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経済とは、人々をより幸せにするための社会システム。 望ましいシステムの実現を目指す社会的選択理論と厚生経済学

  • 経済学研究科教授蓼沼 宏一

2014年春号vol.42 掲載

蓼沼 宏一

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒。1989年ロチェスター大学博士号取得(Ph.D.inEconomics)。1990年一橋大学経済学部講師、1992年助教授を経て、2000年経済学研究科教授。2011年4月~2013年3月経済学研究科長・経済学部長。1993~95年ロチェスター大学経済学部客員研究員、2004年3~5月ポー大学経済学部客員教授。専門分野:社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。著書に『Rational Choice and SocialWelfare: Theory and Applications』(Springer、2008年〈共編著〉)、『幸せのための経済学─効率と衡平の考え方』(岩波書店、2011年)などがある。

個々人の選択に基づいてなされる社会としての選択

私たちは、日々いろいろな「選択」を行っています。何を食べるか、何を着るか、今日どんな仕事をするか、といった日常の選択だけでなく、選挙で誰に投票するか、といった社会的責任としての選択もあります。選挙で投票するとき、私たちはまず、より良い社会とは何か、その実現のための政策や制度改革は何かを考えるでしょう。その上で、それを実現してくれると期待される候補者や政党に投票します。そして、人々の投票が集計されて、議員や知事が選ばれたり、政権を持つ政党が決定されたりします。さらに、選ばれた議員からなる議会では、政策や法案が審議され、多数決によって決定されます。こうして私たち一人ひとりの選択に基づいて、社会的選択ーー社会としての選択ーーがなされるのです。
私の研究分野は、このような社会的選択におけるさまざまな問題を分析し、より望ましい社会経済システムの実現を目指す「社会的選択理論」と「厚生経済学」です。
経済とは、本来、人々をより幸せにするための社会システムです。孤立して働き生活するよりも、人々が協働して生産を組織化し、その成果を分配することによって、すべての人々の厚生(幸せ)が高められるからこそ、経済システムは生まれ、維持されてきたのです。ところが、現代の経済システムは、長い歴史を経てあまりに巨大化・複雑化した上に、そのシステムの仕組みの複雑さ自体を利用して目先の利益を得ようとする主体が増えたため、その本来の目的が見失われがちです。とはいえ、経済システムには、歴史的に生成・進化してきたという側面だけでなく、政策の実施や制度改革という社会的選択によって改善が可能であるという側面があります。より望ましい社会経済システムを実現するための社会的選択のあり方を、私たち一人ひとりが考えることは大変重要なことです。

無駄を減らすべきという「効率性」の基準と格差を減らすべきという「衡平性」の基準

より望ましい社会経済システムの実現を目指して、選挙のような社会的選択に臨むとき、私たちがまず考えなければならないのは、そもそも望ましいシステムとはどのようなものか、ということです。それには、何らかの評価基準が必要です。人々の厚生を高めるという観点から、社会経済システムの評価基準を考えるのが、厚生経済学です。
政策や制度改革を評価するとき、私たちはどのようなことに注意を向けるべきでしょうか。消費税の増税、年金制度の変更、景気対策などは、どの国民の生活にも影響を及ぼします。経済は人々をより幸せにするための社会システムなのですから、これらの政策の評価は、私たち一人ひとりの状態が改善されたかどうかに懸かっています。もし政策実施後にすべての人々の状態が改善されたならば、それは社会的改善といえるでしょう。このとき、政策実施前の社会状態には、人々の厚生をさらに高める余地がありながら実現していなかったという点で資源の利用に「無駄」があったのであり、その無駄を減らすということは「効率性」の観点から望ましいことです。
しかし、一口に「全員の状態が改善された」といっても、さまざまな場合があります。一部の富裕層は大幅に利益を得たが、他の大多数はほんのわずかに状態が改善しただけであるため、格差は拡大したという場合もあれば、恵まれない人々の状態が相対的により大きく改善したという場合もあるでしょう。直観的に後者のほうが望ましいと思われても、効率性の基準では、これらのケースは区別することができません。
さらに、政策の実施や制度の改革には、互いに利害の対立する人々が含まれる場合が多々あります。たとえば、社会保険料を減らして、同時に年金給付を減額すれば、若年世代の状態は改善しますが、老年世代の状態は悪くなります。このような場合には、効率性の基準では評価を下せません。その一方で、「世代間の格差を是正すべきだ」という主張がしばしばなされます。このような主張を正当化するには、異なる世代間の生涯の厚生を比較し、それに基づいて社会状態や政策を評価する「衡平性」の基準が必要です。たとえば、老年世代の厚生が低下したとはいっても、依然として若年世代の厚生よりは高いと判断されるならば、格差を縮小するという観点からはこの政策は望ましいと判断されるでしょう。

