日米科学技術協力の質的変容~援助から貢献へ~
なぜ日本と米国は、1970年代後半から1980年代にかけて、科学技術協力を変化させたのか。このテーマに関する先行研究は、米国の対日政策が、米国の西側同盟戦略の中に置かれていたという冷戦期の日米関係の特徴を見落としている。ゆえに、その分析は木を見て森を見ていない。
そこで、本研究では、一次史料に基づき、米国の対西欧政策を踏まえて、米国の対日政策を包括的に分析し、日米間の科学技術協力について歴史的に検討する。日米科学技術協力は冷戦初期に始まったが、それは米国の突出した科学技術水準に裏付けられていた。その後、日本は科学技術力を向上させた一方で、米国は相対的に科学技術力を低下させた。その結果、1970年代末には、日米間の科学技術水準差が縮まった。1980年代、米国は日本に対し、科学技術協力を打診し、既存枠組みに変更を求めた。
以上を分析することで、冷戦終焉期における「冷戦構造の中の日米関係」を明らかにする。