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東アジアにおける海洋のガバナンス形成と中国

  • 法学研究科教授秋山 信将

2013年秋号vol.36 掲載

『第2章 東アジアにおける「グローバル・コモンズ」のガバナンス
――海洋の秩序形成をめぐる日米中関係の一考察』より

はじめに

近年、尖閣諸島をめぐる日中の摩擦が高まっている。2012年8月15日に香港の活動家が尖閣諸島に上陸し、日本政府はこれらの不法上陸者たちに対して強制送還の手続きを取った。これは、2010年9月に尖閣諸島沖で発生した中国漁船による日本の海上保安庁の巡視船への衝突事件と併せ、尖閣諸島の領有権をめぐる日中対立の深刻さとともに、その多面性を改めて認識させる契機となった。
2010年の漁船衝突以降、そして今回の尖閣上陸事件後の外交の展開は、国家間の権力闘争としても、海洋秩序というグローバルな公益性を持った領域(「グローバル・コモンズ」)におけるルール・メイキング、ガバナンスの形成過程としても興味深い。海洋というのは、多くの国にとって国家安全保障戦略をめぐる権力闘争が展開されるアリーナ(劇場)であり、同時に、グローバル化した経済活動を支え、国際社会全体の福祉の向上のために安定的な秩序の求められる領域である。
日本にとって、この海洋の秩序は極めて重要な意味を持つ。日本という国の規模を見ても、領土の面積でいえば世界で61番目にすぎないが、日本の「海」は、領海、接続水域、排他的経済水域を含めるとその面積は世界第6位を誇る。また、全貿易量の99.7%を海運に依存しており、海洋の安定した秩序は極めて重要な「国益」とみなすことができよう。近年注目されている豊富な海洋資源の開発も併せて考えれば、世界第6位の面積を誇る海を持つ日本にとって、海洋の秩序がどのように維持されていくのかは、非常に重要な課題である。
その意味で、政治・軍事大国として台頭し、グローバルな経済大国としても不可欠なプレーヤーとなってきた中国が、この領域の国際秩序形成に、パワー・バランスとルール・メイキングの両面でどうかかわるのか注視する必要がある。

緊張するアジアの海

近年の中国による海洋進出には目覚ましいものがある。中国海軍は、沖縄から台湾、フィリピンを結んだ線を「第一列島線」と呼んで最重要防衛海域と位置づけ、その内側における制海権の確立を目指している。また、この第一列島線を越えて潜水艦やその他の海軍艦船が自由に行動できるような能力の獲得を目指しているといわれている。
アメリカは、2010年のQDR(「4年ごとの国防見直し」)において、中国が、A2/AD:「Anti-access, area-denial(アクセス拒否、領域否定)能力」を獲得しつつあり、東アジアにおける有事(台湾海峡をめぐる危機など)の際に、米軍がこの地域において兵力を展開し、作戦を運用することが困難になってきている、との見方を示している。
また、中国は東南アジア諸国とも領土問題を抱える。南シナ海に点在する南沙(スプラトリー)諸島と西沙(パラセル)諸島の周辺海域には、昔から中国とベトナムに加え、マレーシア、フィリピン、インドネシア、台湾、ブルネイの各国が領有権を主張する領土問題が存在している。中国は、南シナ海におけるこれらの諸島に対して議論の余地のない統治権を持つと主張し(中国国防相)、またたとえ国家間での領有問題があるとしても、それは当事国間で解決する問題であるとの立場を示し、領有問題の「国際化」に対して拒否する姿勢を明確にした。中国のこれらの海域での領有権主張に対しては、アメリカも神経をとがらせ、太平洋への回帰を謳って、ASEAN諸国などとの協調関係を強化し、こうした領土紛争の「国際的な」解決を支持している。
2010年の中国の尖閣問題における強硬姿勢は、南シナ海における領有権問題においても一層強硬な姿勢に出てくるのではないかとの危惧をこの地域において高めた。日本が事態の収拾に動く一方で、逆に事態をエスカレートさせていった中国の強圧的な外交姿勢は、周辺諸国への警戒感を一層高める結果となった。そして、中国のそのような姿勢は、台頭する中国が東アジアにおいて覇権的なふるまいをすることを抑制する役割がアメリカのプレゼンスに期待されることを浮き彫りにしたのである。
さらに、海洋の秩序をめぐるイシューは多様である。シーレーンの安全や航行の自由の確保、それに海軍の軍事行動の自由の確保だけではない。海中及び海底に存在するさまざまな資源の開発をいかに管理していくのか。海洋資源とは、漁業資源は言うまでもなく、海底る天然ガス、石油や鉱物資源、さらに眠には海水に含まれるウランやそのほかの金属類などを含む。これらの資源の管理・開発をだれが担うのか、だれがその権利を持つのかを特定することも重要な海洋の秩序の構成要素である。1969年に中国が尖閣諸島の領有権を主張した背景には、1969年に国連アジア極東経済委員会が、報告書の中で尖閣諸島海域の海底油田に、推定埋蔵量1000億バレルの石油が眠っていることを報告したからだという見方もできる。

