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平成29年度学部卒業式における式辞

2018年3月20日
一橋大学長 蓼沼宏一

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、ご臨席賜りました卒業生のご両親などご家族の方々にも、ご来賓の皆様及び教職員一同とともに心よりお祝い申し上げます。
 皆さんがこの卒業の日を晴れて迎えられたのは、何よりも皆さん自身の努力と研鑽の賜物ですが、ご家族など身近な方々の支え、指導教員や友人からの助言や励ましもなくてはならないものであったことでしょう。さらに、一橋大学が長年にわたり蓄積してきた優れた教育研究環境、本学の諸先輩が築かれてきた伝統と実績、同窓会組織である如水会から受けた恩恵、そして、自由に勉学に打ち込むことを可能にしてくれた社会のサポートにも思いを至らせていただきたいと思います。
 本日、卒業する皆さんに、まず、これからの人生に幸多かれと心からお祈りいたします。一橋大学を巣立つ皆さん一人ひとりが、それぞれの道で自ら豊かな人生設計をされ、それを実現されることを願っています。

 さて、皆さんがこれから漕ぎだしていく世界には多くの困難な課題が山積しています。皆さんが入学した4年前から現在までを考えても、災害や様々な事件が重なり、情報が溢れる中で、諸問題の記憶は風化し、何が重要な課題であるかの判断も鈍くなり、忘れてはならない教訓までも置き去りになりかねない時代です。世界を見渡すと、経済活動の急速なグローバル化が進む反面で、自国のみを優先するかのような主張が強まりつつあり、その矛盾がどのような帰結を生じるのか憂慮されます。世界的規模で所得格差は広がる一方で、政治的、経済的、あるいは思想的な対立の溝は、埋まることがありません。日本に目を向ければ、巨額の財政赤字を抱えて経済の不安定な状態に変わりはありません。少子高齢化は止まらず、医療・介護と社会保障は最大の社会経済問題になっています。一方、人工知能をはじめとする科学技術の急速な発展とともに、それをいかに社会が受け容れ、活用すべきなのかという新たな社会問題に私たちは直面しています。
 これら世界の直面する社会経済問題の解決に向けて貢献することは、真の実学、すなわち社会に実りをもたらす学問としての社会科学の使命であるとともに、一橋大学で社会科学を学び、今日、巣立っていく皆さんの責務でもあります。若い皆さんは、大きな転換点を迎えている世界に漕ぎ出し、ぜひ、社会の改善に貢献する働きをしてほしいと思います。

 本学は、商法講習所として始まり、伝統的にCaptains of Industryの養成を使命としてきました。Captains of Industry と聞くと、皆さんは実業をリードする企業経営者をイメージされるかもしれません。しかし、実はそれよりもはるかに深い意味を含んでいるものなのです。Captains of Industryという語は、19世紀イギリスの歴史家・思想家、トーマス・カーライルの著書『過去と現在』の第4章に見出されます。その中で、カーライルは次のように述べています。

“Captains of Industry are the true Fighters, henceforth recognizable as the only true ones: Fighters against Chaos, Necessity and the Devils and Jötuns; and lead on Mankind in that great, and alone true, and universal warfare.”

カーライルは、Captains of Industryとは、混沌、必然、諸悪に対して戦い、人類を導く真の勇者であると述べているのです。産業革命期のイギリスにあって、利益のみを追い求める拝金主義の産業資本家ではなく、実業から社会変革を起こすリーダーが求められていたのでありましょう。そして、Captain――船長――とは、世界の荒海の中で未知の問題に直面しても、自分の船の特徴を知り、周囲の状況を的確に把握し、進路を見出していく者です。そのCaptains of Industryのスピリットは、企業経営や経済に限られるものではなく、法、政治、社会、学術などのあらゆる分野に生かされるべきものです。
私は皆さんの中から、真のCaptains of Industry、つまり、世界の諸問題の解決に貢献するリーダーが生まれることを大いに期待しています。
しかし、リーダーだけが社会改善への貢献を担うのではありません。社会の諸問題の解決は、政治家、官僚、経営者、あるいは学者等の立場にある人だけが取り組めばよいというものではないのです。一人ひとりの市民が問題に関心を持ち、解決への道筋を考え、他者との関わりの中で議論を経て、社会的価値判断が形成されてこそ、社会はより良い方向へと動き出すのです。社会とは人間の集合体です。社会における選択は、それを構成する個人による選択の集積に他なりません。社会科学を学び、変化の激しい時代に生きていく皆さんには、時代の転換点となるような重要な社会的選択の場において、的確な判断を下し、社会を正しい方向に導く力となってほしいと望みます。

