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平成26年度学部卒業式における式辞

2015年3月20日

平成26年度学部卒業式式辞 
社会改善への貢献

一橋大学長 蓼沼宏一

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。また、ご臨席賜りました卒業生のご両親などご家族の方々にも、ご来賓の皆様及び教職員一同とともに心よりお祝い申し上げます。
 皆さんがこの卒業の日を迎えられたのは、何よりも皆さん自身の努力と研鑽の賜物ですが、ご家族など身近な方々の支え、指導教員や友人からの助言や励ましもなくてはならないものであったことでしょう。さらに、一橋大学の優れた教育研究環境と、本学の諸先輩が築いてきた伝統や同窓会組織である如水会の活動等から受けた恩恵にも思いを至らせていただきたいと思います。

 本日、卒業する皆さんに、まず、これからの人生に幸多かれ、とお祈りいたします。一橋大学を巣立つ皆さん一人ひとりが、自ら豊かな人生設計をされ、それを実現されることを心から願っています。

 一橋大学は、今年、創立140周年を迎えます。そして今年はまた、第2次世界大戦終戦から70周年となります。つまり、一橋大学はいま、その歴史がちょうど戦前と戦後の70年間ずつに分かれる時点に至ったのです。70年といえば、ほぼ人間の一生の長さにあたります。いわば、本学は人間にたとえれば、第一代、第二代を経て、第三代目に入るところとも言えるでしょう。私は、この70年という時間は、同じ時期の日本の歴史を分ける期間にもなるのではないかと思います。
 戦前の70年あまり、日本は近代化に邁進しました。商法講習所という小さな私塾として出発した一橋大学はその後発展を重ね、商業の興隆こそ日本の発展の礎であるという認識のもと、実業をリードし、日本の近代化を担う人材を育成してきました。しかし、戦争で多くの人々が犠牲と損害を被ったことを、私たちは忘れてはなりません。
 戦後の70年、日本は復興と経済成長を実現してきました。一橋大学は引き続き商業・経済のリーダーとしての役割を担い続けました。高度経済成長期における本学の卒業生の活躍には、目覚ましいものがあります。しかし、バブル崩壊後の1990年代以降、最近はやや良い兆候は見られるものの、日本経済は長期停滞からなかなか抜け出せない状態が続いてきました。
 今年卒業する皆さんは、次の70年の日本および世界の形成を担う立場にあります。現代の世界は、まさにその転換点にあります。急速なグローバル化は社会のあらゆる面に及び、社会の実相は大きく変化しようとしています。大きな転換点を迎えている世界にこれから漕ぎ出す皆さんには、ぜひ、社会の改善に貢献する働きをしてほしいと思います。
 一橋大学研究教育憲章は、本学のミッションを「日本及び世界の自由で平和な政治経済社会の構築に資する知的、文化的資産を創造し、その指導的担い手を育成すること」と掲げています。本学は、伝統的にCaptains of Industryの養成を担ってきましたが、Captains of Industryとは、単に実業を上手く切り盛りするだけではなく、実業を通して「日本及び世界の自由で平和な政治経済社会の構築に資する」リーダーでなければなりません。さらに、そのCaptainsのスピリットは、企業経営や経済に限られるものではなく、法、政治、社会、学術などのあらゆる分野に生かされるべきものです。
 現代の世界では、富の格差と貧困、経済の不安定性、環境破壊、国家・地域間や企業間の紛争、人口の高齢化などの問題が深刻になっています。その解決には、社会科学の英知が不可欠です。私は、社会科学を学んだ皆さんの中から、こうした世界の諸問題の解決に貢献するリーダーが生まれることを大いに期待しています。
 しかし、さきほど私の申し上げた社会改善への貢献とは、リーダーとなることだけを意味するものではありません。社会の諸問題の解決は、政治家、官僚、経営者、あるいは学者等の立場にある人だけが取り組めばよいというものではないのです。一人ひとりの市民が問題に関心を持ち、解決への道筋を考えてこそ、社会はより良い方向へと動き出すのです。この点が、社会と自然との大きな違いです。
 社会とは人間の集合体です。人にとって、社会とは自然と同様に客観的な観察対象であるとともに、自分自身がその構成員であるという二重の構造を有しています。社会における選択は、結局は個人による選択の集積に他なりません。私たちは、戦前における社会的選択の誤りの連鎖が、戦争の惨禍を生じさせたことを思い出す必要があります。その原因は、もちろん政治経済社会の指導者の誤った選択によるところが大きいとはいえ、その背後には国民一人ひとりの選択もあったはずです。バブル崩壊後の長期的な経済停滞もまた、経営者や政治家だけでなく、経済を構成する人々すべての選択の集積であることを認識しなければなりません。
