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平成31年度 学部入学式 式辞

2019年4月7日
一橋大学長 蓼沼宏一

 新入生の皆さん、入学おめでとうございます。また、ご臨席賜りました新入生のご両親などご家族の方々にも、お祝いを申し上げます。一橋大学教職員一同を代表しまして、すべての新入生を心より歓迎いたします。春爛漫、満開の桜、そして緑豊かな美しい本学のキャンパスと国立の街並みも、皆さんを温かく迎え入れているように感じられます。

 さて、皆さんが今日、入学された一橋大学は、明治六大教育家の一人、森有礼が1875年(明治8年)に渋沢栄一や福澤諭吉などの協力を得て開設した商法講習所を起源としています。幕末の開国からまだ20年程というこの時代には、グローバルなレベルで貿易や商業・経済を担える人材の育成が国家的な急務であり、それに応えるために商法講習所は設立されました。当初から外国人教師による英語の授業なども導入されていました。それ以来140年を超える歴史の中で、本学は日本における社会科学諸分野の研究をリードする大学に発展するとともに、常に人材の育成にも情熱を注いできました。その最大の特色は、密度の濃い少人数ゼミにあります。
 本学のゼミがどのようなものであるか、生き生きと描かれた本があります。歴史小説・経済小説などで有名な作家、城山三郎さんの書かれた『花失せては面白からず――山田教授の生き方・考え方』です。城山さんは1927年(昭和2年)に生まれ、軍国主義教育の中で育って軍隊に志願し、敗戦後、イデオロギーが180度転換した時代に「世の中はどうなっているのか、人間とは何なのか」を根本のところから考え直したいと思い、一橋大学の前身、東京商科大学に入学しました。やがて、理論経済学が専門の山田雄三先生のゼミに入ります。
 山田ゼミの最初の1年間は教授を囲んで英語の専門書を読みます。城山さんがゼミに入った1949年(昭和24年)のテキストは、その5年前に出版されたフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの著書Theory of Games and Economic Behavior(『ゲームと経済行動の理論』)でした。
 新入生の皆さんのためにゲーム理論について簡単に解説しますと、社会の中で常に相互依存関係にある人間がどのように行動し、その帰結はどうなるのか、ということを分析する理論です。囲碁や将棋、あるいは野球やサッカーなどのゲームと同様に、社会の中でも人間は相手の行動を予測しながら自分の行動を決定していきます。ゲーム理論は、多数の人間のそのような行動と社会的帰結を数理的なモデルを構築して解明することを目的としています。
 1980年代になって、経済学では「ゲーム理論革命」と言うべきパラダイムの革新が起こり、やがて経済学だけでなく、政治学、経営学、会計学、社会学、国際関係論など社会科学の様々な分野において、ゲーム理論はその基礎を成すようになりました。しかし、1940年代後半は、ケインズ経済学やマルクス経済学が華やかなりし頃であり、ゲーム理論を創始したフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの著書は、当時、ごく一部の先端的な理論経済学者以外には注目されていませんでした。山田先生がそれをゼミのテキストとして選択されたこと自体、一橋大学が日本における社会科学の研究と教育の最先端にあったということを示していると思います。そのことは、今日まで連綿と受け継がれてきています。新入生の皆さんは、その一橋大学に入学したということに誇りを持ってください。

 さて、話を城山さんと山田先生との関わりに戻しましょう。資本主義か社会主義か、という戦後のイデオロギー対立の只中にあって、城山さんはゼミのテキストを読み進めるうちに、ゲーム理論は抽象化・数式化の結果、理論としては精緻になっても、それだけ現実から遠ざかるのではないか、いわば、理論という舞台で空しい舞いを舞うだけの自己満足なのではないか、と疑問を持つに至り、遂に「ゼミをやめさせて頂きます。」と結ぶ長文の手紙を山田先生に送ります。
 それに対して、山田先生は便箋数枚にわたる部厚い手紙を返されます。その全文は城山さんの著書に収められていますので、ぜひ皆さんも読んでください。この手紙の中で、山田先生は、社会科学、例えば経済学では、いろいろな専門用語を使い、数式などによる形式化も行うけれども、現実から離れ「淡然として」研究しているのではなく、究極的には人間探求、つまり人間の行動の仕方や、個人と社会との在り方を知ることを目的としているのだと述べられています。社会科学の意義を大変的確に表現されていると思います。
 それだけでなく、この手紙には、ひとりの学生を思う教授の温かい心が満ち溢れています。手紙の最後に山田先生は、科学のみが人間探求の唯一の途ではなく、それぞれの人がそれぞれの職場における実践を通して事実を認識しようと努めるならば、人間探求を行っているのだから、「君は自由に君自身の道を選んで進んで下さい」と呼びかけ、またいろいろなことについて話し合いましょう、と結んでおられます。この手紙を読んだ城山さんが山田ゼミでの勉強を続けることになったことは、言うまでもありません。
 一橋大学のゼミは、単なる少人数の授業ではありません。最先端の研究に日々真剣に取り組んでいる教員が学生と非常に近い距離にあって、一人ひとりの学生に向き合い、教員と学生、あるいは学生同士が真剣な議論を重ね、真理を探究する場であるだけでなく、様々な機会に人間同士としての交流を深め、人格を磨く場でもあります。そのゼミを何世代にも亘り脈々と受け継いできた一橋大学に入学された皆さんには、ぜひ、本学の誇る優れた教員と、恵まれた研究・教育環境を最大限に活用していただきたいと思います。

