新任のご挨拶
- 法学研究科教授小粥 太郎
2013年秋号vol.40 掲載
小粥 太郎
1988年早稲田大学法学部卒業。早稲田大学助教授、東北大学教授等を経て、2012年4月より現職。著書として、『民法の世界』(商事法務、2007年)、『民法学の行方』(商事法務、2008年)、『日本の民法学』(日本評論社、2011年)。
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2012年4月に、大学院法学研究科・法学部の民法担当教員として一橋大学に着任いたしました小粥太郎(こがゆ・たろう)です。
過日、編集部から、HQの誌面に登場すべしとの連絡を受けました。新任教員として読者のみなさまにご挨拶をしてはどうか、という編集部のご配慮によるものと考えましたので、以下では、自己紹介をかねて、私の教育や研究の一端をお伝えしようと思います。
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私は、これまで、早稲田大学、東北大学で民法を教えて参りました。一橋大学は、三つ目の勤務校になります。一昔前までは、法学系の教員が所属大学を転々とすることは、珍しいことだったように思います。しかし、2004年に各地で法科大学院が開設され、法学系の教員が人手不足気味となったせいでしょうか、教員の動きが活発になっているようにみえます。私も、そうした法学系教員市場の動きにつられて、早稲田、東北という魅力ある大学で教育研究に従事した後、一橋大学に流れ着きました。素晴らしい環境に恵まれ、教職員のみなさまには大変感謝しているところです。
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着任してからしばらくの間は、よく、一橋の学生はどうですか(早稲田、東北と違いますか)と、尋ねられました。正直なところ、違いはよくわかりません。早稲田の学生さんは、人数が多かったせいもあるでしょうけれど、様々な方面のパワーに溢れており、講義でもゼミでも活発に反応し、個性的な人物も多く、教員にとっても刺激的でした。東北大学の学生さんは、とても高い能力を内に秘めており、教壇に立ってみると、講義中は、教員自らの声と、ノートにペンを走らせる音だけが聞こえ、教員の話したことが学生たちにそのまま染み込んでいくのではないかとさえ思ったほどで、それによる緊張と責任を感じたことを思い出します。一橋の学生さんには、優秀、ソツがない、クールというイメージを持っています。早稲田、東北とは違うようですが、どう違うのかは、これからだんだんわかっていくのだろうと思っています。
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大学教員は、大学の管理・運営等に関する様々な仕事ーー教育と研究に専心しているとはいいにくいのが現状ですーーをしたり、人によっては、専門家として学外の業務ーーたとえば、講演をしたり、各種の審議会・委員会・研究会等のメンバーとして活動するーーに関与することもあります。学外の仕事から学ぶことは少なくありません。しかし、やはり中心となる仕事は、教育と研究だと思っています。学校教育法という法律によれば、大学の教授は、「専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。」とされています。学校教育法における大学教授の定義をてがかりに、もう少し自己紹介をつづけることにいたしましょう。
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まず、「専攻分野」です。専攻は民法です。民法は、市民生活の基本にかかわる法であり、法学の中では、わりあい、生活に身近ではないかと思います。その中での私の専門は、これまでの研究内容からすれば、契約法ということになりそうです。しかし、同時に、自分では、選り好みせず幅広く勉強して、他の学問領域との関係での法学の特性、法学の他分野との関係での民法(学)の特性について、一定の意見を持てるようになりたい、などと夢を見ています。関心も拡散しており、最近では、たとえば、信義則・権利濫用論、所有・共有、契約責任論、契約類型論、名誉・プライバシー、不法行為責任論、不動産登記・戸籍、相続などなどの民法プロパーのテーマに加えて、時際法、請求権競合、実体法と手続法の関係、法学(者)の役割、民法教育などの実定法総論的テーマ、あるいは、自由、責任、情報、司法、法的思考、憲法、(民)法そのもの、といった抽象的テーマにも関心を持ち、ほんの少しずつですが、文章を書き、あるいは書こうとしています。こんな調子なので、いずれの分野の勉強も中途半端で、いわゆるプレイヤーにはなれておらず、過去・現在のスターのプレーを眺めては観戦記を書いているような状況です。
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つづいて、「教育」です。民法の講義は、入門レベルを別にすると、現在の一橋大学では、法学部でも法科大学院でも、全体を四つに分割して供給されています。四分割された民法の講義とは別に、発展的な内容を扱う大学院の講義もあります。学部ゼミの内容が比較的自由にテーマを設定できるーーたとえば、今学期は、田中耕太郎(第二代最高裁長官)の著作を輪読しましたーーのに対して、講義は、カバーすべき範囲がだいたい決まっています。担当科目もほぼ毎年、変わります。そういう意味では、やらねばならない仕事をこなす感じがあり、重荷です。とはいえ、講義というイベントを通じて、一番勉強させてもらっているのが教員自身だということも確信しています。数年前に授業をしたことがある科目でも、再び予習をし、講義をすれば、あるいは受講生からの質問をきっかけに、新しいことを知り、あるいは理解が深まります。自らの誤解に気づいて反省することもしばしばです。というわけで、講義は、私にとって大変貴重な機会です。ところが、自分でそれなりに面白いと思っている民法も、これを受講生に伝えることは、容易ではありません。毎年のように同僚の授業を見せていただいたり、受講生に講義の改善提案を求めたりしていますが、暗中模索がつづいています。
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さいごに、「研究」です。授業を繰り返し、締切りに合わせてちょろちょろと雑文を書いているだけでは、研究がまとまった形をなすはずがありません。私のぼんやりとした問題関心を形にするにはどうすればよいか、どのような本を作るべきか、計画をまとめ、実行に着手したいところです。もちろん、当面は、すでに自分が取り組んでみたいと考え、お引き受けしたいくつものテーマについて、雑文を書くことをつづけることになります。それはそれで、楽しい研究なのです。しかし、これと並行して、将来の私の本にとりあげるべき項目を取捨選択しつつ、全体の構想ーー民法原論?ーーを練る必要がありそうです。つまり、全体の構想との関係で、使える手持ち原稿を拾い集め、足りないテーマを確認し、足りないテーマのうちで自分に書けそうなものを使って組み立てることができるような全体構想に調整するということです。自分にプレッシャーをかけるために、その内容での講義を引き受けるとか、出版社にお願いして雑誌連載をさせていただき、締切りのたびに編集者に鞭を入れてもらうべきかもしれません。
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自己紹介が、すっかり教育研究活動の反省のようなことになってしまいました。大学を取り巻く環境が厳しさを増す中で、私の教育研究が一橋大学の商品価値の向上に寄与できるものかどうかは甚だ心もとないところですが、微力を尽くすつもりです。どうかよろしくお願いいたします。
(2013年10月 掲載)