 そこで思い出されるのは、アルフレッド・マーシャルの残したcool heads but warm heartsという言葉です。近代経済学の礎を築いたマーシャルは、1885年のケンブリッジ大学教授就任演説において、冷静な頭脳と温かい心をもつ人々を育てたいと述べました。社会的選択の場で、皆さん一人ひとりに求められるのは、まさにこのcool heads but warm heartsに他なりません。
 皆さんは、一橋大学の伝統である少人数ゼミナールなどで専門分野を深く学び、社会科学的思考の修練を積んできたことと思います。どの学問分野も、混沌とした現実の問題から本質的な要素を抜き出し、概念化し、論理的思考によって問題の解を見出すための方法・フレームワークを作り出してきました。科学の理論とは、現実をそのまま写し取ったものではなく、むしろ、可能な限り少ない前提からいかに多くのことを説明できるかということを目的として論理的に組み立てられた構造体なのです。前提が少ないほど、そのモデルの汎用性は高まるといえます。
 皆さんの中には、大学で専門分野を学ぶ中で、理論と現実は違うと感じ、理論を学ぶ意義に疑問を感じた人もいるかもしれません。私にもそのような時期がありました。経済学の勉強を始めた頃、現実の経済現象と経済学とのギャップを感じ、そもそも科学とは何かということを考えるようになりました。そんな時に手にしたのが中谷宇吉郎の著わした『科学の方法』(岩波新書)です。雪の結晶の研究で有名な著者は、科学の本質と限界、科学で解ける問題と解けない問題などについて、深い思索に基づいて、概略、次のように説いています。

科学には本来、限界があり、広い意味で再現可能な現象を、自然界から抜き出して究明していく学問である。再現可能とは、同じことを繰り返せば、同じ結果が出るという確信をもてることである。広い意味での人間の利益に役立つように見た自然の姿が、科学の見た自然の実態である。他方、科学では、テレビ塔の頂から薄い紙を落とした時にどこに着地するかといった非常に不安定な現象に関する問題は取り扱い難い。

 中谷宇吉郎の説明は社会科学にも当てはまります。社会科学もまた、広い意味で「再現可能な」現象を究明していきます。例えば、経済学の基本定理の一つは、「完全競争市場で達成される資源配分は効率的である」というものです。「完全競争市場」は現実には再現可能ではありませんが、我々は因果律に基づいてこの定理に確信をもち、さらに、この定理を参照枠frame of referenceとして、現実の市場で非効率性が発生する原因を究明していきます。まさに、「人間の利益に役立つように」社会の姿を見ているのです。一方で、金融バブルといった非常に不安定な経済現象は、経済学でも取り扱い難い問題です。
 商学、経済学、法学、社会学といった専門分野は、それぞれが重要と考える社会現象の一部から本質的な要素を抜き出し、思考の枠組frame of referenceを構築してきました。マーシャルのいうcool headsとは、汎用性の高い思考の枠組を身に付け、新しい問題に対しても論理的思考によって解を見出すことのできる力を指します。皆さんも、大学で専門分野を学ぶことによって得られた思考の方法とフレームワークを、これから大いに活かしていってほしいと思います。

