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平成27年度学部入学式における式辞

2015年4月2日

平成27年度学部入学式式辞
探究する喜び・貢献する喜び

一橋大学長 蓼沼宏一

 国立の大学通りの美しい桜並木が、ちょうど満開になりました。皆さんの入学をお祝いしているかのようです。
 新入生の皆さん、入学おめでとうございます。また、ご臨席賜りました新入生のご両親などご家族の方々にも、お祝いを申し上げます。一橋大学教職員一同を代表しまして、すべての新入生を心より歓迎いたします。

 さて、皆さんが晴れて入学した一橋大学には、最先端の研究を推進しつつ教育にも情熱を注ぐ優れた教授陣、ゼミナールを中心とした密度の濃い少人数教育、質の高い多様な留学制度、全国屈指の大学図書館、緑豊かな美しいキャンパスなど、学ぶために最高の資産と環境が揃っています。その資産と環境を活かし、皆さんが「喜び」の多い大学生活とその後の人生を送ることを、私は心から願っています。私は特に「探究する喜び」と「貢献する喜び」をともに経験してほしいと思います。
 大学は知的探究の場です。人間とは何か、どのように行動するものか、その人間から構成される現代の社会や経済はどのような仕組みで動いているのか、望ましい社会経済システムとは何か等々、人と社会に関わる社会科学に限っても、様々な「知りたい」という気持ちが湧いてくることでしょう。大学では、まず、知的探求を楽しんでほしいと思います。
 受験勉強に追われてきた皆さんの中には、「学ぶ」喜びから遠ざかってしまった人もいるかもしれません。しかし、「知りたい」という好奇心は、人間が生まれながらに持っているものです。生まれたばかりの赤ちゃんは、目を一杯に見開いて、外の世界が何かを捉えようとします。三歳児ぐらいになると、親や周囲の人に「どうして」「どうして」という質問を連発するようになります。人間は、物心つくころから、世界が何かということだけでなく、「どうして」そうなのかという理由や因果関係にも興味を持っていると言えるでしょう。このように人間が生まれながらに持っている「知りたい」という気持ちを、皆さんは大学で思う存分満たしてください。
 さて、人と社会に関わる社会科学の知的探求には、いくつかの段階があります。まず、社会現象の表層を捉えること。景気変動、経済格差、国際紛争など、日々報道される様々な社会現象や事件に関心をもち、観察し、理解することです。
 次の段階は、社会現象や事件の因果関係を明らかにすることです。現象の背後の目に見えないメカニズムを解明するには、人間は思考の枠組み、つまり理論を必要とします。たとえば、景気変動がなぜ発生するのかということを、経済学は消費者、企業、政府などの行動をまず説明し、それらの人々の行動の集積として国や世界の経済活動の変動が起こるメカニズムを明らかにしようとします。理論は、人間が頭の中で作り上げた枠組みですから、それが的確に現実を説明しているかどうかは、データに基づき、厳密な統計的分析で検証されなければなりません。ここまでが知的探求における「事実解明」の段階です。
 しかし、ここで社会科学の役割が終わるわけではありません。事実を解明する「光をもたらす学問」から、人々の幸せという「実りをもたらす学問」へと、次の段階に進まなければなりません。
 社会経済システムは、長い歴史の中で人々の相互作用を通して生成されてきたという進化的な側面と、社会を構成する人々の選択によって改変可能であるという社会選択的な側面の両方を備えています。社会は人間自身が構成要素であるが故に、ときには社会的選択による大きな変革も可能です。社会をよりよいものに変革していくには、どうすべきか。まず正しい方向が示されなければなりません。そのためには、何が社会的に望ましいか、という規範的な基準が必要です。
 事実の認識と異なり、何が望ましいのかといった規範の問題は主観的な判断に依存し、常に意見の対立があるから、解決不可能であると考える人もいるかもしれません。この主張には、2つの点で誤りがあります。まず、人間の認識能力には限界があるため、事実の認識ですら主観的対立が含まれることがあります。かつての天動説と地動説の対立を思い浮かべれば、このことは了解されるでしょう。
 次に、規範の問題についても、人間は主観的判断を一時離れて、可能な限り普遍的な立場に立って判断するという知的活動を行うことが可能だということです。確かに、人が自分の属する国、人種、地位、資産、能力など、自分に特有の条件を知った上で、自己の利益を高めるように行動するならば、自分に有利な社会制度や成果分配のルールが望ましいと主張することでしょう。その場合には、個人間の意見の対立は決してなくなりません。
 しかし、ひとたびこうした自分という存在を規定する特有の条件が、ヴェールに覆われていて知ることのできない状況に置かれたと想定したならば、どうでしょうか。自分が社会の中でどのような立場になるか分からないとしたならば、人は自分が最も不利な境遇になる可能性をも考慮して、社会制度や成果分配のルールの望ましさを判断することになるでしょう。
 知的探求が規範の領域に入るときには、個別特有の状況から離れた普遍的な立場から判断するという、一層高度な知的活動が必要になるのです。皆さんの探求の旅が、事実解明の段階だけでなく、規範論にも至ることを期待します。そのときに、より深い探求の喜びを経験することができるでしょう。
 さらに、専門分野の勉強を続けていくと、やがて課題を見出し、論理的に思考し、問題の解を見出していくという思考の枠組が、自分の中に出来てきます。いわば、学びの方法が身についてくるのです。こうなれば、探究する喜びは一生、続くことになります。知識自体は、たとえ学んだときには最先端のものであったとしても、時代とともに陳腐化していくのは避けられません。したがって、勉強は一生続けなければなりません。
 大学では、専門知識を吸収することも重要ですが、それ以上に、学ぶということはどういうことなのかという、学びの方法を身につけ、一生続く探究の基盤を作ってほしいと思います。

