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千の手、千の眼

  • 法学研究科教授長塚 真琴
  • 商学研究科教授山下 裕子

2017年春号vol.54 掲載

「一橋の女性たち」シリーズが始まったのが、2003年。
その後この企画は50回以上を重ね、さまざまなフィールドで活躍する一橋の女性たちを紹介してきました。
前回の商学研究科の江川雅子教授に続き、一橋大学の教員で男女共同参画推進室の取り組みに積極的に参加されている法学研究科の長塚真琴教授に、課題とこれからについてご意見を伺いました。
聞き手は、商学研究科教授の山下裕子です。

長塚氏プロフィール写真

長塚 真琴

1991年一橋大学法学部卒業、1996年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。1996~2003年小樽商科大学商学部企業法学科にて助教授を務める。2001~2002年フランスのポワティエ大学法的国際協力研究センター(CECOJI)客員研究員となる。2003~2014年獨協大学法学部にて准教授を務め、2011~2012年フランスのリヨン高等師範学校東アジア研究所(IAO)客員研究員となる。2014年4月より一橋大学大学院法学研究科教授、知的財産法担当。研究については『HQ』第46号40頁「研究室訪問」、ゼミについては『HQ』第51号38頁「Bridges」を参照のこと。

女性研究者の研究者生命をつなぐために

山下:一橋大学では2016年6月から、子どもを持つ大学院生の育児支援を主に行う「学生対象一時保育等の利用料補助」制度※1をスタートさせました。こういった方法もあるんだと共感するとともに、これを推進された長塚さんたちの行動力にも感銘を受けました。

長塚:大学における男女共同参画の最大の課題は、子どもを育てながら学ぶ大学院生の支援だと思います。彼女たちは肉体的には出産に適している時期なわけですが、一方で研究の世界へのデビューの時でもある。でも、働いていないから子どもを保育園に預けることができないのです。
この制度は、補助金額としては決して多くはありませんが、必要な時にベビーシッターを利用することで、待機児童がいても、ゼミで発表したり、論文指導を受けたり、図書館に行ったりできます。何とか、研究をやめずに済みます。

山下:支援を利用する方にとっては、金銭面と、大学からの支援ということと、どちらの意味が大きいと思いますか?

長塚:どちらもありますが、大学が自分たちを気にかけてくれている、サポートしてくれていると実感できる意味は大きいと思います。研究と育児の両立への励みにしてもらえたら嬉しいですね。

※1「学生対象一時保育等の利用料補助」制度:一橋大学は、「一橋大学男女共同参画ポリシー」に則り、学生・教職員等の学修・教育研究・就業とライフイベントの両立支援を推進している。その中で要望の多い育児支援をより充実させるため、平成28年度一橋大学後援会特定事業に、「育児支援基金」を創設。当面この基金を活用して、本学に在籍する小学生以下の子どもを養育する学生等を対象に、一時保育・ベビーシッター等の利用料の補助を行うこととなった。補助金額は1回2200円、年間の上限32000円(2016年度実績)。『如水会々報』2016年12月号27頁「ラウンジ」も参照のこと。

一橋大学の卒業生であり、女性の教授だからできること

対談中の写真1

山下:この制度を実現できた要因は何ですか?

長塚:いろいろなことの相互作用ですね。まず、如水会の研修文化担当として活躍された野村由美さん(『HQ』第47号「一橋の女性たち」参照)の存在ですね。彼女は当時一橋大学後援会の評議員で、発議の権限がありました。アイディアを出してくださり、後援会に積極的に働きかけてくださいました。後援会が支援してくださったことが大きかったですね。次に、当事者や支援者が身近にいたために問題意識が高まっていたことです。研究者ランチ会※2のメンターを続けているのですが、当時は、乳幼児を育てつつ正規の研究職への就職を実現した院生や、その院生の育児を手づくりで支援してきた院生が、頻繁に来ていました。そして、学内には、私が来るずっと前から地道に男女共同参画に取り組んできた、男女問わずたくさんの教員がいます。私は新参者ですが、ほかに担当者のいない科目を教える正規雇用の教授なので、立場が弱いわけではありません。卒業生ですし、労働組合にも入っているので、学内に知人も少なくありません。こうした力を合わせれば実現できるという思いがありました。

