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著作権法の国際比較研究を通じてあるべき社会の姿に思いをめぐらせる

  • 法学研究科教授長塚 真琴

2015年春号vol.46 掲載

長塚真琴

長塚真琴

1991年一橋大学法学部卒業、1996年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。1996~2003年小樽商科大学商学部企業法学科にて助教授を務める。2001~2002年フランスのポワティエ大学法的国際協力研究センター客員研究員となる。2003~2014年獨協大学法学部にて准教授を務め、2011~2012年フランスのリヨン高等師範学校東アジア研究所客員研究員となる。2014年4月より一橋大学大学院法学研究科教授、知的財産権法担当。

著作権法は知的財産権法の重要な一分野である

写真1:RITZパッケージ/写真2:FITAパッケージ

左:写真1 右:写真2

まず、ここにある二つの商品パッケージを見比べてみてください。誰もが多かれ少なかれ「似ている」と思うでしょう。写真1は有名なYN社の「RITZ(リッツ)」というクラッカーで、写真2はフィリピン製の類似製品です。10年ぐらい前に近所の店で見つけて、教材として買いました。しかし、なかには本当に「RITZ」と勘違いして買う人もいるかもしれません。そのことは、このパッケージでブランドイメージを確立しているYN社にしてみれば、類似製品が「RITZ」のブランドイメージを不当に利用して利益を得ていると受け止めても仕方がないところでしょう。YN社は、品質管理や宣伝広告によって、不正競争防止法上の保護を受ける権利を持っています。また、商標を登録することによって商標権も持っています。これらの権利を知的財産権といいます。YN社側は、この権利に基づいて、類似製品の販売差止や損害賠償を請求する訴えを日本で起こすことができます。そうなると、類似製品側は「箱全体の赤色は一番目立つ色だから」「商品名の共通点はIとTの2文字だけだし、青地に黄色い文字の組み合わせは、これが一番効果的な組み合わせだから」「クラッカーの7つの穴には製造上の必然的合理性がある」など、わざと似せたわけではなく、両者は区別がつくという主張をして応戦するでしょう。実際は裁判にならないまま、類似製品はいつしか売られなくなりました。しかし、裁判で争っていたら、違う結論が出ていたかもしれません。知的財産権の世界では、このような独占と公有(パブリックドメイン)の線引きがつねに問題とされますが、それがこの法律分野の面白いところであり、研究のしどころでもあると思っています。
知的財産権に関する法律は、特許法や商標法、不正競争防止法などの産業財産権法と、著作権法とに大別されます。私の専門は日本とフランスの著作権法の比較研究で、2014年4月に、一橋大学の国立キャンパスで初の、知的財産権法の教員として着任しました。フランスの著作権法には「著作物が公表された後は、著作者はパロディ、パスティーシュ(模作)、カリカチュール(戯画)を禁止できない」と書かれており、著作物をそうした形式で批判・風刺することを擁護する独特の文化があります。その背景には、「権力を持つ者は民衆の批判を甘んじて受けるだけの度量がなければならない」といった思想があるようです。このように、同じ著作権法であっても国によって違う条文や判例を比較研究し、それがどのように形成されてきたかを研究することで、それぞれの国の社会や文化の在り方をもとらえることができます。
また、著作物とはそもそも国際的なものです。外国の文芸作品は翻訳を通じて、画像や映像などはそのものだけで、どんな国でも鑑賞されます。そして、インターネットの普及により、一つの著作物がボーダーレスに浸透する度合いやスピードは劇的に高まりました。そうした環境のなかで、欧州を中心に、著作権は、個人の著作物を守ることで多様な著作者の経済的自立を支援し、ひいては文化の多様性を守る重要な役割を持つという考えが生まれてきています。

