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令和3年度 学部学位記授与式 式辞

令和4年3月18日
一橋大学長 中野 聡

皆さん、卒業おめでとうございます。

本日、学位を授与される皆さんのご両親、ご家族、ご親族そして関わりの深い方々にも、教職員一同とともにお祝いを申し上げます

 一昨年、昨年に続き、今年の学部学位授与式もまたコロナ禍での開催となり、二回に分けて、皆さんを送り出そうとしています。四学部の皆さんをひとつの式で送り出せないことや、ご両親・ご家族の皆さんがこの美しいキャンパスの杜にお出でいただけないことは大変に残念です。それでも皆さんと、この兼松講堂で卒業式を行えることを、心から喜びたいと思います。

 昨年八月から一〇月末まで、兼松講堂は東京都設置のワクチン大規模接種会場となりました。コロナ禍で、講堂での行事が開催できないなか、卒業生の皆さんの多くが此処で二回の接種を受け、盛夏から秋冷へと季節が進むなか、接種事業関係者の皆さん、接種のため一橋大学を訪れる都内各地の大学生・教職員の皆さんの姿が、西キャンパスの景色の一部となりました。その日々を、皆さんの記憶にもとどめていただければ幸いです。

 昨年の卒業式で、私は、パンデミックが世界にもたらしている深甚な変化が、恐らく二〇世紀の両大戦に比肩するインパクトがあるのではないかという見方を述べました。また、未来をディストピアとしてしか想像できない人々がいま世界で増え、これから一〇年、二〇年という時間が、世界の、そして日本の未来をディストピアにしないために決定的な意味をもつのだとすれば、「世界を救う」主役は、皆さん、パンデミックをくぐり抜けて卒業していく皆さんをおいて他にありません、どうぞ世界を救いに旅立って下さいと、こう述べました。

 それから一年がたった現在、ウクライナにおける戦争が全世界に衝撃を与えています。学生生活の後半二年間をコロナ禍に覆われた皆さんが、現在、戦争に動揺する世界に、この兼松講堂から卒業して旅立つにあたり、心にとめて欲しいことについて、これから少し話してみたいと思います。

 ロシア連邦によるウクライナに対する侵略は、国際関係における武力による威嚇又は武力の行使を禁じる国連憲章に明確に違反する行為であり、決して許されてはなりません。ヨーロッパの歴史では第二次世界大戦以来となる大規模な地上戦によって、多くの非戦闘員・市民が犠牲となっており、大量の難民が発生し、人道危機が深まっています。ウクライナの戦争は、いま、直ちに停止されなければなりません。

そして、私たちの思いは、この戦争によって影響を受けている全ての人々に向けられなければならないと思います。日本の大学はウクライナ、ロシアなど関係諸国から多くの留学生・研究者とその家族を受け入れており、グローバル化した一橋大学もその例外ではありません。とりわけ、大学のミッションとして、日本及び世界の自由で平和な政治経済社会の構築に資する知的、文化的資産を創造し、その指導的担い手を育成することを宣言している一橋大学は、あらゆる分断をのりこえて、平和を創造する学術コミュニティであり続けなければなりません。

これまでも一橋大学には、国や体制の違いなどで立場や背景の異なる学生諸君が学び舎をひとつに学業に励んできました。そこで卓越した素晴らしいコミュニティの経験を共有し、培った友情は、長い目で見た平和の創造に大きく貢献してきたのではないかと、私たちは自負しています。そしてこれからも、一橋大学はそのような存在であり続けなければならず、此処兼松講堂は、そのような一橋のあり方を象徴する場でもあると私は思います。

一九二七年一一月に落成・開館した兼松講堂には、九五年に及ぶ歴史が宿っています。一世紀近くにわたり、同じ講堂で学生諸君を迎え、送り出してきた大学は、日本でも世界でも極めて限られた数しかないでしょう。そのことは同時に、この講堂が日本にとっての戦争の時代をくぐり抜けてきたこと、平和の尊さを心に刻む場でもあることを意味しています。