 さて、「実りをもたらす学問」である社会科学の探求は、実際に社会に「貢献する喜び」に自然に繋がっていくことでしょう。人は自分の生活が満たされているだけでは、本当の喜びは感じられないのではないでしょうか。他者の役に立つ、社会に貢献する、ということが実現できたときに、深い喜びと充足感が得られるものだと思います。一橋大学で学ぶ皆さんは、ぜひ、社会の改善に貢献する喜びを人生の中で経験してほしいと願っています。
 現代の世界では、経済の不安定性、富の格差と貧困、環境破壊、各地で発生する組織間の紛争などの問題が深刻になっています。日本では、東日本大震災からの復興はいまだ途上にあり、人口の少子高齢化と世代間分配の問題も重大です。経済活性化のために、企業経営の改善も求められています。これらの課題の解決には、社会科学の英知が不可欠です。私は、社会科学を学ぶ皆さんの中から、こうした世界および日本の諸問題の解決に貢献するリーダーが生まれることを大いに期待しています。
 しかし、社会改善への貢献とは、リーダーとなることだけを意味するものではありません。社会の諸問題の解決は、政治家、官僚、経営者、あるいは学者等の立場にある人だけが取り組めばよいというものではないのです。一人ひとりの市民が問題に関心を持ち、解決への道筋を考えてこそ、社会はより良い方向へと動き出すのです。
 よりよい社会を築いていくためには、現実の問題を客観的に把握し、実証的に分析するとともに、幅広く深い教養に基づく優れた規範意識をもって、何が社会的に望ましいかという判断をしていかなければなりません。実証に基づく現状認識が規範の現実適用性を磨く一方、規範が現実を変える推進力となります。こうして実証と規範が歯車のようにかみ合うときに、はじめて社会改善は実現するのです。
 さらに、独善に陥ることなく、周囲の他者からも共感を得るためには、自分の考えを他者にも分かりやすく伝え、説得する力が必要です。他者の意見にも耳を傾け、自分の判断と比較して、場合によっては自ら修正していく柔軟性も大切です。そうして合意形成を進めていく力も、皆さんにいま、求められているのです。