 よりよい社会を築いていくためには、問題を客観的に把握し、論理的かつ実証的に分析するだけでは十分ではありません。cool heads、つまり冷静な事実認識に基づきつつ、warm hearts、つまり他者への共感をもち、何が社会的に望ましいかという規範的判断をしていかなければなりません。
 何が社会的に望ましいかという判断を行うためには、社会とは何か、自由とは何か、ひとの幸せとは何か、といった根源的な問いにまで戻る必要があります。各人が自分の望むように生き方を選択することができるという能動的な意味での自由を実現するには、各人に選択の機会が与えられていなければなりません。
 一方、地球上の資源の総量には限りがありますから、社会的決定は常に資源の制約の下でなされます。稀少な資源を使って得られた限られた成果を分け合わなければならない状況では、すべての人の選択の機会を同時に拡大させることは不可能です。したがって、能動的な意味での自由の実現を巡っては、人々の間に対立が生じる可能性があります。
 それぞれの人が個別の利害を主張し合う中からは、対立を乗り越えて社会的解決に導く道は開かれません。利害対立の状況を解決し得る規範は正義です。正義に適う分配のルールとは何か。私たちは冷静に事実を認識するとともに、自分の個別利害や現実的状況から一旦離れて、可能な限り普遍的な立場で望ましい社会とはどうあるべきか思考し、さらに他者との議論の中で、場合によっては自らの判断を修正していく柔軟性も求められます。
 そのプロセスの中では、事実認識と価値判断という2つの段階のそれぞれで、人々の間に意見の相違が生じる可能性があります。とりわけ、科学技術が急速に発展する時代には、事実認識におけるギャップも大きくなりがちです。
 そこで重要となるのが、他者との対話なのです。ジョン・スチュアート・ミルは、『自由論』の中で、「人が判断力を備えていることの真価は、判断を間違えたときに改めることができるという一点に」あり、「人は議論と経験によって自らの誤りを正すことができる」のであって、「経験のみで正されるわけではなく、議論によって、経験をいかに解釈すべきかが示される。」と述べています。
ミルのこの主張は、現代において、2つの点でさらに重要な意味を持つに至っています。まず、社会が急速にグローバル化する中で、グローバルなレベルでの対話が一層必要になっています。一橋大学では、如水会等のご支援により充実した留学制度を備えていますので、卒業生の中にも留学経験のある方が多いことでしょう。留学の大きな意義の一つは、歴史も文化も慣習も異なる地に身を置く中で、その地の人々との対話を通じて自分のそれまでの思考方法や価値判断を相対化し、見直すことによって、より普遍的な判断を得ることにあるのです。皆さんはこれから仕事で海外に出る機会も多いことでしょう。そのときは、ぜひ自分自身を磨く機会としても活かしていってほしいと思います。
一方、現代ではインターネットなどの情報伝達手段が格段に進み、情報が溢れかえって混乱し、事実を見出せないという問題が起きています。どの情報も事実の一面を切り取って解釈したものに過ぎず、情報の荒波の中で、逆に真の事実が見えにくくなっています。様々なメディアやネットという表に出た情報の裏に、たくさんの事実があることを知らなければなりませんが、それは大変な困難と労力を要します。私たちが真の事実を知るためには、個の能力を超えて、他者との対話が必要です。次の時代を担う皆さんは、冷静な現状認識と判断を持ち、他者との関わりの中で説明と議論を経て真の事実を見出し、発展していくことに貢献してほしいと思います。

 本学の卒業生の皆さんは、大学での勉学をもとに社会へ出て、あるいは研究を続け、これからいろいろな経験を積もうという意欲を持っている人が多いと感じます。その卒業生にとって、一橋大学は「港」のような存在でありたいと私は考えています。さまざまな社会経験を経て多くの課題に気づく時、現場での知識や経験のみでは切り抜けられず、正しい判断をするために基礎となる学問が生きてくることもあるでしょう。そして再び学び思考を深めたいと考えた時、思う存分学ぶことができる、そのような場を大学は提供し続けていきたいと思います。そして大学は、基礎的研究が机上で孤立したものではなく、世の中で抱えている課題を背負った時に生かされるように努めていくべきです。
 ですから私たちもまた、今日卒業する皆さんがそれぞれの現場で見出した問題意識を再び大学に投げかけてくれることを期待しています。学問にゴールはありません。学問とは、事実を把握するために人間が作り出した思考の枠組であり、それは常に新しい経験に晒されることによってブラッシュアップされていかなければならないものなのです。
 大学は社会をよりよくするための知的資産を創造する場です。経験と理論がぶつかり合う中から新たな知が生まれてきます。その創造のプロセスを共に歩もうではありませんか。

 皆さんはこれからそれぞれの選んだ道を歩まれます。何よりも自分が自分らしくあり、生き生きと活躍の場を与えられることほど幸せなことはないでしょう。しかし、はじめから理想や夢を掲げ、それを実現できたと思える人はごく稀です。どのような場にあっても日々の役割を主体的にかつ誠実に実行するなかで、徐々に自らの天職は何であるかが見えてくるものなのではないでしょうか。
 世界という広い海に漕ぎ出していく皆さんの前途は洋々としていますが、ときとして困難もあることでしょう。しかし、磨かれた己の「知」と感性を駆使し、懼れることなく道を切り開いていってください。
そのエールを送り、私からの餞の言葉とさせていただきます。

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