国立西キャンパスの南に隣接する一橋大学佐野書院には、如水会会員をはじめとする卒業生の篤志により二〇〇〇年に建立された「戦没学友の碑」があり、昭和の戦争により亡くなった卒業生八一七人の名前が刻まれています。国立大学のなかでも本学は文系に特化していたことから、軍隊入隊者の比率は、他の理系・医学系をもつ大学の場合が三割台に留まったのに対して、約八割と抜群に高く、それだけ多くの戦没者を出さざるを得ませんでした。彼ら先輩戦没者も、この兼松講堂から旅立ったのです。

今から八〇年余り前の一九四一年一二月には、戦時体制下で一二月に繰り上げられた卒業式が兼松講堂で行われ、五〇三名が卒業したことが記録に残っています。このうち三五名の先輩が戦没しました。一九四四年秋には出征学徒壮行会が、兼松講堂で開催されました。そのときのことについて、ある先輩卒業生は、壇上に立ったある教員(山口茂教授)が、「諸君、どうか死なないでくれ」と、当時の日本ではほとんど禁句であった言葉を第一声として力強く放たれたという鮮烈な思い出を語っています。

戦争から生還した一橋人が、戦後日本の復興と成長に果たした役割の大きさは、ここであらためて言うまでもありません。戦後一橋人の活躍は、同時に、戦没一橋人の命の重さを私たちに思い起こさせます。その思いが、二〇〇四年、多額の改修総工費の全額を、卒業生など大学関係者からの寄附によって賄うかたちで実現した、兼松講堂の全面改修につながったのです。

ここでもうひとつだけ、戦争を通じて浮かび上がった一橋らしさとは何だったのかについて、その思いを語った先輩卒業生の言葉を紹介しておきたいと思います。

──一橋は将来も生き続けるであろう。そして、精神や原理が行動を生み出すのではなく、いつも具体的な問題を抱いて「気をもみながら」具体的な解決の中に行動を生み落としていく一橋の実学は、今後も日本と世界を導いていくであろう。そのことが、戦争の犠牲となって亡くなっていった同窓の先輩友人の冥福を祈る所以でもあろう。

つい数日前には、国連グテーレス事務総長が「かつては考えられなかった核戦争が、可能性の領域に舞い戻ってきた」と述べました。この数週間、これまでになく戦争の脅威を身近に感じている皆さんも多いことでしょう。すなわち私たちは、一〇年先、二〇年先ではなく、現在世界を救わなければならないのであり、それは卒業生の皆さんだけでなく、年齢を問わず私たちの全てが現在取り組まなければならないのだ、と言わざるを得ない事態に立ち至っています。一緒に世界を救いましょう。

そのことを確認したうえで、今日は、この兼松講堂で平和の尊さを心に刻み、かつて日本の戦争の時代に巻き込まれた先輩卒業生たちに思いを馳せ、卒業生の皆さんが、一橋らしさ、あるいは一橋を卒業した自分らしさとは何か、一橋人としてそれぞれの答えを胸にして、この兼松講堂から未来の平和の担い手として巣立つことに期待したいと思います。

一八七五年の建学以来、一橋大学は、一貫して、この卓越したコミュニティから、実業界をはじめとして各界で国際的に活躍する指導的人材を送り出すことを大学の使命としてきました。すなわち、先輩卒業生こそは皆さんにとっての最高のロール・モデルです。今年もまた、素晴らしい先輩卒業生お二人から動画でメッセージをいただいております。ご期待下さい。

そして、今日、この兼松講堂から旅立ったあと、激動する世界の何処に居ても、皆さんは、一橋コミュニティの一員であり続けることを忘れないで欲しいと思います。国立キャンパスの杜は、皆さんとの再会を、いつでも、心待ちにしています。

皆さん、あらためて卒業おめでとうございます。ご清聴ありがとうございました。

参考 「記憶の中の兼松講堂」『HQ』第3号(二〇〇四年四月)、一橋大学学園史編纂事業委員会『第二次大戦と一橋』(一九八三年)



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