山下:研究と子育てとの両立は、子どもを持ちながら研究者として歩み始めた時期の女性たちが、突き当たる壁でもありますね。

長塚:実際に一昨年、退学届を持って指導教授に相談に行き、ついでに参加した研究者ランチ会で、先ほどお話しした育児中の先輩院生から親身に励まされて、退学せず研究を続ける決心をした院生もいました。彼女は何とか博士論文を提出しました。ライフイベントによって女性研究者が研究の世界を去らないための支援という意味では、教員よりもむしろ、院生や、正規職に就く前の若手研究者に対してのサポートがとても重要なんです。こうして裾野が広がれば、その中から将来のリーダーも出てきます。

対談中の写真2

山下:女性卒業生の会である「エルメス」に関わっていて感じたのは、力のある人たちのネットワークの迅速さです。フラッシュモブのように、サッと集まって、ダーッと仕事をして、パッと散会する(笑)。その一方、若い研究者を支援するには、地道で辛抱強いサポート体制が必要なのですね。

長塚:振り返ると、制度をつくった時はフラッシュモブの勢いだったかもしれません(笑)。でも、できたのは持続可能な、一種のクラウドファンディングの枠組です。一橋大学卒業生コミュニティが長年育んできた寄附の伝統を活かすという野村さんの着想は、さすがだと思います。

山下:日本では一般には必ずしも寄附の伝統は根付いているとは言えないですが、目的を明確にした形の受け皿をつくることで、新しい展開がありそうですね。動きがあるということ自体が希望につながります。お金のやりとりを通じてコミュニティが形成されることも見逃せない成果だと思います。

長塚:一過性のものに終わらせず、人が入れ替わっても制度や活動を維持していくことがポイントですね。

※2研究者ランチ会:若手研究者や研究者を志望する学生が、先輩教員からのアドバイスを受けられる機会として、メンター教員を中心にグループ・メンタリングを開催する、男女共同参画推進室の取り組みの一つ。

知的財産法と出合って、研究の道に。
1人で北海道、フランスへ

山下:ところで、長塚さん自身は、どんな学生時代を過ごされましたか。研究者を志したキッカケは何だったのですか?

長塚:法学部を選んだのは、両親に「働き続けるなら公務員になれ」と言われていたためです。一橋大学にしたのは、千葉の自宅から通える大学の中で、ギター部のセンスが一番良かったから。入学後は、公務員志望は一瞬でやめて、ギターばかり弾いていました。しかし、1年生の1月頃、知的財産法を知ったことがキッカケで、少しずつ法律に戻ってきました。
知的財産法は、国立キャンパスでは私が最初の専任担当教員です。学生時代は授業もなかったのですが、独学してみたら面白くて熱中しました。今思えば、層が薄く未開拓な分野で、とても私に合っています。1年生の年度末に、大学院に進んだギター部の先輩がいて、「進学という道もある」ことに気づきました。ゼミは先生の人柄に惹かれて、学部から続けて、商法・経済法の久保欣哉先生(1993年退官・2008年逝去)にお世話になりました。自由にさせていただき、また、学外の知的財産法の先生にも紹介していただいて、本当に感謝しています。

対談中の写真3

卒業アルバム写真

1988年(左)と1991年(右)の一橋大学の卒業アルバム。女子学生集合写真を見ると、たった3年で、およそ50人から100人へと、人数が文字通り倍増している。

山下:以来、ぶれていないということですか?

長塚:キャリアではぶれていないと自負しています(笑)。大変ラッキーなことに、最初の就職がすぐ決まったのです。いったん正規職に就けば、研究者は他の職業よりも家庭と両立しやすいと思います。保育園にも普通に入れますし。

山下:博士課程退学後、小樽商科大学に赴任されたと思ったら、1人でフランスへ飛び出されたでしょう。言葉の修得にも時間がかかるでしょうに、よくやりましたね。

ギターを弾く長塚氏

趣味はギター。子どもの頃から弾いている。こちらは「ギタレレ」という、「ウクレレサイズのギター」。携帯しやすい大きさで、出張やゼミ合宿に持って行くこともある。現在、ギター部の顧問を務める。毎年、一橋祭初日の10時から、ギター部の店「Pathos」で演奏している。現役からのイベント案内を受け取りたいOB・OGは、htnguitar@gmail.comへメールを。

長塚:フランスのポワティエ大学は、北海道大学と長年の協定校です。私はそこに隣から滑り込んだ形で、法的国際協力研究センター(CECOJI)の客員研究員として迎えていただけたのです。今や私の第二の母校となり、昨年、一橋大学と法学部どうしの部局間協定を結びました。
確かにパートナーを残しての赴任と留学でしたが、当時も東京と札幌の交通は便利で、パソコン通信もすでにありました。ただ、出産が遅くなったことは少し残念で、それが院生育児支援のモチベーションの一つになっています。

山下:本当に活動的ですね!

