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「実験台」と呼ばれるほど、つねに変化しつづける条約と判例。 そのダイナミズムが、EU法を研究するモチベーションになる

  • 法学研究科教授中西優美子

2014年夏号vol.43 掲載

中西優美子

中西優美子

1991年大阪外国語大学(現・大阪大学)ドイツ語学科卒業。1993年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。1998年ドイツ・ミュンスター大学法学博士号取得。2000年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程中退。同年専修大学法学部講師に就任後、同大准教授、教授を経て、2012年一橋大学大学院法学研究科教授に就任し、現在に至る。近著に『EU権限の法構造』(信山社、2013年)、『EU法』(新世社、2012年)がある。また、雑誌『自治研究』において「EU法における先決裁定手続に関する研究」を連載中。

加盟国が国家主権の一部をEUに委ねる《超国家性》という概念との出合い

私とEU法との出合いは学生時代にさかのぼります。当時はまだEU(欧州連合)ではなく、EC(欧州共同体)の時代でした。国際法の授業を受けていたとき、《超国家性》という言葉が出てきたのです。EUにおける《超国家性》とは、加盟国が国家主権の一部をEUへ委譲する、という概念のことです。つまりEU内で定められたさまざまなルールは、たとえ全加盟国が同意していなくとも、特別多数決で採択され、全加盟国に統一的に適用され、拘束力を持っているわけです。これは国際連合(UN)や東南アジア諸国連合(ASEAN)など、ほかの国際機関と明らかに違います。その出合いから20数年経ちますが、現在に至るまで《超国家性》を有するEUの権限が研究の中心になっています。《超国家性》について調べてみると、かなり早い段階で導入された概念であることがわかります。すでに1960年代には、EC(現EU)司法裁判所によって「欧州諸共同体における条約・法令は、各国の国内法に優先する」という判決が下されました。つまりドイツやフランスなど加盟国内の最高規範である憲法よりも上位にくる、ということです。
そして当時の判決は、今も生きつづけています。2014年現在ではEU加盟国は28か国にのぼりますが、国内の裁判では、EU法に抵触するいかなる国内法も適用できません。各国にはそれぞれ裁判所がありますが、いずれも「EUの裁判所」としての機能を担っています(EU条約19条1項)。つまり、EU法の統一的な適用が各国の裁判所により担保されるという、非常によくできた仕組みとなっているのです。

「平和共同体の創設」という原初の目標が、あらゆる危機を対話で乗り越える原動力に

なぜ、EU法が強い拘束力を持つことができるのか。それぞれの法律を持つ加盟国間で、どのような合意形成がなされたのか。それは、EUの母体であるECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立背景をみるとわかってきます。
ECSCは1952年に設立されました。調印した国はフランス、西ドイツ(当時)、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6か国。名前のとおり石炭と鉄鋼の共同市場創設が目的ですが、さらにその前段には「平和共同体の創設」があったのです。
第二次世界大戦後、欧州は疲弊していました。特にフランスとドイツは長いあいだ敵国として戦いつづけた結果、国内が悲惨な状態に陥っていたのです。そこで「二度と戦争を起こさない」という決意を表明するため、戦争資源だった石炭と鉄鋼を共同管理するECSCを設立。アルザス=ロレーヌ地方のストラスブールに欧州議会を置きました。ストラスブールは、ときにフランスが、ときにドイツが、自国の領土としてつねに奪い合ってきた土地。そこに議会を設置することも、ECSCが平和共同体であるという象徴の一つです。以来、1958年のEEC(欧州経済共同体)、1993年にはECとEU、そして2009年のEUのみへと器が変わり、加盟国の裾野が広がるプロセスにおいて、戦争は一度も起きていません。
もちろん、危機は何度もありました。たとえば1960年代半ば、当時のフランス大統領だったシャルル・ド・ゴールが、《超国家性》に反対してEEC閣僚理事会をボイコットしたことがあります。2000年代には、1年以上もの時間をかけて起草された「欧州憲法条約」がフランスとオランダにおける国民投票で否決されました(その後、「憲法的要素」を除いたリスボン条約が2009年12月1日に発効しましたが)。また最近では、ユーロ危機によって、援助をする国と受ける国のあいだの溝が浮き彫りになったことは周知のとおりです。
それでもEUに対する加盟国間の合意が揺らぐことはなく、どんな危機もつねに話し合いによって解決されてきました。こうして振り返ってみると、二度と戦争を起こさないという決意がいかに固かったか、改めて理解することができます。

