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「たのしいさわぎ」を起こす組織のポテンシャルを引き出す

  • 株式会社サニーサイドアップ 代表取締役社長リュウ シーチャウ

2024年7月5日 掲載

PR発想を軸としたあらゆるコミュニケーション手法を用いて、社会やさまざまな企業・ブランドの課題を解決する PR コミュニケーショングループであるサニーサイドアップグループ。2023年7月、その中核会社の代表取締役社長にリュウ シーチャウ氏が就任した。中国出身のリュウ氏は、日本語を全く話せなかった18歳の時に来日し、一橋大学に入学。卒業後はマーケターとして数々のグローバル企業で活躍する。そして、従業員数約200人の株式会社サニーサイドアップのトップに就任し、「組織のポテンシャルを存分に発揮させることが自分の役割」と新たなチャレンジを始めている。(文中敬称略)

画像:リュウ シーチャウ氏

リュウ シーチャウ

株式会社サニーサイドアップ 代表取締役社長

2008年一橋大学社会学部卒。P&Gジャパン、2015年レキットベンキーザー・ジャパンを経て、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のマーケティング本部長に就任。全ブランドの売り上げと収益責任を負い、デジタル戦路を統括。2年間で全ブランドのマーケットシェア向上を実現した後、J&J香港の現地社長として赴任、V字回復を成功させる。2018年FOLIOにてCMO、2019年副社長を務めた後、2020年7月よりレノボ・ジャパン合同会社のCMOに就任。2023年7月よりサニーサイドアップ代表取締役社長に就任。

39歳で日本企業の社長に就任

画像:インタビュー中の様子01

サニーサイドアップと聞いて企業のイメージが湧かない人でも、サッカー選手として日本代表チームやイタリアのリーグで活躍した中田英寿氏のマネジメントを、選手時代から手掛けていた会社と聞けば、理解が進むかもしれない。同社は現在、中田氏以外にも同じく元サッカー日本代表の前園真聖氏、元メジャーリーグ投手の五十嵐亮太氏、パリ五輪への出場を決めた卓球選手の張本美和氏といったトップアスリートのマネジメント会社として知られている。しかし、それは同社の事業の一部に過ぎず、本業はイベントやキャンペーン、メディアなどを駆使して数々の企業や商品、官公庁のマーケティングやブランディングなどのコミュニケーション支援事業を手掛ける、PRを中心としたブランドコミュニケーションを展開する会社だ。そんな同社は、「たのしいさわぎをおこしたい」をスローガンに、まだ知られていないヒト・モノ・コトを世の中に伝え、人々の意識や行動を変え、新しい価値観を創出することをモットーとしている。

同社を1985年に創業し、現在はサニーサイドアップグループの代表を務める次原悦子氏と出会ったリュウは、2023年の初めにグループ会社であるサニーサイドアップ社の社長就任のオファーを受ける。

「お誘いを受けた当時、レノボ・ジャパンでのCMO(最高マーケティング責任者)の仕事が充実していた私は、『とても光栄なお話ではありますが、現時点ではイメージが湧きません』と、率直に伝えました。その一方で、私はよく理解していないことについてすぐにNOとは言わない性格で、『NOと言い切る理由もないので、サニーサイドアップを理解する時間がほしい』とも付け加えました。その後、半年ほど会社と関わり、接触を続けていく中で、『なんて素敵な会社なんだろう』と感じ、自分が社長として指揮を執る姿を鮮明に思い描けるようになりました。そこで、正式に社長就任のオファーを受けることにしたのです」

一橋大学では、一條和生教授(現:一橋大学名誉教授)のゼミで学び、経営に興味を持ったリュウ。その後、外資系企業などでブランドマネージャーやCMOを経て、39歳で日本企業の社長に就任することとなった。

未知の橋へ 一橋大学への挑戦

リュウは、中国は四川省の州都である成都で生まれ、18歳まで故郷で過ごした。

「生まれてから成都の生活しか知らなかった私は、大学進学を前にまだ見ぬ新しい世界へ飛び出してみたいと思うようになりました。留学先はいくつか候補がありましたが、家族で話し合った結果、治安が良く近隣国である日本を選択することにしました」と来日した理由を話す。それまで日本語を使ったことはなく、読むことも話すこともできない状態で日本に来たリュウ。「"あいうえお"から日本語の学習を始めること、それと同時に大学受験勉強に取り組むことは、どちらも一筋縄ではいかない険しい道のりでした。それでも、私には強い信念がありました。その二つの大きな課題を克服するために、諦めずに自分を信じて全力を尽くしました」と述懐する。

