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現実との接点を持ち、社会現象に切り込むことによって、 数理ファイナンスの豊かな世界を味わえる

  • 経済学研究科教授石村 直之

2013年秋号vol.40 掲載

石村 直之

石村 直之

1986年東京大学理学部物理学専攻卒業後、1989年同大学理学系研究科数学専攻修士。同年東京大学理学部助手、1992年同大学大学院数理科学研究科助手、1993年博士(数理科学、東京大学)。同年Johns Hopkins大学日米数学研究所研究員、1994年Australian NationalUniversity客員研究員、1996年一橋大学経済学部助教授、1998年同大学経済学研究科助教授を経て、2005年同大学教授に就任。専門分野は数理ファイナンス、非線形科学。

数学の世界から、数理ファイナンスの世界へ。人生経験とともに味わい深くなる面白さを発見

私が本格的に数理ファイナンスを研究し始めたのは、一橋大学にきてからです。もともと専門は応用数学で、主に非線形現象論を研究していました。非線形現象論とは、思ってもいないリアクションが返ってくる、その現象を解析する学問のこと。地震や台風などの自然現象が、まさに非線形現象にあたります。
しかし17年前、ちょうど私が経済学部に赴任したタイミングで教養課程(小平分校)が廃止。新しい分野を教えようと模索していたとき、私の専門の延長線上にあり、なおかつ学生が経済学を学ぶうえで役に立つ科目は何かと、さまざまなことを考えました。そのときに、三浦良造先生(現名誉教授)から紹介されたのが、数理ファイナンスです。
数理ファイナンスとは、簡単にいえば金融工学に関する数理の学問ですね。証券・株式相場の変動予測や、損害保険料率の設定などに使われています。最近ではアクチュアリー(保険数理士・保険計理士)など、保険・年金の料率設定や商品開発、リスク管理分析、長期計画の策定などを行う資格も注目されています。日本でも、大手保険会社の経営者クラスにアクチュアリーの資格を持った人材が登用され始めました。
調べてみると、ふだん応用数学の研究で用いている偏微分方程式がこの領域でも使われていました。さらに、数理ファイナンスでは多くの数学の手法が使われています。これは教える内容としても、研究対象としても「面白い」と。私自身が数学を使って経済学ひいては社会科学を研究する、その醍醐味を学生に伝えていくことが最適だと思ったのです。そもそも本学は数学を重視している大学ですし、実際に学生の数学力も高いですね。教える相手に不足はありませんでした。
時代背景も関係していました。17年前(1996年)といえばバブル崩壊後、「失われた10年」の真っ只中です。金融工学を扱う数理ファイナンスは一気に注目を集めた後の停滞期でした。学生の興味や親和性も、今の学生たちのそれとほとんど変わりません。講義を始めた当初は、「学生のほうが数理ファイナンスに詳しいのでは......」と緊張していたのを覚えています。
数理ファイナンスを研究してみて感じたのは、なかなか味わい深い学問だということです。住宅ローンを組む、自動車保険に入る、年金の運用問題云々など、人生経験を積むとともに身近に感じるようになる、とでもいいましょうか。さまざまな社会現象が面白くなってきました。もちろん、論文などでは社会現象に直接かかわらない研究も発表しています。ただ数理ファイナンスを「ツール」として社会現象に切り込んでいくほうが、今は面白いですね。

学生には、数値を一つに絞り込むより、良質な近似値を求める態度を大切にしてほしい

先ほどもふれましたが、本学には数学の能力が高い学生がたくさん入ってきます。ふつう、中学・高校で数学が得意だった人も、大学でーーたとえば経済学部や商学部の講義などでーーより高度な数学にふれると、「数学が好き」という気持ちが萎えてしまうことが少なくありません。ところが一橋大学の学生たちは違うのです。数学が嫌いにならないまま学部に進む。素晴らしいことだと思います。
ただしバランス感覚は必要です。数理ファイナンスを学ぶ学生のなかには、あらゆる対象に数学的処理をしたがる人がいます。数学が好きだからこそ、厳密にやってしまうのでしょう。また、「ただ一つの解」の追求に傾きがちな日本の数学教育が、学生たちに影響している可能性も否めません。しかし、それはちょっと待て、と。現象面から目をそむけ、現実との接点を失ってしまったら、数理ファイナンスの世界の豊かさは味わえない。私はそう考えます。
現実との接点を、といっても、株式投資をやってほしいわけではありません。たった一つの数値に絞れないケースが、世の中にはいくらでもある。その視点を忘れないでほしいということです。たとえば、損害保険の料率設定がそうでしょう。損害保険は地震、台風などの自然災害から交通事故まで、さまざまな現象を対象にしています。そしてリスクのパターンは無数にある。リスクを限定する、あるいはどれか一つしか想定しない、ということは不可能です。
リスクは必ずあります。決して「事故が起こらない」という前提には立てない。問題は、どこまでリスクをとるか?なのです。それにはたった一つの数値ではなく、「良質な近似値」を計算すること。そして「枠でとらえる」という態度が必要なのです。Aというリスクをとったときのプラス・マイナス、Bを選んだ場合のメリット・デメリットはそれぞれ何か。損をしても、大損をしないためにはどのような行動を選択すべきか。こういったリスクをはじき出し、そのリスクをどうとるかを学ぶのが金融工学であり、そこにこそ数理ファイナンスの世界の豊かさが横たわっています。ですから私はーー自戒も込めてーー学生に「数学的処理に走りすぎるな」と伝えているのです。そもそも私自身が一つの数値を出すより、枠を決め、態度を決めることに醍醐味を感じるためでもありますが(笑)。

学部横断で数理ファイナンスを学べる、「ファイナンス研究センター」があったら面白い

私自身が研究者ですから、数学的処理に面白みを持つこと自体がいけないとは、まったく考えていません。さまざまな方程式を現象面に適用するだけでは飽き足らず、もっと深く学びたいという志向の学生がいてもいい。その思いが高じて研究者を目指すことになってもいいと思います。一方で、冒頭のアクチュアリーのように、実社会で数理ファイナンスの知見を活かす人も出てきてほしいですね。
もっとも、研究者としてでも企業人としてでもなく、生活者・一般消費者として保険に入る、ローンを組む段階で数理ファイナンスの面白さに気づくかもしれません。文字どおり「現実との接点」を持たないと、学んだことを活かすのは難しい場合もあるでしょうから。
学ぶ意欲が高く、数学を数学として扱いたい人も、私を含めてツールとして扱いたい人も、本学からたくさん輩出できているのは素晴らしいことです。その意欲に応えるには、思う存分学べる環境がもっとあってもいいですね。たとえば、経済学部、商学部という線引きを抜きにして、学部横断で運営する「ファイナンス研究センター」をつくり、マクロ経済専門の人も、金融工学専門の人も、ともに学べるような環境があったら面白いですよね。私自身は、どの学部の学生に対しても、数理ファイナンスに関して教える内容に違いはありません。ですから、まずはベースの部分を一緒に学んでもらい、さらにリサーチしたいことは個々人で追究してもらえたら楽しそうですね。そんな環境を提供できるのは、やはり一橋大学だけでしょうから。(談)

(2013年10月 掲載)