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「労使自治の原則」が日本の労働市場にもたらしたもの

  • 経済研究所教授神林 龍

2018年春号vol.58 掲載

神林 龍

神林 龍

経済研究所教授。1994年東京大学経済学部経済学科卒。2000年同大大学院経済学研究科博士課程修了。専門分野は労働経済学。2001〜2003年米国スタンフォード大学客員研究員を経て、2005年一橋大学経済研究所助教授に就任。2006〜2007年米国イェール大学客員研究員、2007〜2015年一橋大学経済研究所日本・アジア経済研究部門准教授。2010〜2012年OECD(経済協力開発機構)コンサルタント。2015年より一橋大学経済研究所経済制度・経済政策研究部門教授。主な著書に『正規の世界・非正規の世界──現代日本労働経済学の基本問題』(慶應義塾大学出版会、2017年)、『日本の外国人労働力』(共著、日本経済新聞出版社、2009年)、『解雇規制の法と経済』(編著、日本評論社、2008年)などがある。

私たちは日本の労働市場をどこまで知っているか

私は労働経済学を専門としていて、主に実証的研究に携わってきました。最近取り上げているトピックスとしては、解雇法制やハローワークのマッチングの効率性などといったところが挙げられるでしょうか。
昨年11月に出版したばかりの『正規の世界・非正規の世界──現代日本労働経済学の基本問題』では、日本の労働市場の成立に関わる歴史を題材に、労働市場における仲介機能=職業紹介について両大戦間の民間職業紹介のあり方と公営職業紹介の発展のプロセスから説き起こして、一気に近年の労働市場全体の描写を試みました。
なぜそのようなチャレンジをしたかというと、私たちは自国の労働市場についてあまりよく知らないのではないか?と思ったからです。「働き方改革」が声高に叫ばれる中、労働契約期間の上限、最低賃金、労働時間の最長時間など、個別の制度設計については、たくさんの議論がなされています。しかし日本の労働市場の将来像となると、どうでしょうか? 個別の論点の延長線上にあるものとして片づけられているように思えます。

派遣労働者は労働市場の問題の象徴とは言えない

その好例が労働者派遣法をめぐる議論です。派遣法は、1996年以降の段階的な規制緩和により、かつて原則違法だったのが、最終的には原則合法と反転することになりました。原則をひっくり返す変更だったので、労働市場における規制緩和の象徴として賛否両論が巻き起こり、「派遣切り」「派遣村」などのセンセーショナルな言葉も飛び交いました。
しかし実際の派遣労働者の数は、大多数を占めていたわけではありません。派遣法がもっとも緩和された2007年度であっても約381万人で、現在では半減しています。同時期の、被用者(労働契約に基づいて労働に従事し、雇用主から賃金を受け取る人)約6400万人の1割にも満たない数字です。少なくとも量的には、「派遣労働者が労働市場の問題を集約する象徴である」とは、とても言えません。また、大学新卒者、定年退職者、外国人労働者など、いろいろ議論されてきましたが、すべて100万人単位の集団にすぎませんでした。労働研究は、こうした少数派を個別に扱ってきたわけです。
そうなると、山積する少数派の問題が、どう全体を構成するかを考えなければいけないわけですが、特に1990年代以降の労働市場をめぐる議論は、部分と全体が整理されずに進んでしまいました。その結果、私たちは、日本の労働市場について「実はあまりよく知らない」という状態に置かれてしまった、それが、私が本で大風呂敷を広げた理由です。