著作権をめぐる自由利用拡大論と規制強化論の対立

インターネット上では今、著作権をめぐり「著作物をもっと自由に使えるようにすべき」という意見と、「著作権の及ぶ範囲を拡大し、違反者に対する制裁も強化すべき」という意見の、大きく分けて二つの意見がぶつかり合っています。意見がぶつかるのはいいことですが、片方の論に与くみして、著作権の保護をどんどん広げて違反者を片っ端から罰するなどということになると、社会に大きな悪影響を及ぼすと思っています。そこで、この1年間の講義やゼミでは、著作権にまつわる最新の論争についても取り上げてきました。一つの事例で説明します。
『ハイスコアガール』という、コミックアワードも受賞した人気マンガがあります。ゲーム好きの青少年たちのラブコメディなのですが、作中の一部のコマに、いくつかのゲームの実際の画面が描かれています。実際のゲームはもちろんカラーの動画ですが、マンガはモノクロの静止画です。こうした利用方法の場合、法律の条文やその解釈からはマンガ側は無許諾でも一応問題はないともいえるのですが、いくつかの点について学説対立もあり、完全にシロ、といえるわけではありません。そこでマンガ側は念のためゲーム側に許諾を求めたのですが、どうしても同意しないゲーム会社が一つあり、見切り発車で連載を続けました。すると今度はマンガ側にアニメ化の話が持ち上がります。アニメとなると、カラーになって動きも出てきます。そのゲーム会社は黙って見過ごすわけにはいかないと、いきなり刑事告発し、マンガは休載に追い込まれました。このようなやり方には、先ごろ一部の著作権法学者が異を唱える共同声明を発表しました。私はこれまでも、自分で考えて正しいと思う声明には名前と肩書を出してきましたが、この声明にも賛同しました。
なぜならば、著作権を楯に多様な言論が封じられる恐れがあるからです。たとえば、ある政治家の著書を風刺するパロディ作品に対して、著作権法違反を理由に告発し強制捜査、といった動きにつながらないとも限りません。『ハイスコアガール』問題の背後にあるのは、企業間の利益をめぐるかけひきにすぎませんが、刑事告発という武器を権力が手にしたらどうなるでしょうか。著作権法を専門とする学者として、著作権が言論弾圧の手段に使われたり、言論委縮の原因になったりすることだけは、阻止したいという思いがあるのです。『ハイスコアガール』の場合のように、既存の作品を使ってはいるが新たな創作でもあるといえる作品が、いきなり刑事事件になるとすると、踏み込んだ表現をする作者は、発表の場をなくしていくでしょう。それが繰り返されると、非常に窮屈な社会となってしまう危険があると思います。
著作権法は、資本や権力を持つ側の権利を守る法律とも取られていますが、私としては、特権的ではない個人が、自らの才能で作品を著したり演じたりして、生計を立てていけるようにするための法律であるべきと思っています。著作権は、これからの社会のあるべき姿を考える際に、外せない論点となっています。

実社会で役立つのは生身の人間同士の触れ合い

講義では、現代の日本における特許法や著作権法の解釈と立法について話しています。履修した学生が世の中を知的財産権の切り口で見て、そのことを、いろいろな分野を幅広く知る契機にしてほしいと考えています。たとえば、ある特許製品をめぐる争いを取り上げる場合、法律だけでなく、争いの対象となっている技術についてまで、できる範囲で理解することを求めています。ゼミでは、決まった「正解」はないことを前提に、今まで生きてきた過程で経験したことや、興味を持ったことを、知的財産権法上の論点と結びつけて、学生なりにオリジナルな卒論にまとめさせます。もちろん、その過程で手抜きやごまかしが見つかったら、私やゼミの大学院生は遠慮なく叩きます。しかし、ゼミが終わったら温かくフォローします。また、学生が話すのを待って、ゼミや勉強のことに限らず、いろいろと話をしています。恥ずかしい思いもしながら、生身の人間同士が触れ合う経験は、実社会で必ず役立つと考えています。(談)

(2015年4月 掲載)