 社会経済システムは、長い歴史の中で人々の相互作用を通して生成されてきたという進化的な側面と、社会を構成する人々の選択によって改変可能であるという社会選択的な側面の両方を備えています。自然界を人間の力で変えることは、ほとんど不可能ですが、社会は人間自身が構成要素であるが故に、ときには社会的選択による大きな変革も可能なのです。
 社会科学を学び、変化の激しい時代に生きていく皆さんには、社会的な選択の場において的確な判断を下し、社会を正しい方向に導いていってほしいと望みます。そのためには、実証に基づく冷静な現状認識と優れた規範的判断の双方が必要です。
 皆さんは、一橋大学の伝統である少人数ゼミナールなどで、専門分野を深く学び、社会科学的思考の修練を積んできたことと思います。どの学問分野も、問題を把握し、概念化し、論理的思考によって問題の解を見出すための方法・枠組を作り出してきました。専門分野を勉強する目的の一つは、知識を豊かにすることですが、それ以上に、汎用性の高い思考方法を習得することが重要なのです。皆さんは専門分野の勉学を通して得られた思考方法と枠組を、これから大いに活かしていってほしいと思います。
 よりよい社会を築いていくためには、問題を客観的に把握し、論理的かつ実証的に分析するだけでは十分ではありません。優れた規範をもって、何が社会的に望ましいかという最終的な判断をしていかなければならないのです。さきほど私が例示した世界の諸問題は、究極的には経済社会の成果分配の問題に帰着すると考えられます。世界の各地で発生している紛争、人口の高齢化にともなう世代間問題、地球環境問題、これらのいずれにおいても成果分配の問題が根本にあると言えます。
 経済活動の成果が増大し、すべての人々が豊かになるときには対立は生じません。しかし、資源が制約され、限られた成果を分け合わなければならない状況では、人々の間の利害が対立し、そのとき、私たちは正義に適う分配のルールは何かという問題に直面することになります。たとえば、一部の人々の不利益は、それを上回る他の人々の利益があるならば正当化されるという功利主義の考え方をとるのか、それとも、経済的不平等は最も恵まれない立場にある人々の状況を改善するときに限って許容されるという、アメリカの哲学者ジョン・ロールズが『正義論』において主唱した格差原理を受け入れるのかによって、社会経済システムのあり方は大きく変わります。私たちは、究極的にはそのような判断を迫られるのです。
 正義に適う分配のルールは何かといった規範の問題は、主観的な判断に依存し、常に意見の対立があるから、解決不可能であると考える人もいるかもしれません。そうなのでしょうか。規範に関して、客観的・普遍的な判断は不可能なのでしょうか。
 私たちは日本という高度経済成長を達成した国に暮らし、世界的に見れば極めて豊かな生活を享受しています。そのことを前提にして、グローバル経済における正しい成果分配のルールとは何かと問われたならば、豊かな自分の生活が守られるようなルールが「正しい」と主張することでしょう。しかし、もし自分が世界の最も貧しい国に生まれ落ちたとするならば、同じルールを「正しい」と主張するでしょうか。人は、地位、能力、資産など、自分に特有の条件を知っているならば、それに有利なように分配のルールを誘導しようするものであり、その場合には、様々な個人の主観的判断の間の対立は消えることはありません。
 規範に関する主観的な判断の間の対立を克服し、普遍的な判断に至るためのヒントが、ロールズの『正義論』にあります。ロールズは、個人に特有の地位、能力、資産などが「無知のヴェール」に覆われていて知ることのできない「原初状態」というものを考え、その原初状態において社会の基本構造や分配のルールが選ばれるものとします。誰も自分に特有の条件を知ったうえで、それに有利なように図ることのできない状態であるからこそ、選ばれるルールは正義に適うと根拠付けるのです。さらに、どのような境遇になるか分からない状況では、誰もが最も恵まれない立場に陥る可能性を考慮するので、原初状態では、経済的不平等は最も恵まれない立場にある人々の状況を改善するときに限って許容されるという格差原理が選ばれると論じています。
 現実には、各人は自分に特有の地位、能力、資産などを知っているので、原初状態は想像上のものです。つまり、正義に適う分配のルールは何かといった規範の問題に対しては、個別特有な自分の現実的状況から一旦離れて判断しなければならないのであり、そのときに必要なのは想像力なのです。皆さんは、ぜひ、このように普遍的な立場に立って規範的判断をするという姿勢を持ち続けてほしいと思います。
 さらに、独善に陥ることなく、周囲の他者からも共感を得るためには、自分の考えを他者にも分かりやすく伝え、説得する力が必要です。他者の意見にも耳を傾け、自分の判断と比較して、場合によっては自ら修正していく柔軟性も大切です。そうして合意形成を進めていく力も、皆さんにいま、求められているのです。
 次の時代を担う皆さんが、ここで私が申し上げたような冷静な現状認識と優れた規範的判断、そして合意形成に導く柔軟性を備え、社会の改善に貢献することを切に期待しています。