日本的雇用慣行を支える「労使自治の原則」

このアプローチが特に力を発揮したのが、非正社員の増加の背景を探った場面でした。「非正規社員の増加」という現象は、日本的雇用慣行の崩壊の裏返しとして語られてきました。つまり正規と非正規はネガ・ポジの関係として、表裏一体で揺れ動いてきたと一般的にはとらえられています。ところが、1980年代から日本の労働市場の統計を使って全体的に観察し、分けても長期雇用慣行の推移を概観してみると、その一般的な感覚とは異なる結果が得られます。
つまり、正社員の長期雇用慣行は、少なくとも分析の対象とした2000年代初頭までは温存されていた、という結果です。さらに特筆すべきは、正社員のシェアも減っていないことです。非正社員の人数は増えましたが、そのぶんシェアを減らしたのは正社員ではなく自営業者であることが分かったのです。自営業者のシェアが減った理由については残念ながら不明です。が、1980年代以降、日本の労働市場では正規・非正規を含めた「被用者の増加」と「自営業者の減少」が一貫して進んでいた、ということは確実に言えます。
そしてその背景には、「労使自治の原則」という制度的規範の根強い存在があると考えています。明治維新後の産業革命期から、第二次世界大戦で戦時統制経済が敷かれるまでの長い間、日本の労働市場はほとんど政府による介入を受けていません。文字どおり自由な労働市場だったのです。政府による数少ない介入手段だった公共職業紹介も、そのネットワークは当時すでに民間で発達していた職業紹介網を組織ごと吸収して発達したものでした。基本的には「労使自治の原則」をつらぬき、膨大な経験を蓄積してきたのが日本の労働市場であり、日本的雇用慣行のコアを支えています。政府による立法、GHQによる改革など、少々の外的条件の変化では正規の世界は揺るがなかったという見立てです。だとすると、1990年代以降の短期間で、この原則が揺らぐ理由もそう強くはないと類推できるでしょう。

労働現場に変化が訪れ究極の第三者である政府の介入が始まった

とはいえ、変化の兆しがないわけではありません。1990年代以降の労働法制は様相が変わってきた側面もあるのです。本の中では、旧来の「労使自治の原則」に基づいた施策だけではなく、政府という第三者による介入を受け入れた施策──たとえば最低賃金法などのように──が同時に実行されるようになったと整理しています。
後者が存在感を増した背景には、労働現場の変化が挙げられるでしょう。労働供給が枯渇してきたこともあり、労働者一人ひとりの労働量が増え、かつ互いの業務の境界を明確に線引きするようになった。「自分の仕事はここまでです」「今までのあなたのやり方を変えてください」など、少し異質なコミュニケーションが増えたためか、労使自治、あるいは労働者同士によって現場の問題を解決することが難しくなり、究極の第三者である政府にルール設定を頼らざるをえない場面が増えた。まだまだ「労使自治の原則」は中心であり続けていますが、私たちは岐路に立っている、私はそう考えています。
ただし、そのような介入は、うまく機能しないままほうっておけば、時間の経過とともに資源配分を累積的に歪めかねません。定期的に成果をチェックするなど、政策提言者の手腕が問われ、行政担当者の新しい仕事が増えるでしょうね。

仲介のマーケットに新しい理論を見出し提言につなげるために

これまで述べてきたような労働市場の研究を今後もさらに進めるとなれば、時間をかけてデータを収集する必要があるでしょう。日本的雇用慣行の存在を直接計量化するためには、数十年という時間の経過を待たなければなりません。自営業者の減少などに関する研究も含め、また機会を改めて取り組みたいと考えています。
現在では、冒頭でふれた研究プロジェクトをはじめ、新しい試みとして「仲介」をキーワードに経済研究所の専門家の方々を中心に共同研究を進めています。労働はもちろんのこと、結婚情報サービス、養子、不動産......さまざまな切り口から、仲介に通底する一般理論があるかどうかを確かめる研究です。
もともと、仲介=「情報の橋渡し」だとすれば、規模の経済性が発生すると考えられます。つまり、仲介者の持つデータベースは大きければ大きいほど、適職や理想の結婚相手が見つかりやすくなるわけです。ITが発展すれば、データをストックするコスト、サーチするコストが引き下げられ、マッチングはさらに早まる。そうなれば仲介業は限られた企業の独壇場になる。このように20年前から言われてきました。ところが現実にはそうなっていません。どの業界にもガリバー的存在の企業はありますが、その下に無数の零細企業が連なっています。仲介のマーケットのメカニズムには、規模の経済性云々というシンプルな理論では説明できない別の理論が働いている可能性があります。その理論を見出し、提言につなげていくことが当面の目標です。今後はこのような共同研究についても積極的に進めていきたいと考えています。(談)

(2018年4月 掲載)