受験する大学は、中国にいたリュウにもその名が届いていた著名な私立大学や国立大学を選んでいたところ、日本語を学ぶ先生から一橋大学の存在を聞いた。

「正直、それまで存じ上げませんでしたが、少人数でありながら多角的に広く学ぶスタイルのカリキュラムを知り、教育内容のレベルの高さに興味を持ち始めました。そして、実際に国立のキャンパスを訪れ、風情があり落ち着いた雰囲気の中で勉学に励める環境にすっかり魅了されました」

続けてリュウは、こんなエピソードも話してくれた。

「実は私の名前の漢字『喬』は日本語で『橋』を意味します。一橋の『橋』との一致に、この大学での学びを通して、将来私が何らかの形で架け橋のような存在になれたら、という運命を感じた瞬間でもありましたね」

一橋大学には他の国立大学にはない社会学部があり、そこではリュウが関心を持っていた心理学が学べると知って同学部への志願を決め、私費外国人留学生選抜に合格する。

実際に社会学部の授業を受けてみると、グローバルな用語を使う経済学部などと違って難しい日本語が使われる場合が多く、半分ぐらいは内容が分からず想像しながら聞いた授業もあったという。「誰も『社会学部の言葉は難しい』と教えてくれなかったせい」とリュウは笑う。

一方、一條和生ゼミでは、リーダーシップ論や組織論を研究した。一條ゼミではいろいろなリーダーシップの在り方を研究したが、学生の時は想像の域を出なかったことが、企業で働き始め、実際に目の前のリーダーに当てはめて考察することで、その有効性を実感できた。

「あるリーダーは同じことを言い続け、その企業の強みであるカルチャーを形成するまでになっていました。ところが、その次のリーダーは毎年言うことが違ったのです。結局、後者のリーダーの考えが部下に伝わることはありませんでした。リアルなケースを目の当たりにして、一條ゼミで学んだことが実証できたように感じましたね。恩師とは、今でも交流が続いています。こうした経験を通じて、組織マネジメントへの関心を深めていけたと、先日も改めてお礼を伝えました」

大学3年次に10社でインターンシップを経験

画像:インタビュー中の様子02

一方、学業以外では、OVAL(Our Vision for Asian Leadership)という日・中・韓のトップ大学の学生によるインカレサークルの立ち上げに携わった。このサークルは、ビジネスコンテスト活動を通じた東アジアの学生の交流を目的としていた。「OVALでは、第1期目と第2期目だったので、サークル活動もとても充実していました。ここで出会った仲間とは今、ビジネスで繋がったりもしています。出会いに感謝ですね」

また、3年になって比較的時間が使えるようになると、インターンシップに精を出すようになり、金融機関やコンサルティングファームなど、最終的に10社くらいの企業を経験する。

「親からの経済的自立を考えていた私は、収入を得ることがインターンシップの目的の一つでした。といっても、単にアルバイトの一員としてではなく、将来に役立つ経験を積み上げられるように、常に先を見据えた行動を意識していました」

あるスタートアップ企業でのこと。経営陣が集まって中国進出を検討している話を耳にする。そこでリュウは、中国に関する企画書作成を申し出た。

「その際に、時給の範囲内ではなく、完成した企画書を評価していただけるのであれば、30万円で買い取っていただけませんか?と社長に直談判したのです。もちろん、使えないものならお金は要りません、とも伝えました。その申し出に社長が合意してくださったので、三日三晩、寝る間も惜しんで企画書作成に没頭しました。その結果、社長はその企画書に30万円の価値を見出してくださったのです。その時の喜びは、言葉では言い表せないほどでしたね!学生の私にだってできるんだ、という確かな自信を得ました。振り返ってみると、その経験が仕事における成功体験の原点だったのかもしれません」

仮に価値を認めてもらえなくても、失うのは企画書作成にかかった時間だけ。リスクがあるわけでもなく、逆に将来に役立つ実践を学べる。そんな思惑があった。まさにリュウの真骨頂といえるだろう。

一橋大学での4年間は、リュウにとってどんな時間だったのか。

「合格発表の時、隣で大喜びしている女の子がいました。彼女が日本で初めての友人となり、今でも私にとって大切な親友の一人です。それ以来、私の学生時代は日本人と関係を築き、知らなかった国の言葉やカルチャーを吸収しながら勉学に励む日々でした。その4年間は、毎日が宝物のような楽しくかけがえのない日々となりました」

