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企業経営者の良識=「グッドフェイス」が裁判の争点となる時代へ

  • 法学研究科教授酒井太郎

2015年秋号vol.48 掲載

酒井太郎

酒井太郎

1990年一橋大学法学部卒業、1995年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。1996~2004年熊本大学法学部助教授、1997~2004年税務大学校熊本研修所非常勤講師、1999~2000年米国スタンフォード大学ロースクール客員研究員、2000~2001年米国カリフォルニア大学バークレー校ロースクール客員研究員。2004年一橋大学大学院法学研究科助教授、2007年一橋大学大学院法学研究科准教授を経て、2013年より一橋大学大学院法学研究科教授。

先進資本主義国が経済政策の基盤として相互に優れた制度を導入し合う「会社法」

私の研究対象である会社法は、「会社の組織と運営方法に関する規範と、それら規範の実効性を確保するための諸規定を集積した法律である」と定義づけられます。しかし、条文は膨大かつ断片的で、目的や機能がはっきり見えてきません。学説や判例で個別の制度を説明できても、体系的にとらえにくい、全体像がつかみにくいという指摘もあります。
たしかに、私自身もある時期までは、「会社法の深い森に入りこんでしまった......!」という不安を拭ぬぐえませんでした。今のように教える側として人に説明したり、さまざまな論文にまとめたりするために偏りなく学ぶことで、会社法の全体像をつかめたと感じています。
そのような法律ですから、この場で簡単に表現することも難しいところです。が、冒頭の定義をもう少し具体的にいうなら、「企業の継続を図り、より多くの利益を獲得し、利害関係者(ステークホルダー)の不満を緩和・解消するために役立つ法律」となるでしょう。
そしてこのような会社法の考え方は、先進資本主義国の間では基本的に変わりません。いずれの国家も会社法を経済政策の重要な基盤としてとらえ、企業活動の自由・自治を保障しています。そしてある国で会社法の優れた制度が生まれれば、すぐに別の国でも導入が進む。現在の日本もアメリカの最新の制度を導入するなど、外国の制度をどんどん採り入れながら変化していく点は、会社法の大きな特徴といえるでしょう。
導入後、当初の意図通りに定着し機能するかどうかは、周辺の制度環境ーー税制、労働法制、裁判制度その他ーーや国民のメンタリティによって異なります。考え方が同じなのに運用面では必ずしも一致しない、ということも会社法の特徴です。

財産を託す投資家と託される企業経営者の新しい関係を象徴する「グッドフェイス」という論点

会社法を研究するうえで、私は外国の研究者との交流を通じ、第三者的な視点から問題の根本を抽出するという手法をとっています。そこで最近注目しているのは、アメリカの会社法学における「グッドフェイス(good faith)」という論点です。「グッドフェイス」に関する判例や考察から、今後の日本企業の経営のあり方や、法務担当者が担うべき課題が見えてきます。順を追って説明しましょう。「グッドフェイス」とは、企業経営にたずさわる取締役などの職務執行について、法的に求められる適切な動機・認識のことです。企業は株主から付託された資金(財産)を正しく維持・管理し、利益を増やして還元(配当)することが求められています。その前提にあるのは、「財産を託された側は、託した側に報いるために積極的に4行動しなければならない」という忠実義務(duty of loyalty)の発想です。そして、結果(業績)は究極的には神のみぞ知る領域だとしても、そのプロセスにおいて可能なかぎりの労力を注ごうとする良識、これが「グッドフェイス」です。
かつては、利益増進のために取締役自身が相当の労力を注いだかどうかを問われることは稀まれでした。経営とは、基本的に取締役をはじめとする経営者の才覚やカリスマ性に関わる問題で、経営者の自由な判断に委ねられていたからです。会社に対する利益相反がないかぎり、「良識に基づいて行動しているであろう」という信頼を寄せざるを得ない。それが株主など外部者の一般的な認識でした。しかし時代は変わり、財産を託される側も、託す側も変化しました。
まず財産を託される側=企業は、経営案件の専門性が増すにつれ、チームで議論したうえで経営判断を行うケースが増えました。取締役が本人の才覚やカリスマ性を発揮して「A案で行こう!」と決めるのではなく、財務、法務、経営学の専門家から意見を集め、総合的に判断する仕組みです。そこでは経営判断のプロセスが手順化・マニュアル化されているため、重大な過誤はあまり生じないでしょう。その代わり、取締役が「事なかれ」的な判断をする傾向が顕著になってきています。「顧問弁護士や会計士からOKをもらい、しかるべき手順を踏んで経営判断をした。だから自分は取締役として責任を果たした。したがって結果もついてくるであろう」と満足してしまうのです。
ここで問題になるのは、結果に対して確信を持っていないことではなく、経営判断を行ったプロセスに対して確信を持っていないことです。つまり「グッドフェイスを欠いた行為」といえます。
もう一方の託す側、つまり株主などに代表される投資家も変わってきています。右肩上がりの成長を続ける、有望な企業の母数は減りました。かつての大企業、名門企業も経営が火の車、ということは珍しくありません。新しい投資先が見つかりにくい現状では、せめて今ある投資先がつぶれないようにしなければならない。託しているだけでいいのかーー。今行っている投資を減らさないことに、強い関心を持つようになったのです。
投資先の業績が悪化した場合には、株主総会などで「何をやっていたのか?」と叱責し、取締役らにいっそうの奮起をうながす。不祥事があればすぐに訴訟を起こす、というように。そこで問われるのが、取締役の「グッドフェイス」なのです。

法律に関する幅広い知識と柔軟さを兼ね備えた人材が企業の取引活動の中で活躍することに期待

すでにアメリカでは、取締役らが「グッドフェイス」に基づいて経営判断を行ったか?という裁判が多数起こされています。
結論からいえば、「グッドフェイス」を具体的な法的義務にまで高め、取締役に損害賠償などのペナルティを科した判例はありません。経営判断のプロセスに安易に依存しない、取締役自身の批判的な思考が必要とはされています。しかし現段階では「グッドフェイス」の定義づけは難しく、そのためにアメリカの会社法学における議論も停滞ぎみのところがあります。
ではまったく意味がないかといえば違います。業績が下がったり不祥事が起こったりすれば、取締役は株主や世間の批判の矢面に立たされるだけではなく、裁判にまで引っぱり出されてしまう。経営判断のプロセスが、あぶり出されてしまう。つまり企業への「警告」として、十分に機能を果たしていると考えられます。
先進国間で会社法を導入し合っているように、裁判で「グッドフェイス」を問う手法も、今後日本に上陸するかもしれません。そこで重要になってくるのが、企業の法務担当です。
単に法務担当としてマニュアル化された経営判断に参加するのではありません。企業や経営者を相手取った裁判について、世界のトレンドをつかみ、経営陣に対策を進言する。「グッドフェイス」という論点や、「グッドフェイス」を問う裁判についても、もちろん把握している。そんな法律の専門家が、今後は必要になってくるはずです。
では、そのような人材はどこから調達するのか。法曹有資格者であるかどうかは、この場合にはあまり問題にならないと思います。法科大学院で偏りのない知識を身につけ、柔軟な姿勢で取り組める。そんな人材を法務部門に抱える企業は、きっと足腰が強く、訴えられても狼狽することはないでしょう。
幅広い法律の知識を備えた人材が、企業の取引活動の中で活躍することが、今ほど求められている時代はないのではないでしょうか。(談)

(2015年10月 掲載)