 グローバル化の進む世界にあっても、自らの人生を豊かに設計し、社会に貢献する働きをするため、大学でいろいろな能力を磨いてほしいと思います。世間でも、いわゆる「グローバル人材」の育成の必要性が強調されています。一般には、「グローバル人材」と言うと、英語のコミュニケーション・スキルに長けた人材がイメージされているようです。
 しかし、私は本当に重要なのは、人間の基幹となる力であると思います。すなわち、幅広い視野、深い専門知識に基づく論理的思考力、優れた規範的判断力、自分の考えを他者に伝える表現力、そして他者を尊重できる柔軟性です。一橋大学の少人数で密度の濃いゼミナールは、こうした人材としての基幹的な能力を磨くのに最適な場です。毎回のゼミナールでの勉学や研究発表は、これらの能力を着実に向上させる修練となります。一方、幅広い視野を身につけるためには、自分の専門分野と異なる分野を学ぶことも有益です。伝統的に学部間・研究科間の垣根が低い一橋大学の特長を、大いに活かしてください。
 次の時代を担う皆さんには、いま述べました人材としての基幹の力を磨くことがまず重要ですが、それとともに、グローバル化する社会で新たに求められる力を高めることも必要です。今後、ますます人と情報は国境を越えて早いスピードで行き来するようになります。今や世界の様々な国や地域の人々とも、競争しつつ協力し、共に働くことが求められるようになりました。
 学生時代に、諸外国の人々と真剣に交流する機会を得られれば、何ものにも代え難い経験をもたらしてくれるはずです。一橋大学の誇る充実した留学制度等を、ぜひ積極的に活用してください。海外の提携大学で、自ら明確な目的意識をもって履修計画を立て、外国語で授業を受け、苦労してレポートを作成し、試験を受けて単位を取得する。また、様々な国や地域の人々と議論し、相互の理解を図る。こうした経験によって、外国語でのコミュニケーション能力だけでなく、計画性、忍耐力、柔軟性など、人間の基幹となる力も高められることでしょう。
 次の時代を担うべき皆さんが、これらの能力を大学で磨き、やがて社会の改善に貢献する人材として巣立っていくことを強く期待しています。

 最後に、皆さんにもう一つの期待を申し上げます。それは、一橋大学の歴史と伝統を継承し、さらに発展させる担い手になってほしい、ということです。
 一橋大学は今年創立140周年を迎えますが、その起源は1875年、森有礼が、渋沢栄一や福沢諭吉の協力も得つつ、私塾として開設した小さな商法講習所でした。その後、日本の近代化の過程において、商業に関わる日本の実学教育の主要な担い手に成長し、東京商業学校、東京高等商業学校へと学校の形態を拡大し、1920年には東京商科大学に昇格しました。その前後から、商学だけでなく経済学、法学、社会学、さらには哲学、歴史学など、広く人文社会諸科学にも研究と教育の領域を広げ、各専門分野において日本をリードする、高い水準の研究と教育が行われてきました。第二次世界大戦後、一橋大学と名称を変え、本学は名実ともに社会科学の総合大学となりました。
 このように、本学の歴史は、制度的には私塾から始まり、専門学校、単科大学を経て総合大学に至るという発展過程ですが、重要なのは、研究・教育の内実の拡充発展が先行し、それがある段階に達したときに制度的な拡大が行われてきたという点です。
 さらに、本学の発展には、教職員の努力だけでなく、卒業生の活躍と尽力もまた、なくてはならないものでした。本学は伝統的にCaptains of Industryの養成を掲げてきましたが、Captains of Industryとは、単に実業を上手く切り盛りするだけではなく、実業を通して日本及び世界の発展に貢献するリーダーのことです。さらに、そのCaptainsのスピリットは、企業経営や経済に限られるものではなく、法、政治、社会、学術等のあらゆる分野で活躍する卒業生にも生きています。
 本学はまた、密度の濃いゼミナールにおける教育を常に重視してきましたので、教員と学生、あるいは学生同士の繋がりは強く、それは卒業後も続きます。同窓会組織であり、かつ大学支援組織でもある如水会の力強い支えのお蔭で、世代を越えた卒業生の間の繋がりも強固で、皆さんも様々な面でその恩恵を受けることでしょう。
 こうした歴史と伝統をもつ一橋大学に入学した皆さんは、その恩恵を受けるだけでなく、本学の更なる発展に貢献してほしいと強く望みます。内実の拡充発展がない限り、本学の真の成長はありません。皆さんが、将来、各界のCaptains として活躍されることを期待するとともに、皆さんの中から、日本の社会科学研究をリードしてきた一橋大学の学問の伝統を継承し、一層発展させる研究者が生まれることも望んでやみません。

 一橋大学は、一人ひとりの学生を丁寧に育成し、責任を持って社会に送り出すことを何よりも大切にしています。皆さんが本学のもつ豊かな資産と環境を十分に活かし、現代の社会で大いに活躍する人材として巣立っていくために、われわれ教職員もさらに質の高い教育研究機関を目指して、それぞれの学生が歩む大学生活を共に大切にし、発展してゆきたいと思います。
 皆さん一人ひとりが、実り多い大学生活を送られることを心から祈り、私からの歓迎の言葉とさせていただきます。



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