条約の改正、判例の更新などによって、つねに変化するEU法独自のダイナミズム

EUは「実験台」と呼ばれることがあります。前項でふれたように、EUの課題はつねに加盟国間の話し合いによって解決されてきました。そのたびに条約はどんどん改正され、新しい判例も次々に出されました。
一番初めのEEC条約は、単一欧州議定書によって改正(1987年発効)され、その後マーストリヒト条約による改正(1993年発効)、アムステルダム条約による改正(1999年発効)、ニース条約による改正(2003年発効)、そしてリスボン条約による改正(2009年発効)を受け、現行の条約となっています。
改正内容を少しみていきましょう。たとえば単一欧州議定書発効後、マーストリヒト条約によって改正されたのは、まず、三本柱構造の導入です。第一の柱は経済・社会・環境政策等分野で、EC、つまり超国家的組織が担います。第二の柱は共通外交・安全保障分野、第三の柱は警察・刑事司法協力で、この二つは政府間協力組織がそれぞれ担うことになりました。そしてもう一つ、マーストリヒト条約では初めて、「欧州連合市民」という概念が導入されています。
これらの改正は、民主主義的正統性が不足していると批判される権限の行使に対する反省です。ECSC、E(E)C、そしてEUへと裾野が広がるなかで、共同体の活動が市民生活を拘束する場面が増えていきました。もともと活動面でのキーワードは「経済」だったため、「民主主義」「基本権」などに対する認識が低かったのです。そこに各国から批判が集まりました。なかでもドイツは痛烈な批判を浴びせてきました。こうして単一欧州議定書以来の条約は改正され、より民主的で、基本権を重視したマーストリヒト条約が批准されました。さらに、一番新しいリスボン条約では「EU基本権憲章」が拘束力を持つことが明文化され、EUは基本権カタログを持つようになっています。
以上のような変化のプロセスを調べていくと、実はEUは何事もトライ&エラーのスタンスで運営されていることがわかります。つねに変化しつづけており、むしろ最初から完璧なものをつくろうとしていない、と言ってもいいかもしれません。そのダイナミズムにこそ、EU法を研究する面白さがあります。

教育・研究機関、国内・国際行政機関、そして民間企業。あらゆる分野でEU法の知見は必要とされていく

EU法はこれからも変化していくでしょう。私自身はその変化にキャッチアップするために、英語・ドイツ語・フランス語で判例や論文を読み、だいたい2か月に1回のペースで判例研究を書いています。ゼミでもEU司法裁判所の判例を原文(英語)で読むということを取り入れています。
今後、EU法の研究者・専門家はさまざまな分野で必要とされるはずです。私個人としては、大学などの教育機関や研究機関で活躍するような研究者を育成したいと考えています。しかし活躍の場は教育・研究機関にとどまりません。EUもしくは加盟国と条約を結ぶ官公庁といった行政機関あるいはEUと関係を有する国際機関、EU域内に製品を輸出しているあるいは進出を検討しているような民間企業、さらにそのような民間企業を支える国際弁護士事務所等。いずれにも、EU法についてしっかり理解している人材が必要です。教育、行政、企業、弁護士事務所等、どの分野においても、EU法を学んだ一橋生が活躍できるように、専門教育をしっかりやっていきたいと考えています。
この4月からは2013年度に開設された大学院法学研究科の副専攻である、EU研究共同プログラム(HQ39号2013年夏号参照)のホームページをリニューアルし、EUワークショップの先生方、院生の皆さんにブログで発信していただくようにしました。また、一橋大学、慶應義塾大学及び津田塾大学のコンソーシアムである、EUSI(EU Studies Institute in Tokyo)の執行委員としても、微力ながらも日本におけるEU法研究の発展に貢献できたらと考えています。1人でも多くの方に、EUやEU法に興味を持っていただけたらーー。そう願っています(松の木が見えるお気に入りの研究室より)。(談)

(2014年7月 掲載)