 さて、卒業する皆さんに、さらに幾つかの期待を申し上げたいと思います。
 グローバル化の進む社会でも逞しく生き抜き、そして社会に貢献するためには、これまでの時代よりも一層多くの力が求められるようになってきました。今後、ますます人と情報は国境を越えて早いスピードで行き来するようになります。いまや世界の様々な国や地域の人々とも相互に理解し、尊重し、協働することが求められるでしょう。そのため、より高いレベルのコミュニケーション能力が必要になっています。
 一橋大学は、1987年から如水会や企業等のご支援による独自の「海外派遣留学制度」で1年間の派遣留学を実施するなど、早くから教育の国際化に取り組んできましたので、学生の皆さんの中にも、世界に目を向け、海外でいろいろな経験を積もうという意欲の高い人が多いように感じます。皆さんには、ぜひその姿勢を持ち続け、可能な限りの機会を捉えて、様々な分野で海外に雄飛し、活躍してほしいと願っています。

 その一方で、個々の卒業生にとって、一橋大学は「港」のような存在でありたいと私は考えています。大学で多くのことを学び、教員や友人と交流し、人間としての資産を蓄積して社会に巣立っていった卒業生が、ふと学生時代をなつかしく思ったときにいつでも訪れることができる、また、さまざまな社会経験を経た後、再び学問を修め、思考を深め、さらなるステップアップを目指したいと考えたときに帰ってきて、思う存分学ぶことができる、そのような場を提供したいと思います。
 時代の早い流れのなかでは、学校で学んだ「知識」はすぐに陳腐化してしまいますから、勉強は一生続けなければなりません。専門分野の勉強を通して習得した思考方法ですら、社会が大きく変化するときには新しい枠組に組み替えていくことが必要になる場合があるでしょう。一橋大学では、今後、社会人が再び学ぶための教育プログラムを充実させていくことを構想しており、卒業生の皆さんには、ぜひその機会を活かしていただきたいと思います。

 皆さんには、いろいろな期待を申し上げましたが、皆さん一人ひとりにとって、これからの人生は「天職」を見つける旅路だと言えるのかもしれません。冒頭に私は皆さんに幸多かれと祈りましたが、天から与えられたと思える職を見出すこと、自分が自分らしくあり、社会で生き生きと活躍の場を与えられることほど、幸せなことはないでしょう。
 その「天職」について、内村鑑三は「如何にして我が天職を知らん乎」において、次のように述べています(一部省略)。

天職を発見するの法は今日目前の義務を忠実に守ることであります。天職は之に従事するまでは発見することの出来るものではありません。予め天職を見附け置いて然る後に之に従事せんと思ふ人は終生、其天職に入ることの出来ない人であります。

皆さんは、これからそれぞれの選んだ職に就いていきます。はじめから天職に就いたと思える人は、ごく稀です。内村鑑三が言うように、日々の職務を誠実に実行するなかで、徐々に天から自分に与えられた使命が何であるかが見えてくるものなのではないでしょうか。

 実社会に巣立つ皆さんには、いま期待と不安の両方の気持ちがあるかもしれません。最後に、『論語』の中の次の言葉を贈ります。

仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。

皆さんは、これからあらゆる分野で世界という広い海に漕ぎ出していきます。その前途は洋々としていますが、ときとして困難もあることでしょう。しかし、徒に憂えず、己の「知」を駆使して、懼れることなく道を切り開いていってください。
 そのエールを贈り、私からの餞の言葉とさせていただきます。

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