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企業レベルのデータ分析が政策にもたらす可能性を探る

  • 経済研究所教授植杉威一郎

2015年夏号vol.47 掲載

植杉威一郎

植杉威一郎

1993年東京大学経済学部経済学科卒業後、通商産業省(現:経済産業省)に入省し、産業政策局調査課課長補佐、(独)経済産業研究所研究員、中小企業庁調査室課長補佐、一橋大学経済研究所への出向などを経て、2011年より一橋大学経済研究所准教授、2015年4月より同研究所教授、現在に至る。1997年米国カリフォルニア大学サンディエゴ校経済学博士課程入学、2000年同課程修了、Ph.D.(博士)取得。専門分野は、金融論、中小企業、日本経済。

経済政策の効果を正確に把握するにはミクロの視点が重要になる

私は個別企業のデータを用いた企業金融や企業行動の実証分析を行っています。既に豊富な先行研究の蓄積がある上場企業・大企業ではなく、これまでなかなか分析が進んでこなかった非上場企業・中小企業が主な研究対象です。バブル崩壊・リーマンショックなどに端を発する金融危機や大震災などの大きなショックが、金融機関との関係を通じて企業にどのような影響を及ぼすか、ショックを和らげるために発動される政策にはどのような効果があるのかといった点を調査・研究しています。さらに、最近2年間は、こうした金融や企業行動の課題を明らかにするうえで重要な役割を果たす不動産市場に注目し、不動産市場と金融危機・経済成長との連関を明らかにする大規模な研究プロジェクトを立ち上げています。これについては後ほど改めて触れましょう。
私はもともと通商産業省(現在の経済産業省)の出身で、最初はマクロ経済情勢の把握や経済対策の取りまとめを行う産業政策局調査課に配属されました。入省当時の1993年はバブルが崩壊した頃。さまざまな景気刺激策が講じられ、大規模な財政出動・金融緩和が続きました。その次に配属されたのが全く毛色の異なる資源エネルギー庁石炭部というところです。当時は、残っていた3つの国内炭鉱のうち最大の三井三池が閉山するなど構造調整の最終局面にあり、閉山してゆく企業や昔石炭を採掘していた地域との関係などミクロの対応が日々の仕事でした。これらのマクロとミクロの仕事の両方を経験するうちに、マクロ経済を理解するうえでのミクロの視点の重要性を理解するようになっていった気がします。
経済政策の策定・実施にはマクロの視点が欠かせません。しかし実際の効果を正確に測るには、個別の企業に注目してその属性や行動を把握する必要があります。言い換えると、個別企業のデータを分析することで、経済政策が企業行動やパフォーマンスにどのような影響を与えるか、その結果経済全体がどちらの方向に変化するかが見えてくるというわけです。非常に面白いテーマだと思いました。その後、私は経済産業研究所に出向し、本格的にミクロデータを用いた調査・研究に関わることになったのです。

さまざまな手段を利用して非上場企業・中小企業の実態をデータベース化

個別企業のデータといっても、どこかにストックされていたわけではありません。上場企業は、株主や投資家向けに財務情報などを開示していますが、中小企業が多い非上場企業ではそうした開示義務はありません。バブル崩壊前まで日本経済は右肩上がりで、中小企業も含めて利益率は平均的に高く、当時全国に500万社あるとされていた企業の中でどこが好調・不調か、どこが資金繰りに苦しんでいるか、政策にはどのような効果があるのかというデータをまとめる必要性も、経済学的知見でそれを分析する専門家の必要性も、顧みられることが少なかったのです。しかし状況は徐々に変わりました。過去に講じられた政策の効果をデータに基づいて検証する需要が生まれてきたのです。典型的な例が、バブル崩壊の不良債権問題が深刻化し、日本経済が奈落の底に落ちかけた1998年に創設された「中小企業金融安定化特別保証制度」の効果に係る検証です。これは政府の肝いりで総額30兆円の規模で導入された大規模な保証制度ですが、審査基準が緩く、モラルハザードを起こす企業が続出しました。実質的に倒産しているにもかかわらず特別保証制度でお金を借りるというケースが多いとも報道されていました。
私が、こうした状況の中で企業レベルのデータを用いて特別保証制度の効果に関する検証をしたところ、経済学者、金融の実務家、政策担当者などさまざまな層に興味を持ってもらうことができました。「金融」や「中小企業」をキーワードに、個別企業のデータを用いた定量的な分析を行うことで、社会の役に立つ調査・研究ができるのではないかと感じた瞬間です。
私が経済産業研究所に出向した2002年秋頃は、まさに非上場企業・中小企業を中心に企業全体の実態を知りたいという需要に、さまざまなデータベースを整備することで応える取り組みが始まった時期でした。政府統計の個票利用以外に進められてきた具体的な例を3つご紹介します。第1は、中小企業庁が中心となって、各地にある信用保証協会に蓄積されていた数百万件に及ぶ膨大な中小企業の財務情報を1か所に集め、それをデータベース化する試みです。これはCRD(Credit Risk Database)と呼ばれ、今日に至るまで着々とデータの蓄積が進み、中小企業の信用リスクを計測する有力なツールとして定着しています。第2は、中小企業白書を作成する際に実施される企業や金融機関向けのアンケート調査です。回答企業が日本企業全体をどのように代表しているかという点はつねに問題なのですが、こうした調査は、財務諸表にはない定性的な情報、資金調達を行いたい企業に対する金融機関の態度、企業と金融機関の間における取引内容、政策の利用の有無といった点に関する貴重なデータを含んでいます。私が行った特別保証制度に関する分析もこの企業向けアンケート調査が基になりました。第3は、民間の信用調査会社が有する大規模な企業レベルのデータです。日本にはこうした信用調査会社が2社存在しており、それぞれが100万社を超える企業に関する情報を多年度にわたって蓄積しています。彼らのデータベースの他国の同種企業にもない特徴は、企業間の取引関係や企業-銀行関係についての網羅的な情報が存在する点です。こうした情報を集積すると、日本全体における企業間の取引関係ネットワークを作成したうえで、ネットワーク上で生じたショックがどのように他の企業に伝播するか、金融機関はどのような場合にその伝播を止めたいという動機を持つかという点を明らかにすることができます。
重要なことは、企業の実態を正確に反映したデータ、経済全体を代表するデータを入手・蓄積する努力を続けることです。幸いなことに、私たちのやってきたことに興味を持ち、分析のためのデータを提供してくれるところが存在します。たとえば、政府系金融機関の一つに日本政策金融公庫があります。こうした金融機関による貸出は、先ほど申し上げた信用保証制度と並ぶ中小企業向けの資金供給のための政策手段として重要な役割を占めています。この日本政策金融公庫の中小企業を担当する部門が、最近3年間ほど、我々経済学者に匿名化された個別の貸出契約データを提供しています。この貸出契約データを見ると、企業の財務諸表やアンケート調査では分からない政策の効果を、正確に特定することが可能になります。

