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令和5年度 大学院学位記授与式 式辞

令和6年3月15日
一橋大学長 中野 聡

 皆さん、大学院学位授与・卒業おめでとうございます。

 大学院学位を授与される皆さんのご両親、ご家族、ご親族そして関わりの深い方々にも、教職員一同とともにお祝いを申し上げます。

 ここに集う皆さんが取得した学位は、修士、専門職学位、博士と多様であり、またその専攻する学問領域も、社会科学・人文科学など多方面に渡っています。皆さんが主に学んだ場所・空間も、国立キャンパス、千代田キャンパスと分かれていて、今日まで顔を合わせたこともなかった皆さんも多いことでしょう。学位取得までの期間も課程により人により様々であって、1年で修了する皆さんもいれば、長い時間をかけて博士学位を取得した皆さんもいます。そして日本でもっともグローバル化した大学院のひとつである一橋大学では、世界各国の皆さんが学び、研究しています。

 このように文字通り多様な皆さんですが、一橋で、そして大学院生として、多くの経験を共有してきたのではないでしょうか。

 晴れてここ兼松講堂で学位授与の日を迎えるまでに、皆さんには、研究と勉学で、知力と体力の限界に挑戦するような経験をしたことが、きっとあったことでしょう。色々な悩みごとを抱えたり、焦りを感じたり、家事・育児などとのワーク・ライフ・バランスの危機に直面した方々も居たことでしょう。皆さんの学位取得を応援してきたご家族など周りの皆さまも含めて、あらためて、お疲れさまです、と申し上げたいと思います。

 大変だったね!ということで言えば、ご存知の皆さんもいるかと思いますが、学位取得に向けて極限状態の毎日を送る学生さんたちの生活を描いた 、Ph.Dコミックスという、アメリカのマンガがあります。色々なネタがあって、笑える、笑うしかない、いや、笑うに笑えないようなお話もあります。私たち教員として、自戒の念を抱かざるをえないネタもたくさんあります。

 ウェブサイトでたまたま開いたページでは、こんなエピソードがありました。

 Average Time Spent Composing One Email

 Graduate Students: 1.3 Days. Dear Prof. Smith. I was wondering if perhaps you might have possibly gotten the chance to potentially find the time to maybe look at my draft….

 Professor: 1.3 seconds. Yes, do it.

 まあ、この場合は、あまりクドクドと返事するのも、かえって院生さんたちには迷惑なことかと思います。お互い、気を遣うことが、色々あることですね。

 ただ、はっきりしていることは、私たち教職員にとっては、皆さんの勉学・研究をサポートして、そしてほかでもない皆さん自身の努力が実って、学位取得に到ることこそが、私たちの重要な使命・ミッションであり、また喜びであるということです。私たちも、それぞれに最善を尽くしてきたつもりです。あらためて、皆さんの学位取得を心からお祝いするとともに、教職員一同、謙虚な気持ちで、「私たちは、お役に立てましたでしょうか?」とお尋ねする気持ちでいます。

 何よりも、皆さんには、一橋大学という卓越した学術コミュニティにおいて時を共にしたことが、苦労はあったけれども、その甲斐があった心地良い経験として、その記憶が共有され、いまは互いを知らなくても、どこかで出遭ったときに、ただそこに居たというだけでも、互いに絆を感じることができるようなコミュニティとして想像して貰うことができると良いなと思います。そして、日本の大学史・学問史において強い個性を放つ存在であると私が信じる一橋の学風を、皆さんがその個性の一部として、これから活躍してくれることを願っています。

 では、その学風とは何か。もちろんそれも、ひとそれぞれに考えてもらえれば良いことです。私が、ときどき引き合いに出すのは、本学西キャンパスのある場所に立つ、日本における経営学研究を確立したことで知られる上田貞次郎(1879-1940)の碑に刻まれた次の言葉です。