さまざまな個人の価値判断を適正に反映させるための社会的決定のルール

世の中の人々の価値判断はさまざまです。厚生経済学は、効率性基準や衡平性基準といった、政策や制度改革を評価する軸を提示します。それでも、人々の間で判断が常に一致すると考えるのは現実的ではないでしょう。その理由の一つは、人によって重視する価値が異なる場合があるからです。たとえば、景気対策によって一部の富裕層は大幅に利益を得たが、他の大多数はわずかに状態が改善しただけであるという場合を考えましょう。効率性を評価基準とすれば、これは社会改善ですが、衡平性の基準では改悪です。どちらの価値を重視するかによって評価は異なります。
もう一つの理由は、たとえ評価基準が同じでも、人によって社会状態の認識が異なる可能性があるからです。たとえば、年金制度の改革後、依然として老年世代のほうが恵まれていると考える人もいれば、逆に若年世代のほうがより恵まれた状態になったとみる人もいるでしょう。この場合、たとえどちらの人も衡平性を重視していたとしても、制度改革に関する二人の評価は食い違うことになります。
人々の間で価値判断が対立する可能性があるとき、社会としての決定を行うためには、個々人の選択を集約するルールが必要になります。その適正なルールを考えるのが、社会的選択理論です。選挙や多数決は、その代表的なものです。
ところで、民主主義社会においては、このような社会的決定のルール自体も社会的選択の対象です。選挙制度では、小選挙区制か比例代表制かによって、民意の反映のされ方は大きく異なります。投票ルールでも、得票数の合計の大小で比較するルールだけでなく、オリンピック開催地決定のルールのように、最低得票数の候補を落として繰り返し投票を行い、最後に残ったものを勝者とするという決め方もあります。プロスポーツのMVPの選出ルールのように、各記者の評価で1位5点、2位3点、3位1点として合計点数を比較する方法もあります。他方、多数決ルールでも、過半数で可決とするか、3分の2の多数を要するかによって結果は異なります。また、議会では、議案の審議順序を決めるルールによって最終的な帰結が変わることもあります。さまざまな社会的決定のルールの長所と短所を明らかにし、適正なルールを提示することは社会的選択理論の重要な役割です。

参加主体が正直な行動をとるような社会的決定のルールづくり

個人的な選択と異なり、社会的な選択においては、もう一つ考えなければならない問題があります。それは、決定に参加する主体が、自分の利益となるように最終的な結果を誘導するために、虚偽の選択を行うことがあるという問題です。オリンピック開催地決定のIOC委員会で、各委員は、もし自分が最も評価している候補に勝ち目がないならば、次に評価している候補が勝つように投票するでしょう。国会における多数決でも、しばしば各政党が戦略的に投票するという現象が見られます。
もし参加主体が自分の本当の価値判断とは異なる選択を行うならば、最終的な結果は人々の真の評価を反映したものとはなりません。いくら社会的選択のルールが効率性や衡平性の面で優れた結果をもたらすようにデザインされていたとしても、これでは本来の目的は達成されません。したがって、このような虚偽の行動をとることが各参加主体にとって利益とはならないようなルールをつくらなければなりません。そのようなルールを見出すことも、社会的選択理論の大きな課題の一つです。
社会的選択は、しばしば社会の進む方向を決める大きな力となります。特に、これから国、地域、企業などのさまざまなレベルで社会的選択に参加する若い世代こそ、根本的な問題を理解し、確かな評価軸を持ってほしい。私は社会的選択理論と厚生経済学の研究を通して、その大切さを伝えていきたいと思います。(談)

(2014年4月 掲載)