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令和5年度 学部入学式 式辞

令和5年4月2日
一橋大学長 中野 聡

新入生の皆さん、一橋大学入学おめでとうございます。また、ご両親、ご家族、ご親族そして関わりの深い方々にも、教職員一同とともにお慶び申し上げます。

今年の入学式は、2019年4月以来、実に4年ぶりに、全学部の入学生が一堂に会しての開催となり、ご家族の皆さんにも国立キャンパスの杜にお出でいただくことができました。未だ予断を許さぬとはいえ、コロナウイルス感染症2019の長いトンネルからの出口に向けて社会が歩みを進めるなか、皆さんと、この兼松講堂で入学式を行えることを、心から喜びたいと思います。  

皆さんの高校生活や受験勉強は、3年間にわたるコロナ禍、もう1年以上続いているロシアのウクライナに対する侵略戦争などで、苦労や不安が絶えなかったことだと思います。皆さん、それぞれに困難を良く乗り越え、今日こうして新たな一歩を踏み出そうとしていることを、心から祝福いたします。

今年の入学式は、一橋にとっても特別です。1949年、新制大学として東京商科大学を改組して一橋大学としたとき、本学には商学部・経済学部・法社会学部の3学部が置かれました。その翌々年の1951年、法社会学部は法学部と社会学部に分離して4学部となりました。以来72年ぶりの新学部として、このたびソーシャル・データサイエンス学部が設置され、その第1期生が入学したのです。併せて大学院ソーシャル・データサイエンス研究科修士課程も発足して、第1期生を受け入れました。

ではなぜ、一橋は、ソーシャル・データサイエンス学部・研究科を創ったのでしょうか。

私たちは、山積する地球と人類社会の課題を解決するためには、「社会科学」のみの教育研究でも、「データサイエンス」のみの教育研究でも、いずれも不十分であると考えました。社会科学の知見のみでは、ビジネスや政策などにおける課題解決や意思決定を不十分な材料で行わざるを得ません。また、データサイエンスの知見のみでは、解決可能な社会課題の範囲が、既存のデータで扱いうる課題に限定されてしまいます。

そこで私たちは、本学が伝統的に強みを持つ社会科学を用いて様々な課題を抽出し、データサイエンスを用いてそれらの課題を解決するために必要なデータを収集・分析するとともに、改めて社会科学を用いて現実社会における取組や意思決定のための示唆を得るという、社会科学とデータサイエンスを融合させた教育研究が必要であると考えました。それこそが、本学が新学部・研究科において行う「ソーシャル・データサイエンス」の教育研究です。

新学部では、統計学、情報・AIなどのデータサイエンスに加え、幅広く社会科学を体系的に学んでもらいます。新学部は、また、商経法社4学部の諸君にも新しい世界を開きます。一橋は伝統的に学部間の垣根が低く、他学部の授業もほぼ自由に履修できます。そのため、特定の社会科学領域を深く学びたい新学部の学生は商経法社4学部の授業を履修し、データサイエンスを学びたい商経法社4学部の学生は新学部の授業を履修することで、本学のすべての学生が現代社会の課題解決に必要な知識・技術を身に付けることができるでしょう。

ソーシャル・データサイエンス学部の新入生諸君には、どっぷりと一橋の社会科学に浸かることを、商経法社4学部の新入生諸君には、どっぷりとデータサイエンスの世界に浸かることを期待しています。そして社会科学・人文科学の側からアプローチする、新しい文理共創・文理融合の世界を、私たちと共に創造していきましょう。

文理共創・文理融合がなぜ今、必要とされているのか、皆さんには一橋で何を学び、どのような学生生活を送って欲しいのか。このことについては、本日、御来賓として祝辞を戴く先輩の新井紀子先生もこれからお話下さることだと思いますが、私からもひとつお話をさせていただきたいと思います。

今日は、ひとつ、最近話題の言葉を覚えて帰って下さい。いや、高校地学や共通テストの対策で皆さんの方が私たちよりもよほど詳しく学んでいるかもしれません。「人の新しい世」と書いて、「人新世」という言葉です。

人新世は、現在、正式な採用に向けて検討が進んでいる新しい地質年代の呼称です。地質年代と言えば、2020年1月、千葉県市原市で観察できる地層の断面を特定して、中期更新世(約77万4000年前〜約12万9000年前)が新たに「チバニアン」と名付けられたことが話題になりましたから、覚えている人も多いでしょう。国際地質科学連合というユネスコ登録の国際学術団体が認証する仕組みが決まっています。