 我々が憎むのは虚偽と雷同であり、我々が戒めるのは煩瑣と冗長である。

 この言葉から窺えるのは、彼の時代に吹き荒れたイデオロギー闘争から距離をおいて、社会の現実を考えぬこうとする姿勢です。また、時流に流されず、しっかりと自分を保つことや、最高の学問成果というものは、少なくともその意義が、誰にでも分かる平易なことばで共有できるものであるべきだというような考え方も、ここからは読み取れます。もちろん、研究分野によっては、狭い意味での現実や実証性に研究が縛られる必要はありません。ただ、それぞれの学問や研究を、「現実を考えぬくこと」との対話のうえに営む志を示している、と読めば良いでしょう。

 もうひとつ、一橋大学のミッション・ステートメントである研究教育憲章では、自らを「市民社会の学である社会科学の総合大学」と名乗っています。これも、最も広い意味において、現実の社会をある種の冷静さを基礎として見るという意味での科学的な姿勢と、社会の改善に向けた志を示した名乗りと考えて下さい。またそれが、社会科学とともにきわめて高い研究教育水準を誇る人文科学や、これからの一橋を共に担う文理融合領域をも包含するステートメントであることは言うまでもありません。

 卒業する今の今まで、上田貞次郎も、一橋のミッション・ステートメントも知らなかったという方がマジョリティかとは思いますが、これらの言葉に示された気風のようなものが、皆さんの、教員や同僚院生との日々の交流のなかで自然に共有されてきたのではないかと期待しています。そして、たとえ大学院で過ごした時間が、学部時代に比べれば短いものであっても──博士課程ともなれば、もっとずっと長かったという人もいると思いますが──そのような気風を共にするコミュニティを、皆さんが、これからもホームランドのひとつとして想像することが出来れば、これほど私たちにとって名誉なことはありません。

 最後に、皆さんにお願いがあります。

 皆さんが、それぞれの世界で、思いきり活躍することによって、皆さんのような人材、社会科学・人文科学の高度な学識と深い教養を備えたスペシャリストが、この日本と世界には、もっとたくさん必要だ、そのようなコンセンサスを、アカデミアの外の世界に、ぜひ広めて下さい。そしてそのためにも、皆さんが各自の専門性をいっそう深めると同時に、他の分野にも関心を拡げ、仕事で、研究で、様々なコラボレーションを拡げて下さい。

 気候変動による災害の激甚化、生成AIがもたらしつつある衝撃、人口減少社会など、21世紀の日本と世界が直面する諸課題は、そのいずれもが、これまでになかったような異分野諸科学・諸領域の融合によるイノベーションを求めています。皆さんには、是非、自らの専門領域のコンフォート・ゾーンから出て、知見を広げると共に、異分野の様々な人々とネットワーキングして、社会科学・人文科学の力を見せていくことをお願いしたいと思います。

 皆さんのこれからの進路はまさに多様です。コロナ禍がそうであったように、これからも、戦争、災害、気候変動など、予想のつかない出来事が、世界の現実が、皆さんひとりひとりのこれからの歩みに大きな影響を与えていくことでしょう。活躍する場はそれぞれですが、皆さんがこれから関わっていく社会、企業、国家などとの関係で自らを厳しく問われる局面も訪れるかもしれません。そのようなときに、国立キャンパスで、千代田キャンパスで自らのものとした学問が、必ずや皆さんを支えることを願っています。

 そして、どの分野に進んでも、また世界の何処に居ても、皆さんは、一橋コミュニティの一員であり続けることを忘れないで欲しいと思います。建学以来、本学の名声の基となってきたのは、本学が生み出してきた人材に対する高い評価と期待です。皆さんが拡げていくネットワークに大いに期待しています。そして活躍する皆さんが本学を再訪するときを、国立キャンパスで、千代田キャンパスで私たちは待っています。

 皆さん、あらためて学位取得・卒業おめでとうございます。ご静聴ありがとうございました。


参考
Ph.D. Comics https://phdcomics.com/
一橋大学研究教育憲章 https://www.hit-u.ac.jp/guide/charter/index.html



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