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平成30年度学部入学式における式辞

2018年4月1日
一橋大学長 蓼沼宏一

 新入生の皆さん、入学おめでとうございます。また、ご臨席賜りました新入生のご両親などご家族の方々にも、お祝いを申し上げます。一橋大学教職員一同を代表しまして、すべての新入生を心より歓迎いたします。春爛漫、緑豊かな美しい本学のキャンパスと国立の街並みも、皆さんを温かく迎え入れているように感じられます。

 さて、皆さんが今日、入学された一橋大学は、明治8年(1875年)、明治六大教育家の一人、森有礼が渋沢栄一や福澤諭吉などの協力も得つつ開設した商法講習所を起源とし、以来140年を超える歴史の中で、日本における社会科学諸分野の研究をリードする大学に発展するとともに、常に人材の育成にも情熱を注いできました。その最大の特色は、密度の濃い少人数ゼミナール(ゼミ)にあります。
 本学のゼミがどのようなものであるか、生き生きと描かれた本があります。作家の城山三郎さんの書かれた『花失せては面白からず――山田教授の生き方・考え方』です。鋭い分析的視点を持つ歴史小説・経済小説などで有名な作家ですから、皆さんの中にもその著作を読まれた方が多いのではないかと思います。城山さんは、昭和2年生まれで、軍国主義教育の中で育って軍隊に志願し、敗戦後、イデオロギーが180度転換した時代に「世の中はどうなっているのか、人間とは何なのか」を根本のところから考え直したいと思い、一橋大学の前身、東京商科大学に入学しました。やがて、理論経済学が専門の山田雄三先生のゼミに入ります。
 山田ゼミの最初の1年間は教授を囲んで英語の専門書を読みます。城山さんがゼミに入った昭和24年(1949年)のテキストは、その5年前に出版されたフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの著書Theory of Games and Economic Behavior(『ゲームの理論と経済行動』)でした。
 新入生の皆さんのためにゲーム理論について簡単に解説しますと、社会の中で常に相互依存関係にある人間がどのように行動し、その帰結はどうなるのか、ということを分析する理論です。囲碁や将棋のようなゲームと同様に、社会の中でも人間は相手の行動を予測しながら自分の行動を決定していきます。ゲーム理論は、多数の人間のそのような行動と社会的帰結を数理的なモデルを構築して解明することを目的としています。
 1980年代になって、経済学では「ゲーム理論革命」とでも言うべきパラダイムの革新が起こり、やがて経済学だけでなく、政治学、経営学、会計学、社会学、国際関係論など社会科学の様々な分野において、ゲーム理論はその基礎を成すようになりました。しかし、1940年代後半は、ケインズ経済学やマルクス経済学が華やかなりし頃であり、ゲーム理論を創始したフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの著書は、当時、ごく一部の理論経済学者以外には注目されていませんでした。山田先生がそれをゼミのテキストとして選択されたこと自体、一橋大学が日本における社会科学の研究と教育の最先端にあったことを示していると思います。そのことは、今日まで連綿と受け継がれてきています。新入生の皆さんは、その一橋大学に入学したということに誇りを持ってください。

 さて、話を城山さんと山田先生との関わりに戻しましょう。資本主義か社会主義か、という戦後のイデオロギー対立の只中にあって、城山さんは、ゼミのテキストを読み進めるうちに、ゲーム理論は抽象化・数式化の結果、理論としては精緻になっても、それだけ現実から遠ざかるのではないか、いわば、理論という舞台で空しい舞いを舞うだけの自己満足なのではないか、と疑問を持つに至り、遂に「ゼミをやめさせて頂きます。」と結ぶ長文の手紙を山田先生に送ります。
 それに対して、山田先生は便箋数枚にわたる部厚い手紙を返されます。その全文は城山さんの著書に収められていますので、ぜひ皆さんも読んでください。この手紙の中で、山田先生は、社会科学、例えば経済学では、いろいろな専門用語を使い、数式などによる形式化も行うけれども、現実から離れ「淡然として」研究しているのではなく、究極的には人間探求、つまり人間の行動の仕方や、個人と社会との在り方を知ることを目的としているのだと述べられています。社会科学の意義を大変的確に表現されていると思います。
 それだけでなく、この手紙には、ひとりの学生を思う教授の温かい心が満ち溢れています。手紙の最後に山田先生は、科学のみが人間探求の唯一の途ではなく、それぞれの人がそれぞれの職場における実践を通して事実を認識しようと努めるならば、人間探求を行っているのだから、「君は自由に君自身の道を選んで進んで下さい」と呼びかけ、またいろいろなことについて話し合いましょう、と結んでおられます。
 この手紙を読んだ城山さんが山田ゼミでの勉強を続けることになったことは、言うまでもありません。