現在、国際地質科学連合ウェブサイトによる公式発表や新聞報道などによれば、「チバニアン」と同じ手続きによって、新たな地質年代として「人新世」を定め、その基準となる地層を世界からただ一か所選定する作業が、いま最終段階に入っています。別府湾海底の地層も候補のひとつで、場合によっては「ベップワニアン」などと呼ばれることになるかもしれません。行われている議論では、20世紀半ば頃から「人新世」が始まっているとして、まもなく新しい地質年代が認定される可能性が高まっているようです。

人新世が現在、注目を集め議論されているのは、言うまでもなく、地球環境を圧倒する存在にまでなった人間に対する問いかけであり、気候変動をはじめとする地球環境の人間活動による破壊的影響をいかにして制御していくのかという喫緊の問題です。それでは、人新世時代において、私たちはどのような姿勢で学問に臨むことが求められているでしょうか。

まずは、今までは地球環境と結びつけて考えることがなかったような問題や出来事についても、地球環境を変化させる人間活動として捉える可能性に思いを巡らすような想像力が求められています。

例えばこの一橋大学は、2021年度においてエネルギー起源二酸化炭素排出量が4067トンであったと公表しています。このように各事業体の活動、さらには人々の営みがどれくらい温室効果ガスであるCO2の排出に結びついているのかについて、科学的に推計して、そのデータを今後の施策に活かしていくことが当たり前になってきたのは、ごく最近のことです。このような発想で、今はまだ誰も気がついていない社会の様々な事象と、例えば地球環境とのつながりを捉えていくことが、これからはますます求められることでしょう。アンテナを張り巡らせて、柔軟な想像力を育む毎日を皆さんには送って欲しいと思います。

課題を発見したら、今度はそれらの課題を分析し、解決の糸口を探るための方法を貪欲に探して欲しいと思います。一橋では、すぐ手の届くところに、バラエティに富んだ世界最高水準の学問への入り口が幾つもあります。たとえば、ソーシャル・データサイエンス学部では、日本では数少ないベイズ統計学の授業が開講されます。ベイズ統計学の応用分野には、地球環境や生態を具体的にデータから解析するモデリングにも応用できる空間統計があるそうです。こうした最先端の手法を学ぶ機会が、このキャンパスには溢れています。どうぞ次々と門を叩いて下さい。教員も君たちの来訪を手ぐすねを引いて待っていることでしょう。

こうして様々な課題を発見する能力、分析する理論や方法とともに、言語・哲学・歴史などの人文科学や社会科学の諸分野にわたって深い教養を身につけ、自分だけのメニューで、自分ならではの学問を皆さんには磨いて欲しいと思います。もちろん、皆さんが必ず人新世の時代に相応しい学問をしなければならないとか、地球環境問題を卒論のテーマにしなければならないなどということはありません。その一方、バタフライエフェクトという言葉もありますが、自分がしていること、考えていることが、どこかで思いもよらないメカニズムを通して地球とつながっているという可能性をいつも頭の隅におくことができれば、それが人新世に相応しい、学問に臨む姿勢というものなのだと思います。

2025年、皆さんの在学中に一橋は創立150周年を迎えます。様々な記念事業を展開していきますから、皆さんも楽しみにしていて下さい。そしてこの機会に私たちは、改めて一橋が「市民社会の学である社会科学の総合大学」として「社会を科学するということは、社会の現実に対峙し、立ち向かうこと」であることを再確認したいと思います。そして、「ひとつひとつ、社会を変える」指導的人材として皆さんを育成し、「ひとつひとつ、社会を変える」学問を創造し、社会に発信していくことを誓いたいと思います。本日、人新世時代の学問のあり方について考えたのも、その一端とご理解下さい。

皆さん、あらためて入学おめでとうございます。これからの充実した学生生活を通じて、次代の担い手に君たちが成長していくことを、心から期待しています。

ご清聴ありがとうございました。

参考(参照順)
ソーシャルデータ・サイエンス学部のご案内
国際地質科学連合・人新世作業部会ウェブサイト
一橋大学環境報告書2022
“応用分野とのコラボレーションが魅力となる「ベイズ統計学」” HQウェブマガジン(2022年12月27日掲載)



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