長塚:私は、基本的に1人が好きなんです。子どもの頃からギターを習ってきましたが、ギターは本質的に1人で弾く楽器ですから。そのくせ人と人をつなぐことが好きな幹事気質もあります(笑)。学生時代、ギター部で渉外を担当し、OB・OGの名簿を根本的に作り直しました。そのため、如水会館で盛大なOB・OG会を開くことができました。

日々の暮らしからグローバルな問題まで
自分で考え、行動できる人に

山下:学生をどう育てるか、大学として何をするかが今問われていますね。そのプロセスとして、まず足元を見ようと。

長塚:私はゼミ生を家に呼んでホームパーティをしています。といっても、私が料理をつくってもてなすのではなく、メニューだけ組んでおいてそれに必要な準備を細分化し、学生に仕事を担ってもらいます。学生はほとんどが男子です。

対談中の写真4

山下:私も、ゼミの学生を自宅に招く時は、学生たちに料理してもらいます。

長塚:共働きで子どもがいる暮らしを、見てほしいんです。あとは、自分が責任を持つ経験。たとえば、鍋の締めに麺を入れたら、水が足りなくて、もんじゃのような謎の物体ができたことがありました。しかし、それが意外と美味しかったり(笑)。きっと、いい思い出になるでしょう。頭で考えつつ手も体も動く学生、日々の暮らしから人類規模の問題へと思索をめぐらす学生を、育てたいと思います。

対談を終えて「そうか、その手があったのか。」

長塚さんに初めてお目にかかったのは、大学の男女共同参画推進室主催によるメンタリング・ワークショップの席だった。目立って威勢が良く、元気なオーラを放っていらしたのが長塚さんであった。
<一橋の女性たち>の対談を長年担当させていただいている私であるが、<女性>の案件となると実は身構えてしまうというのが本音だ。セクハラ関連の相談等は、個人的に深い部分でセンシティブな問題に触れ、そこに制度や組織や立場や人間関係の問題が複雑に錯綜してくるので大変神経を消耗するのである。
たとえば、大学内に保育所を設置する案件にはどう付き合うべきか?大学の前線は若い研究者たちである。独り立ちしようとした矢先に、女性ゆえにキャリアをあきらめないといけないのは残念すぎる。保育所があれば素晴らしい。しかし、他方、この小さな大学の限られた予算でやるべきことと考えると保育所は最優先マターとは言えないと個人的には思ってしまう。いろいろな思いが錯綜した時、足がすくみ逃げ腰になる。
募金の制度をつくるという話を伺った時、正直うまくいくものなのかしらと思った。制度はつくりっ放しではだめで、運用が大事だ。募金を集め、また、利用者も開拓していかなければならない。それだからこそ、長塚さんが辛抱強い活動を続けられ、制度を実のあるものにされたプロセスに感極まるものがあった。
奈良時代から慕われてきた千手観音は、千の眼で、見放されてしまった衆生の悩みを見つめて、さまざまな手を差し伸べて、無数の願いを叶える。
横顔しか公開しないというポリシーの長塚さん、撮影のため横からマジマジと見つめさせてもらったら顔がほんのりピンク色に。ああこの方はこんなに繊細な心の持ち主......。
花蔓清淨大自在心
汚れのない、偉大なる自在の心を持つものよ。
千手千眼観音経が、なんと生き生きと聞こえてくること。そして、パワフルな内容に驚く。
達成せよ、成し遂げよ、大きな勝者を解き放て。
持続せよ、持ちこたえよ、勇敢な自由の心を。
昔も、こんな風に、千の手を千の眼をつないで生きていたものなのでしょうか。
今度、三十三間堂に行ったら、琵琶を持っている手を探してしまいそう。

山下 裕子

(2017年4月 掲載)