 一橋大学のゼミは、単なる少人数の授業ではありません。最先端の研究に日々真剣に取り組んでいる教員が学生と非常に近い距離にあって、一人ひとりの学生に向き合い、教員と学生、あるいは学生同士が真剣な議論を重ね、真理を探究する場であるだけでなく、様々な機会に人間同士としての交流を深め、人格を磨く場でもあります。
 そのゼミを何世代にも亘り脈々と受け継いできた一橋大学に入学された皆さんは、ぜひ、本学の誇る優れた教員と、恵まれた研究・教育環境を最大限に活用していただきたいと思います。

 皆さんは厳しい受験勉強を経て、晴れて本学への入学を果たされました。しかし、これはゴールではなく、新たなスタートラインに立ったということです。大学時代は、夢を描き、それを実現するための準備期間と考えてください。単に経済的に豊かになり、個人的快楽を満たすことは、大いなる夢とは言えません。一人ひとりが社会の一員であり、また社会なしには生きられない人間にとって、他者のために働くこと、社会のために貢献することこそ目指すべき夢なのではないでしょうか。
 世界はいま、大きな転換点を迎えています。経済のグローバル化、人口の高齢化、科学技術の進歩などが急速に進む中で政治、法、経済、社会の諸制度を適切に整備していくこと、多発する国家間や企業間の紛争を解決すること、あるいは経済活性化に向けて企業経営を革新することなどが大きな社会的課題になっています。社会科学の総合大学である一橋大学に入学した皆さんは、こうした日本を含む世界の諸問題の解決につながる社会貢献を為すことを目指して学んでください。
 そのために、新入生の皆さんには3つのことを大学時代に実行してほしいと思います。その3つとは、「学問を通して光を見つけること」、「光を実りにつなげること」、そして「向こう側にも立つこと」です。

 まず、「学問を通して光を見つけること」。
 現実の社会は混沌としており、その実像を認識するためには「光」が必要です。商学、経済学、法学、社会学といった学問分野は、混沌とした現実のある側面に光を当て、問題を把握し、概念を組み立て、論理的思考によって問題の解を見出すための方法とフレームワークを作り出してきました。現代では専門知識はますます高度化し、その知識体系全体を掴むためには、基礎から発展的内容まで段階的に学ぶ必要があります。授業やゼミをきっかけとして、自ら広く深く学び、自由に思索を巡らせ、その内容を文章で表現するといった、頭と手をフルに使った知的訓練を続けていったとき、ある段階で急に社会への視界が開けるということがあるでしょう。その瞬間こそ、習得した知識が自分の思考の枠組み・フレームワークにまで昇華するときです。こうして大学時代の絶えざる勉学の蓄積と思索の訓練によって得られる知的活力と思考のフレームワークは、やがて皆さんが実社会に出たときに直面する様々な未知の問題に取り組むときにも、強い拠り所となることでしょう。
 さらに、現代ではビジネスや法務、公共政策などの高度専門職業人に求められる専門知識や能力は格段に高度化し、その習得には学部レベルでは充分でなく、大学院レベルの学習が必要となる場合が多くなっています。本学の大学院は、大がかりな組織再編を経て、今年度より新たな体制で「一橋ビジネススクール(経営管理研究科)」と「一橋ロースクール(新たな法学研究科)」が発足し、国際・公共政策大学院ともども日本を代表するプロフェッショナルスクールとして、教育内容を一段と充実させていきます。経済学研究科、社会学研究科、言語社会研究科も含めて、次代を担う研究者と高度専門職業人を養成する機能を一層、高めていく方針です。学部に入られた皆さんも、ぜひ大学院への進学も視野に入れて、勉学に励んでほしいと思います。

