を例に説明されています。たとえば、パーム油の農業会計を国際会計基準に基づき会計処理を行うとしましょう。取得原価主義に基づく場合、「アブラヤシの種をまいたコスト」「木を育てるコスト」「収穫にかかったコスト」などを、原則として、支出にあわせて費用計上を行う会計処理を行ってきました。それが公正価値会計を適用した場合、種をまいた時点で、「将来パーム油になったときの価値を"今"数字で示しなさい」ということになります。客観的な評価金額が入手できれば、そうした会計処理を導入する余地はあるかもしれませんが、アブラヤシが将来本当にパーム油を生み出し、キャッシュ・フローを生み出すかは、現時点では予測が困難です。こうした将来予測のウェイトが高い会計処理の導入を行うには、相当の留意が必要です。
日本にはモノづくりの文化があります。そうしたモノづくりの文化は、高い品質を維持しながら、1円、1銭のコストを節約するために、創意工夫を行う現場従業員に支えられています。しかし、公正価値会計のプレゼンスが大きくなると、その1円、1銭のコスト管理に目配りをするよりは、将来予測の修正や変更を通じた利益管理に現場従業員は注力し始めるかもしれません。その方が身を削るような努力をせずとも、利益目標の達成などが容易になるためです。多くの社員は、現場による創意工夫よりは、将来予測に関するスキルを修得することに重きを置き始めるかもしれません。しかし企業経営の実態と会計数値が乖離してしまうと、企業経営者は適切な経営管理が困難になるでしょう。価値創造や経営努力などに対する誤ったモチベーションを付与する可能性すらあります。
しわ寄せがくるのは企業だけではありません。資産・負債を評価する側の監査法人・銀行に対しては、評価ノウハウや、企業経営者と同等の知識を蓄積するための教育が不可欠になります。とりわけ日本の金融商品取引法では、継続開示書類に関する発行者の無過失責任が問われることになっています。公正価値評価による利益管理を通じて、投資家が大きな損失を被った場合、企業のみではなく、当該評価を許容した監査法人にも火の粉が飛んでいく可能性もあります。また会計数値をベースにした産業規制なども多数存在します。そうした規制の強制力・執行力という観点でも、将来予測や見積もりのプレゼンスが高い公正価値会計への対応は容易ではないでしょう。監査法人、行政、監督官庁などにそうした会計に効果的に対応するための能力の修得を促していくことが不可欠になるでしょう。
これらの整備には、大きな社会的コストがのしかかってくるでしょう。
さらに公正価値会計のプレゼンスが高くなると、業績の変動性が大きくなることが指摘されています。公正価値会計では、将来予測や市場における価値で測定・評価しなくてはなりません。そうした数値は変動性が大きくなりがちであるという研究成果が多数蓄積されています。アメリカやイギリスの場合、企業の赤字決算は決して珍しいものではありません。しかしそのなかから、アップルやグーグルのような巨額の利益や時価総額を誇る企業が出てくる。欧米には、利益がボラタイル(大きな変動が予想される場合)であっても、そのダイナミズムを受け入れる風土があるのです。一方、日本企業はどうかというと、まず赤字を出さない努力をします。黒字決算を維持しつつ、企業の中・長期的な発展をはかることで、顧客や従業員、供給業者などのステークホルダーが成長の果実を受け取ることができるように尽力することに重きを置いているのです。その結果、中・長期的な視点からのイノベーションが可能になり、そうしたイノベーションが日本企業の競争力を支えてきました。
たとえばJR東海の葛西敬之会長は社長時代、リニアモーターカーの開発に9兆円を投資しました。国や自治体からの補助を受けず、毎年3000億円近い投資を30年にわたって実施。「1時間で通勤できる"首都圏"の拡大」に精力を注ぎました。単年度・四半期の決算、投資家からの評価、こういったものに左右されない胆力が葛西会長にあったからこそできたことでしょう。多くの企業経営者は、数字や評価に敏感です。葛西会長にしても、公正価値会計が必須の制度として採用されていたら、どうしていたか。リニアモーターカーのような社会的価値・貢献度の高い開発を、30年も継続できたかはわかりません。

濃密な対話を通じたグランドデザインの設計を

国際会計基準が、日本企業の実態にそぐわない側面も見えてきました。にもかかわらず会計基準の国際的統合化・収れん化が進んできたのは、会計制度をめぐるグランドデザインをきちんと描いてこなかったことが原因であると解釈することもできます。加えて、会計規制などの意義や経済効果などについては、あまり問うことを良しとしない文化が影響している可能性があります。
日本の会計・開示規制は、他国と比べても厳しい内容になっているという事実は必ずしも十分に共有されていません。たとえば、欧州では国際会計基準の強制導入、単体開示などについては実施されていますが、四半期開示および四半期レビュー、内部統制監査報告書(J-SOX)の規制は導入されていません。一方で、アメリカでは、四半期開示や内部統制監査報告書の開示などは求められている一方、国際会計基準は強制導入されていません。また単体開示も実践されていません。日本は国際会計基準を強制導入していないものの、それとの収れん化に向けた努力はアメリカ以上に熱心に取り組んでおり、任意適用も実践しています。それに加えて、四半期開示および四半期レビュー、内部統制監査報告書の開示、単体開示などをすべて実践しています。世界的に見て、ここまで会計・開示規制を導入しているケースはそれほど多くないでしょう。そうした意義や経済効果がどのようなものかについては、今一度検討する必要があるでしょう。
国際会計基準は、公正価値会計、原則主義などを特徴とする会計基準です。また国際会計基準の導入方法についても、各国・地域ごとに共通しているわけではありません。たとえば、カナダではIFRSと米国基準の選択適用が認められています。またスイスでもIFRSと自国基準の選択適用が認められています。中国はIFRSの強制適用を実施していると主張しているものの、その会計基準書の内容はきわめてシンプルで、ボリュームもきわめて小さいものとなっています。このため、最近、積極的に取り組まれ始めている国際会計基準の導入にかかわる経済効果の研究においても、国際会計基準の導入そのものが経済効果を生み出すのではないことが明らかになりつつあります。重要なのは、国際会計基準の導入がなぜ必要なのか、仮に必要であるとした場合、それが生み出す経済効果はどのような内容か、そうした効果を生み出すために、その他の会計・開示システムをいかに変革する必要があるかなどをきちんと議論していくことです。
振り返ってみると、日本では会計・開示規制にどのように対峙し、企業や市場、ひいては経済全体の競争力を高めていくかというグランドデザインが存在していませんでした。またそうしたグランドデザインに基づく意見発信を世界に対して十分に実施できてきたとは言い難いでしょう。このため、場当たり的でかつ受け身的に海外で求められる会計・開示制度を導入せざるを得なくなったものと思います。必要なのは、企業(経営者、CFOなど)、投資家、監査法人、学識関係者、規制当局などによる濃密かつ建設的な対話に基づき、日本における会計・開示制度のグランドデザインを描くことであり、それを国内にとどまらず、広く世界に発信していくことでしょう。2012年に入り、アメリカで当初予定されていた国際会計基準の強制適用が延期され、2005年より強制適用を行っている欧州でも国際会計基準に対する批判が増大しつつあるなど、会計基準の国際的統合化・収れん化をめぐる動きも「曲がり角」にあると解釈することもできます。今こそ各ステークホルダー間の濃密な対話を通じた会計・開示規制についてのグランドデザインを設計すべき時期だと思います。私たちもそうした設計に寄与する研究成果を蓄積し、国内外に発信していく必要があるでしょう。(談)

(2013年7月 掲載)