 皆さんは厳しい受験勉強を経て、晴れて本学への入学を果たされました。しかし、これはゴールではなく、新たなスタートラインに立ったということです。大学時代は、人生の大いなる夢と目標を描き、それを実現するための準備期間と考えてください。一人ひとりが社会の一員であり、また社会なしには生きられない人間にとって、他者のために働くこと、社会のために貢献することこそ目指すべき大いなる夢なのではないでしょうか。
 世界はいま、大きな転換点を迎えています。経済のグローバル化、人口の高齢化、地球環境問題などが進行する中で、政治、法、経済、社会の諸制度を適切に整備していくこと、多発する国家間や企業間の紛争を解決すること、あるいは経済活性化に向けて企業経営を革新することなどが大きな社会的課題になっています。一方、科学技術はいま急速に発展していて、進化するAI(人工知能)が、ある面では人間の能力を上回るようなことも起こってきています。これまで人間が担ってきた仕事でも、AIやロボットが担ったほうが正確に処理できるケースも増えていくことでしょう。そもそも人間とは何か、人の役割とは何かが問われてきます。一方、AI、IoT(Internet of Things)、ロボットなどを活用すれば、多様なサービスがより広く人々に行き渡るとも言われています。科学技術の急速な発展をいかに社会が受け容れ、活用すべきなのかという新たな社会・経済・法の問題に私たちはいま直面しているのです。社会科学をリードする一橋大学に入学した皆さんは、究極的にはこうした日本を含む世界の諸問題の解決につながる社会貢献を為すことを目指して学んでほしいと強く願います。
 そのために、新入生の皆さんには三つのことを大学時代に実行してほしいと思います。その三つとは、「学問を通して光と実りを見出す」、「学ぶということを学ぶ」、そして「いろいろな角度から見る」ということです。

 第一に、学問を通して光と実りを見出す。
 現実の社会は混沌としており、その実像を認識するためには「光」が必要です。商学、経済学、法学、社会学といった学問分野は、混沌とした現実のある側面に注目し、問題を把握し、概念を組み立て、論理的思考によって問題の解を見出すための知識体系を作り出してきました。現代では専門知識はますます高度化し、その知識体系全体を掴むためには、基礎から発展的内容まで段階的に学ぶ必要があります。授業やゼミをきっかけとして、自ら広く深く学び、自由に思索を巡らせ、その内容を文章で表現するといった、頭と手をフルに使った知的鍛錬を続けていったとき、ある段階で急に社会への視界が開けるということがあるでしょう。まさに、皆さんが光を見出す瞬間です。
 さらに、事実を解明する「光」は、人々のよりよい暮らしと幸せを実現する社会という「実り」につなげることが大切です。社会科学は、事実の解明つまり実証をベースとしつつ、どのような社会経済システムが望ましいのかという規範に基づいて、政治、法、経済、社会の制度や政策の改革、あるいは企業・組織運営の改善策等を示す責任を担っています。何が社会的に望ましいかという規範的な判断を行うためには、社会とは何か、ひとの幸せとは何か、正義とは何か、といった根源的な問いにまで遡る必要があります。社会や経済の中では、限られた資源の制約の下で、人々の間に利害対立が生じる場合もあります。それぞれの人が個別の利害を主張し合う中からは、対立を乗り越えて社会的解決に導く道は開かれません。利害対立の状況を解決し得る規範は正義です。正義に適う分配のルールとは何か。私たちは自分の個別利害や現実的状況から一旦離れて、可能な限り普遍的な立場で望ましい社会とはどうあるべきか思索しなければなりません。そのとき、皆さんの学びの領域は、哲学や倫理学などにも広がることでしょう。さらに、その規範は実証科学と結合し、具体的な制度や政策の改善へと結実していくのです。