海の国際秩序はどう作られるのか

リアリスト学派は、国際社会には絶対的な中央権力が存在せず(アナーキーな状態)、国家間の関係はパワー、もしくはパワーの分布によって国際秩序が形成されていると見る。
その一方、国際秩序の形成の歴史は、条約など、さまざまな国家間のルールの確立を通じた制度化の歴史とみることもできる。すなわち、国家間の戦争・紛争を回避するために、対立する利害の調整メカニズムや、事前に紛争解決のためのルールを定め、各国がそれに従う、すなわち協調することによって平和を維持するための努力がなされてきた。
第二次大戦後、超大国としてのアメリカは、公共財として自らの市場を開放し、同盟国に安全保障を提供し、その一方ではパワーの行使を抑制し、自ら規範とルールに従うことによって、中小国にある、大国による搾取の懸念や、バランス・オブ・パワーの駒として(同盟国である超大国から)見捨てられる恐怖を軽減する。それによって、中小国は国際秩序の規範やルールを守るほうが、独自の限られたパワーによる利益の最大化を目指すよりも国益に資すると考えるようになる。すなわち、秩序の規範やルールの形成で覇権的な役割を発揮してきた大国も、秩序維持に協力もしくは追従する中小国も含めた国際協調を通じて国際秩序は維持されていくのである。
このようなリベラリズムに基づく国際秩序は、秩序の提供する規範やルールに沿った行動をする、あるいは規範やルールを破壊するような行動を自制している国家であれば、排除されることなく参加することができる。このような国際秩序を「自由で開かれた国際秩序」と呼ぶことができよう。
特筆すべきなのは、この「自由で開かれた国際秩序」は、一定の国際規範とルールを尊重する国であればどの国にもアクセスが可能なものであり、BRICsをはじめとする新興国の経済成長は、自由貿易体制のもとで初めて可能になったのである。
この「自由で開かれた国際秩序」は、中国をはじめとする新興国の台頭によって、覇権国たるアメリカが公共財を提供する階層的な秩序を脱却し、日本やヨーロッパ諸国といった既存の有力国だけでなく、中国やインドといった新興国も含め各国が公共財の創出、維持に役割を果たすことが期待されるフラット化した秩序となる。
しかし、中国のような新興国が、既存の「自由で開かれた国際秩序」の維持のために、どれだけ自国の国益や価値観において妥協できるのかは、不透明である。アメリカでは、2000年代中ごろから中国の台頭について、今後の国際秩序はアメリカと中国という二つの超大国が協調することによって方向づけられるとする「G2」論と、中国は自由主義国とは異なった価値観を持つ国であり、「自由で開かれた国際秩序」に対するかく乱要因となる可能性があるのでそれをしっかりと抑制し、秩序に従うよう方向づけるべし、との議論がせめぎ合っていた。
このような新たな国際秩序形成のあり方の模索が続けられているところに起こったのが2010年の尖閣沖漁船衝突事件である。この事件は、中国による海洋の秩序のあり方をめぐる考え方がこのようなリベラルなアプローチではないことが明らかになった。この事件の後、船長の逮捕及び法的手続き(すなわち主権の行使)の意向を示した日本政府に対し、中国は圧倒的な供給力を持つレア・アース(希土類)の輸出を抑制した。
レア・アースの供給を、係争中の案件、すなわち尖閣の領土問題における自国の政治的立場の強化に絡めた重商主義的な外交手法は、既存の国際経済秩序を支える規範・ルールからは逸脱する手法であり、国際秩序をめぐるゲームの変更を試みたとも見える。この中国の外交姿勢に対しては、日米だけでなく周辺のアジア諸国、それにヨーロッパからも強い懸念や反発を招き、海洋秩序形成への関与に対する中国の姿勢への疑念を巻き起こした。これは、中国にとって大きな誤算であっただろう。

今後の中国外交は?

一方で、2012年の中国の対応は、このような重商主義的な行動を抑制し、日中関係を現状維持(status quo)へと回帰させる姿勢が見られた。たとえ中国が、既存の秩序に対する拒否権を持ち得ても、既存の秩序を代替する新たな秩序を維持することは困難である。であれば、既存の秩序の破壊は中国にとってもより大きなコストをもたらすものにしかならない。だとすれば、中国にとっての選択肢は、既存の秩序にとどまりつつ、拒否権を獲得しその拒否権をちらつかせることによって行動の自由を拡大することが最適解となる。
国際秩序の変革は、既存の秩序に挑戦する国が、秩序の変革から得られる利益が既存の秩序に従うよりも大きなものである場合に起こる。ただし、いったん既存の秩序が失われ、新たな秩序が確立するにしても、新たな秩序の確立に伴う政治的、経済的コストをように秩序を維持負担し得るのか、またどのしていくのか、そのような見通しも含めた損益の計算が必要になってくる。
中国側は、重商主義的手法のリンケージが中国外交に対する国際社会の強い反発を招いたことは十分に理解しており、今後は「グローバル・コモンズ」の持つ高い公共性を維持することと、独自の国益を、公共性を犠牲にして追求するという二つの選択肢の間の外交的損益計算を勘案したうえで、抑制的で慎重な姿勢を当面とり続けることになろう。

(2012年10月 掲載)