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令和3年度 学部入学式 式辞

令和3年4月4日
一橋大学長 中野 聡

「渋沢の遺産は一橋大学である」

 皆さん、一橋大学入学おめでとうございます。
毎年、一橋大学長が開口一番、新入生の皆さんに贈る言葉ですが、今年は格別の意味をもつことになりました。  

 まず、「この春から一橋生」の皆さん。コロナ禍のなかでの受験勉強や入試に苦労が絶えず、今後の学生生活に不安を持つ皆さんも多いことでしょう。そして、「去年の春から一橋生」の皆さん。昨年は入学式が中止され、その後もキャンパスへの入構や対面授業・課外活動などが厳しく制限されてきました。「大学生になったような、なっていないような」うまく言い表せない気分でこの一年を過ごしてきた、という声も私たちのもとに届いています。1年生・2年生の皆さんのこれまでの苦労を労い、この前代未聞の二学年合同入学式が、新たな気持ちで大学生活に取り組む良いきっかけになればと願っています。
 また、様々の事情からこの兼松講堂に来ることができない皆さんや、ご両親、ご家族、ご親族そして関わりの深い方々など、できるだけ多くの皆さんが、ライブ配信を通してこの場を共有していただけていることを願っています。

 ここで、皆さんをあらためて迎えるにあたり、一橋大学がどのような個性をもった大学なのか、次の言葉を手がかりにして皆さんと共有したいと思います。

 「岩崎は巨大で非常に収益力のある会社を残したが、渋沢の遺産は東京にある有名な一橋大学である」──これは、ピーター・ドラッカー著『断絶の時代 The Age of Discontinuity』という書からの一節です。

 今から半世紀あまり前の1969年、世界で、日本で、ベストセラーとなった本書は、技術革新・知識集約型社会の到来・経済のグローバル化などが、この世界に不連続な変化=断絶の時代をもたらすことを、粗削りながらも分かりやすく論じ、21世紀の現在、世界が直面している構造的変化を予見した書として今日でも高く評価されています。パンデミックがもたらした現在の不連続な変化を重ね合わせて読む人も多いことでしょう。

 本書で著者ドラッカーは「不連続な変化」というチャレンジを過去に克服したモデルとして明治日本を論じています。そのなかで、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎と「日本資本主義の父」とも称される渋沢栄一に注目しました。岩崎は、資本家として成長分野に資本を集中させ、体系的に増殖させて巨大企業群を作ることに成功しました。一方、出資者として多数の企業・団体・学校を育成した渋沢栄一は、終始一貫して「人づくり」すなわち能力開発を通じた人的資源の拡充に尽くしました。明治維新後の日本が外国資本に頼らずに内発的発展・工業化を実現するためには、岩崎流の企業家精神による資本蓄積も必要だが、渋沢が尽力したように人間開発・人的資本形成がそこに伴わなければならない。そのような評価を、ドラッカーは、ここに紹介した言葉で表現しようとしたのです。

 もちろん数多くの企業・団体・学校の設立に関わった渋沢の遺産を本学が独り占めする気は毛頭ありません。それでも「人づくり」の重要性を強調する文脈で本書に一橋大学の名が挙がっていることは、名誉であるとともに、本学のユニークな来歴と使命を考えるうえで大きなインスピレーションを与えてくれます。

 一橋大学の起源は、1875年、のちに初代文部大臣となる森有礼が、当初は私塾、私設の学校として銀座尾張町に開いた商法講習所に遡ります。建学の原点は世界水準の商業教育を通じて日本の近代化を担い、国際的に活躍できる指導的人材を育成することでした。勝海舟とならんで建学を支援した渋沢栄一は、終生を通じて本学の発展に尽力し、晩年まで毎年のように本学に足を運んで卒業式などで講演を行いました。残された講演録で語られた、仁義道徳と生産殖利の合一を説く渋沢のいわゆる「道徳経済合一論」からは、スキル・知識の獲得を超えた、倫理観に基づく全人的素養を兼ね備えた指導的人材の育成に対する熱意と、本学に対する期待が浮かび上がります。渋沢が満九一歳でその生涯を終えたのは、今からちょうど90年前、本学(東京商科大学)が都心からここ国立への移転を完了して、国立キャンパスの歴史が始まった年(1931年)のことでした。

 このように一橋大学は、官の発想や都合からではなく、時代の要請に応える「人づくり」に対する人々の強い思いから建学され、その必要性を社会に訴え、認められることによって、官立大学へ、さらに今日の姿へと成長してきました。そして、教育研究領域を商学・経済学から法学、社会学、歴史学、哲学など社会科学と人文科学の諸領域に広げながら、各分野の研究で第一人者でもある教員が、ゼミなどを通じて一人一人の学生と向き合う丁寧な少人数教育と、自由と個性を尊重する独自の学風を育んできました。
 そして、その歴史を通じて、本学が生み出す人材に対する高い評価と期待こそが、本学の名声の基となってきました。その意味では、先輩卒業生こそは皆さんにとっての最高のロール・モデルです。これまでふだんの入学式では祝辞を戴く来賓と言えば一人と限られてきましたが、本年は、コロナ禍を逆手にとって素晴らしい先輩卒業生3人からメッセージをいただくことができました。ご期待ください。

 さて、これまで「人づくり」の一橋大学ということを強調してきました。しかしそれは決して君たち学生が、「つくられる」受け身の存在であることを意味しません。それどころか、在学生こそは、一橋大学という卓越したコミュニティを共に作っていく担い手です。そしてこのことは、コロナ禍の現在、いっそう切実な意味をもちます。
 これからも、感染拡大を防止するために、皆さんの学生生活には厳しい制約が続きます。とりわけ全国・全世界と学生・教員が往来する大学には、感染拡大を防止する責任が、大学が立地する地域(たとえば国立市)に対しても、皆さんの実家がある諸地域や国々に対してもあります。感染拡大防止と充実した大学生活の両立が可能であることを社会に対して示すためにも、皆さんには市民としての責任ある行動を期待しています。

 皆さん、あらためて入学おめでとうございます。これからの充実した学生生活を通じて、パンデミックがもたらした不連続な変化というチャレンジに立ち向かう次代の担い手に君たちが成長していくことを、心から期待しています。

 ご清聴ありがとうございました。

 参考 P.F.ドラッカー著・林雄二郎訳『断絶の時代─来たるべき知識社会の構想』ダイヤモンド社、1969年。 橘川武郎・島田昌和・田中一弘編著『渋沢栄一と人づくり(一橋大学日本企業センター研究叢書5)』有斐閣、2013年。



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