 第二に、学ぶということを学ぶ。
 皆さんはこれから長い人生を生きていきます。科学技術や社会は常に変化していますから、仕事をする上で、また豊かに生きていくために学ぶべき学問や必要な知識も時代とともに変わっていきます。知識やスキルが陳腐化するスピードも速くなっていますから、社会に出てからも常に学び続けることが必要であり、それはまた人間ならではの喜びでもあると思います。では、一生、学び続けられるようになるために、大学時代には何をすべきなのでしょうか。それは、「学ぶということを学ぶ」ことです。
 まず一つの専門分野をとことん深く学んでください。それぞれの学問分野は、その理論体系によって課題解決のための思考の方法とフレームワークを形作っています。一つの専門分野を深く学び、知的鍛錬を続けていくと、習得した知識が自分の思考のフレームワークにまで昇華していきます。知識の蓄積と思索の繰り返しによって得られる論理的思考の方法とフレームワークは、やがて皆さんが実社会に出たときに直面する様々な未知の問題に取り組むときにも、強い拠り所となることでしょう。
 このように知識の習得を通して汎用性の高い思考の方法とフレームワークを身に付けることこそ、「学ぶということ」なのであり、それを実際に経験することが大学での学びで最も重要なことであると私は考えています。大学時代に一つの学問分野を深く学ぶという経験をした学生は、新しい学問分野や内容に直面したときにも、新たに自ら学び、思考のフレームワークを作り直すことができるようになるものです。
 実は、「学ぶということを学ぶ」とは、私の父から聴いた言葉です。私が一橋大学に入学した1978年(昭和53年)に学長であったのは、父、蓼沼謙一です。41年前の私は、皆さんがいま座っておられる席で壇上の父の式辞を聴きました。研究者としての人生を貫いてきた私は、「学ぶということを学ぶ」大切さを、生涯を通して実感し、実践してきました。いまは亡き父の思い出とともに、この言葉を皆さんに贈ります。

 第三に、いろいろな角度から見る。
 この「いろいろな角度」という言葉に、私は二つの意味を込めたいと思います。一つは、自分の専門とは別の学問分野のことです。一つの学問分野を真剣に深く学んでいけば、他の学問分野の必要性も自ずと意識されるようになるものです。現代の社会が直面する課題の多くは、複合的な要素を含んでいて、その解決には文系・理系に跨る知識や分析が必要です。光と実りを求める学究を続けていけば、文理の枠を超えて関連する他分野にも関心を広げていくことになるでしょう。また、AIによるビッグデータ解析などが多用されるようになった現代では、たとえ文系分野が専門であっても、数理的推論やデータ分析を駆使して社会や経済を捉える高度な力が求められるようになってきています。これからは少なくともAIの仕組みを理解し活用できる能力は必要になるでしょう。こうして知的関心を広げ、知的鍛錬の領域を拡充していった結果として身に付く幅広く、かつ体系性のある知識と柔軟な思考力は、皆さんが様々な場で活躍するための大きな力となるはずです。
 「いろいろな角度」のもう一つの意味は、「日本の外から」ということです。社会が急速にグローバル化する中で、グローバルなレベルでの対話が一層必要な時代になっています。自由な大学時代に、歴史も文化も慣習も異なる地に身を置くことは、何物にも代えがたい貴重な経験となることでしょう。
 私自身、20代のころにアメリカの大学の博士課程に5年間留学しました。その時には、大量の専門論文を読むことや宿題を課され、難しい試験を受け、サバイバルに必死という状況でした。そのような状況でも、アメリカ人の学生だけでなく世界中の国からの留学生と切磋琢磨し、交流する中で、様々なものの見方、考え方に触れ、自分のそれまでの思考方法や価値判断を相対化し、見直す機会が多々ありました。その一方で、同じようなことに悩み、悲しみ、喜ぶという、いわば人間として共通の感性があるということを実感する、ほっとするような瞬間も多くありました。私はこの留学を通して、生涯、研究者という職業で生きる土台を作るとともに、世界の人々に対する見方を大きく広げることができました。
 一橋大学では、同窓会である如水会などのご支援により、大変充実した留学支援制度を備えています。皆さんもそうした支援制度を活用し、一度は「日本の外から」物事を見て、考えて、感じてみてください。

 新入生の皆さん、「学問を通して光と実りを見出す」、「学ぶということを学ぶ」、そして「いろいろな角度から見る」、この三つのことを心に留めて、大学生活をスタートしてください。広く深く根を張り、太い幹を持つ木が毎年、若葉を茂らせ、実を結ぶように、大学では自分の知的活力を向上させ、その後の人生で末長く自らと社会に実りをもたらすことのできる人間としての器を作ることを目指してください。

 一橋大学は、一人ひとりの学生を丁寧に育成し、責任を持って社会に送り出すことを何よりも大切にしています。皆さんが現代の社会で大いに活躍する人材として巣立っていくために、われわれ教職員も更に質の高い教育研究機関を目指して、それぞれの学生が歩む大学生活を共に大切にし、発展していきたいと思います。
 皆さん一人ひとりが喜びと実り多い大学生活を送られることを心から祈り、私からの歓迎の言葉とさせていただきます。



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