気がつけば、4年間で日本語もすっかり上達していた。

消費者に近いビジネスを標榜し、P&Gジャパンに入社

大学3年の時から就職活動を始めたリュウは、P&Gジャパン合同会社から採用内定を得たことで、3年のうちに就活を終えた。その経緯について、次のように話す。

「スタートアップ企業でのインターンシップを経験し、とてもやりがいを感じたので、当初はスタートアップ企業で働くことを目指していました。ですが、このような企業にはいつでも入れるのでは?と感じる一方で、難関の大手企業には新卒入社となる今しかチャンスがなかなか訪れないかもしれないと、考えを変えました。そこで、外資系コンサルや投資銀行などの就職難易度が高いといわれていた企業を片っ端から受けることにしたのです」

そんなリュウが特に希望したのは、コンサルティングファーム。あらゆる業界や企業を知ることができ、勉強できると考えたからだ。そこで、「インターンシップに合格すれば、難関のコンサルティングファームから内定がもらえる」と学生間で噂になっていた企業にチャレンジし、合格する。

「その会社でインターンを始めると、インターン生たちは皆『P&Gを受ける』と言うのです。なぜかと聞くと、P&Gの採用試験であるグループディスカッションはレベルが高いから、本命のコンサル会社のグループディスカッションのいい練習になると。そう聞いたら、自分も負けるわけにはいかないと(笑)、そのグループディスカッションに参加したいと思い、P&Gにエントリーしました。その結果、内定をいただけたのです」

当初、入社先として候補になかったが、採用プロセスで同社を理解していくうちに入社意向を高めていったという。「消費財を扱うところが生活者により近く、自分の感覚に合っていた」とリュウは語る。そして、同社のマーケティング手法が特に秀でていること、ブランドマネージャーがあらゆるプロセスに責任を持たなければならないところにも魅力を感じた。つまり、マーケティング施策の結果が売り上げ増に伴わない場合でも「セールス部隊の動きが悪かったから」といった言い逃れはできないシビアさがある。ブランド製品の業績向上はマーケティングやサプライチェーン、セールスが一体となって成し遂げられることであり、そんな責任範囲で仕事ができる同社ならば、リアリティを持って経営感覚が磨かれるとリュウは考えたのだ。

「元々コンサル会社に興味を持ったのは、経営を俯瞰的に理解したかったからだと思います。それであれば、P&Gのほうが実践的に経営を学べると思いました」

ブランド業績の全責任を負う

画像:インタビュー中の様子03

2008年4月、P&G入社後、まずは神戸本社でヘアケアブランドを担当する。後に東京オフィスへ異動となり、ペットフードを担当することになる。

同社のブランドマネージャーのミッションは、担当ブランドの売り上げ目標(KPI)に向け、どうすれば達成できるか諸戦略を立てて遂行することだ。消費財の場合、画期的な成分でも発見しない限り製品そのものでの差別化は難しい。そこで、ヘアケアブランドの場合は、CMなどによるイメージ戦略が主流となる。一方のペットフードは...。リュウの考えによれば、ペットフードの市場では、ブランドの差別化を図るためには従来のイメージ戦略だけでは不十分だった。多くの飼い主がすでに特定のブランドを選んでおり、CMや広告だけでは簡単にブランドチェンジすることは難しいと考えた。そこで、より影響力のある存在にアプローチすることを決意した。リュウは、動物病院の院長に掛け合って自社のペットフードを推奨してもらうというチャネルを開拓し、さらにホームセンターのペットフード部門にも働きかけ、販売促進ツールやモチベーション向上策を提供した。

「ペットフードの場合は、CMは作りませんでした。このようにして私は、ビジネスのニーズに合ったマーケティング手法を、実践を通じて学んでいきました」とリュウは話す。

CMOから経営のすべてを見る立場へ

2015年6月には、同じく消費財のグローバルカンパニーであるジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)の日本法人にマーケティング本部長として就任する。

「スカウトされた当時はまだ30歳で、このオファーに半信半疑でした。大手企業の本部長といえば、40代半ばくらいで就くポストというイメージがあったからです。ですが、じっくり話を聞くうちに興味がわき、自分を成長させるチャンスと捉えてチャレンジを決めました」

2年間で全ブランドのシェア向上を果たした後、J&J香港の現地法人に社長として赴任した。

その後、2018年7月には、AIによる資産運用サービスを手掛ける設立4年目(当時)のスタートアップ企業のFOLIOにCMOとして入社し、2019年9月には同社の取締役副社長に就任。

そして2020年7月、パソコン「ThinkPad」で知られるグローバル企業の日本法人、レノボ・ジャパン合同会社に入社し、CMOに就任した。そこで活躍している時に、冒頭で触れたとおりサニーサイドアップグループの次原氏と出会い、同社に魅せられたことで現在に至る。