 次に、「光を実りにつなげること」。
 事実を解明する「光」は、人々のよりよい暮らしと幸せを実現する社会という「実り」につなげることが大切です。社会科学は、事実の解明つまり実証をベースとしつつ、どのような社会経済システムが望ましいのかという規範に基づいて、政治、法、経済、社会の制度や政策の改革、あるいは企業・組織運営の改善策等を示す責任を担っています。
 何が社会的に望ましいかという規範的な判断を行うためには、社会とは何か、ひとの幸せとは何か、正義とは何か、といった根源的な問いにまで戻る必要があります。地球上の資源の総量には限りがありますから、社会的決定は常に資源の制約の下でなされます。稀少な資源を使って得られた限られた成果を分け合わなければならない状況では、人々の間に利害対立が生じる可能性があります。それぞれの人が個別の利害を主張し合う中からは、対立を乗り越えて社会的解決に導く道は開かれません。利害対立の状況を解決し得る規範は正義です。正義に適う分配のルールとは何か。私たちは自分の個別利害や現実的状況から一旦離れて、可能な限り普遍的な立場で望ましい社会とはどうあるべきか思索しなければなりません。そのとき、皆さんの学びの領域は、哲学や倫理学などにも広がることでしょう。さらに、その規範は実証科学と結合し、具体的な制度や政策の改善へと結実していきます。

 第三に、「向こう側にも立つこと」。
 この「向こう側」という言葉に、私は2つの意味を込めたいと思います。一つは、自分の専門とは別の学問分野のことです。さきほど述べたように、各学問分野は、現実のある側面を認識するために人間の作り出した思考の枠組みであり、現実そのものではありません。現実は混沌とした全体であり、そこで生じる諸問題は常に複合的な要素を含んでいます。とりわけ、高齢化社会における医療や介護、環境問題、AIやロボットなど急速に進歩する科学技術をいかに社会に受け入れていくか、といった現代の社会が直面する諸問題の解決には、多様な学問分野の協働が不可欠なものとなっています。
 このような時代には、現実の様々な側面に光を当て、異なる角度から問題を捉えることのできる、より一層柔軟な考え方が求められるでしょう。そのため、大学時代には1つの専門分野を深く学ぶとともに、複数の分野を学ぶことを勧めます。一橋大学では学部間の垣根が非常に低く、他学部の科目も広くかつ深く履修することができます。自由度の高い本学の学びのシステムを、皆さんも活用してください。
 「向こう側」のもう一つの意味は、文字通り「海の向こう側」のことです。社会が急速にグローバル化する中で、グローバルなレベルでの対話が一層必要な時代になっています。自由な大学時代に、歴史も文化も慣習も異なる地に身を置くことは、何物にも代えがたい貴重な経験となることでしょう。
 私自身、20代のころにアメリカの大学の博士課程に5年間留学しました。その時には、最初の学期から大きなショックを受けました。大量の専門論文を読むことや宿題を課され、難しい試験を受け、サバイバルに必死という状況でした。そのような状況でも、アメリカ人の学生だけでなく世界中の国からの留学生と切磋琢磨し、交流する中で、様々なものの見方、考え方に触れ、自分のそれまでの思考方法や価値判断を相対化し、見直す機会が多々ありました。その一方で、同じようなことに悩み、悲しみ、喜ぶという、いわば人間として共通の感性があるということを実感する、ほっとするような瞬間も多くありました。私はこの留学を通して、生涯、研究者という職業で生きる土台を作るとともに、世界の人々に対する見方を大きく広げることができました。
 一橋大学では、同窓会である如水会などのご支援により、大変充実した留学支援制度を備えています。皆さんもそうした支援制度を活用し、一度は「海の向こう側」に立ってみてください。

 新入生の皆さん、「学問を通して光を見つけること」、「光を実りにつなげること」、そして「向こう側にも立つこと」、この3つのことを心に留めて、大学生活をスタートしてください。広く深く根を張り、太い幹を持つ木が毎年、若葉を茂らせ、実を結ぶように、大学では自分の知的活力を向上させ、その後の人生で末長く自らと社会に実りをもたらすことのできる人間としての器を作ることを目指してください。

 一橋大学は、一人ひとりの学生を丁寧に育成し、責任を持って社会に送り出すことを何よりも大切にしています。皆さんが現代の社会で大いに活躍する人材として巣立っていくために、われわれ教職員も更に質の高い教育研究機関を目指して、それぞれの学生が歩む大学生活を共に大切にし、発展していきたいと思います。
 皆さん一人ひとりが喜びと実り多い大学生活を送られることを心から祈り、私からの歓迎の言葉とさせていただきます。



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