不動産市場と貸出市場との関連を分析しマクロ・プルーデンス政策の有効性に関する議論を提起

冒頭で触れたように、私はこの2年間ほど、不動産市場と金融危機及び経済成長の連関について研究するプロジェクトを運営しています。企業金融について研究していると、不動産と金融とは切っても切れない関係にあることに気づきます。不動産価格が上がると不動産を担保にした資金調達を行いやすくなり、調達された資金が投資されることにより経済活動が活発化してさらに不動産価格が上昇するといった相互連関があるためです。この連関は、不動産市場の変調をきっかけにした金融危機も生み出します。1990年代以降の日本や2008年秋のリーマンショックを契機とした米国・欧州は、不動産市場における負のショックが実体経済の低迷を生み出した典型的な例です。不動産市場を考えることは、経済全体について研究するうえで非常に重要と言えます。
その連関を考えるうえでの有力な手がかりとなるプロジェクトの研究成果を紹介します。土地の担保価値に応じて、金融機関が実際にどの程度の貸出を行ってきたかという点についての分析です。私たちは、企業や代表者が保有する不動産に関する40万件に及ぶ登記情報を基にして、(銀行が貸し出す金額)/(担保である不動産の価値)の比率、すなわちLoan-to-value(LTV)比率を、日本におけるバブル期を含む過去30年間にわたって計算しました。これまで一般に言われてきたのは、不動産価格が上昇するような時期には、銀行の貸出態度も大幅に緩むから、LTV比率は好況期に上昇して不況期に下落するのではないか、すなわちLTV比率は経済の変動に順相関(pro-cyclical)しているのではないかという見方でした。ところが驚くことに、私たちが得た結果は、LTV比率は景気や不動産価格が上昇する局面では低下し景気や不動産価格が下落する局面では上昇するという、逆相関(counter-cyclical)というものでした。景気上昇局面では担保となる不動産価格の上昇が激しいため、貸出額がそれに追いつかないというのが、これまでの日本で起きていたことです。
この発見は、金融システムに対する政策のあり方にとっても重要な含意を持っています。近年、個別の銀行の健全性ではなく、金融システム全体のリスクの状況を分析・評価し、それに基づき政策対応を図ることを通じて、金融システム全体の安定を確保するというマクロ・プルーデンス政策が注目されています。その一つの重要なやり方が、このLTV比率に上限を設定し、上限を超えるような貸出に制約を設け、貸出市場の過熱を防ごうというものです。しかしながら、私たちの実証結果に基づくと、好況期にはLTV比率自体が低下するために、LTV比率に上限を設定する意味がなくなってしまいます。LTV比率に注目したマクロ・プルーデンス政策には意義はありますが、それに固定的な上限を設定しても不動産市場の過熱を防ぐ効果は限定的であり、不動産市場の状況に応じた可変的な上限を設定することが必要といった議論ができると思います。このような実務的な含意を持つ今回の研究は、全米ファイナンス学会、シカゴ連邦準備銀行やECB(欧州中央銀行)でも発表することができました。

企業の土地投資行動をそれ以外の設備投資行動と比較することを通じて、不動産が企業行動に与える影響を解明したい

今後はさらに不動産価格と実体経済との連関についての分析を進めていきます。特に今関心を持っているのは、不動産の中で土地が果たす役割です。昔に比べると国全体の資産に占める土地資産の比率は低下傾向にあります。同じ面積の土地に、より容積率の高い建物ができ、効果的な農作物の栽培方法の確立でより多くの収穫が得られるようになったことを考えれば土地の役割の縮小は当然のように思われます。しかしながら、依然として、不動産価格の変動の大部分は土地価格の変動であり、集積の経済に示されるように所在する場所によっては土地が非常に高い価値を有します。こうした問題を突き詰めていくと、企業は土地をどのような動機で需要するのか、金融機関は土地をそれ以外の資産との比較でどのように評価するのかが重要です。私は、土地の売買とそれ以外の資産の売買をデータに基づいて比較することを通じて、また、売買の裏側にある企業や家計の土地需要や供給の動機を考えることを通じて、土地ひいては不動産が経済活動に持つ意味を明らかにできるのではないかと考えています。
前回のバブル生成と崩壊の過程では、私たちは不動産市場の変調に適切に対応することができず、日本経済の長期低迷を招きました。現在、不動産市場におけるミニバブルの指摘もある中で、同じような失敗を繰り返さないためにも、不動産市場と実体経済との連関の正確な理解が欠かせない。そのためにも、研究を続けていきたいと考えています。(談)

(2015年7月 掲載)