「次原からのオファーを冷静に考え、CMOの次はCMOではない、さらに高みを目指したいと思いました。J&J香港ではカントリーマネージャーの立場、FOLIOでは副社長、レノボ・ジャパンではCMOでしたから、経営のすべてを見る立場に挑戦してみたい、と。逃げ場のない立場で働く責任は、心地良いに違いないと思えたのです」

そして、「たのしいさわぎをおこしたい」というスローガンを掲げ、社員たちが和気あいあいと楽しそうに働くサニーサイドアップのカルチャーに惚れ込んだ。

「弊社には、ポジティブな意味でいわゆる会社らしくない側面があります。皆で心底楽しむことで素晴らしい仕事を生み出し、結果的に世の中にインパクトを与え、お客様にもご満足いただけるというワーキングスタイルに惹かれました。思えば、一橋大学も一條ゼミもサークルのOVALも、『楽しそう』『雰囲気が良さそう』という感覚で選び、結果的に大正解だったわけです。サニーサイドアップとのご縁もそんな自分の直感を信じることにしました」

既存の組織を良くしていくことが"たのしい"

画像:インタビュー中の様子04

そんなリュウの仕事の流儀とは、どういったことか。「自分が納得したことは徹底的にやる一方、納得できないことには絶対に動かない」と断言する。

ある企業に在籍していた時のこと。時差のあるアメリカのチームから、日本時間の夜間にオンライン会議の要請が入った。その1回目に参加した時、向こう側のメンバーがプレゼン資料を読むだけの内容に2時間付き合わされて以来、参加を要請されても断り続けたという。

「資料などは送られてきたものを読めば済む話です。会議に参加する意義を見出せませんでした。毎週のように開かれ、その都度参加せよと言われ続けましたが、応じることはありませんでした。もしそのことでクビになるのなら、それでもいいとまで思っていましたね。ですが、そんな会議に参加せずとも業績は上げていた。それ以上咎められるようなこともありませんでした」

日本には「和を乱してはならない」「空気を読む」といった不文律的な文化があり、リュウのような行動が取れる人間は少数派であろう。

「私も人間関係は"Give and Take"の順番だと思っていますし、自分だけ得をしたいという考えはありません。"Win-Win"の関係を目指すべきです。一番残念なことは、全員が"Lose"すること。無駄な会議はその典型だと思います。なので、社員たちにはいつも『なぜそれをやるべきか』を問うようにしています」

本質を捉え、最短距離を走ることで高い成果を上げてきたのだろう。

そのようなリュウの仕事ぶりを見て、自ら起業しないのかと尋ねられることが多いという。実は、チャレンジしたことがあった。

「二日酔い防止のサプリメントを開発してオンラインで販売しようと起業したことがありました。ですが、自分一人では何もできないことに改めて気づかされたのです。会社登記もできず、周囲の知人に頼んだほど。結果的に商品は開発できて今でも売られていますが、人を集めて事業を進めることができなかったので、他の人に譲りました。このことで、自分は0→1は向かず、すでにあるもの、既存の組織を良くしていくことが楽しくて好きなのだと気づきました」

そう思い定め、サニーサイドアップのポテンシャルを引き出し、もっと楽しく、もっと強い組織に磨き上げていくことを自らの役割と決めている。

「サニーサイドアップには私の社長室を設けず、経営陣もメンバー同様フリーアドレスのデスクで仕事をしています。『社長』と呼ばずに『シーチャウさん』とファーストネームで気軽に声を掛けてきて、フランクに会話するカルチャーが根付いています。ルールを細かく作り社員を管理するのではなく、一人ひとりが自律したプロフェッショナルの集合体として、高い成果を生み出していく。当社ならば、仕事を楽しみながら成長していけると思いますね」

最後に、一橋大生や一橋大学を目指す受験生に次のようなメッセージを送ってくれた。

「この貴重な学生時代を大切にしてください。勉強はもちろん重要ですが、自由時間も最大限に活用し、積極的に自分を成長させる経験を積んでみてください。新しいことにチャレンジし、失敗から学び、自分の興味や情熱に従って進んでください。人生の幅を思い切り広げてほしいと思います。

私も、OVALの活動だけでなく、無人島探検のサークルに参加したり、社会人になって役立つと思いゴルフ留学をしたりと、目一杯エンジョイしました。それらで無駄になったものは一つもなく、後に何かしらの形で役に立ちました。

私は来日した当時『こんにちは』すら話せませんでした。ですが、そんな私でもやってみたらどうにか話せるようになり、日本で働けるようにもなりました。皆さんも難しく考えずに目の前のハードルを越え続けて、勉強も人生も楽しんでください!」