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ノーベル物理学賞受賞中村修二教授特別講演会 「日本の未来と文理融合」

2017年冬号vol.53 掲載

一橋大学社会学研究科では、2016年10月3日(月)、兼松講堂において、青色発光ダイオード(LED)の研究で2014年にノーベル物理学賞を受賞した、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授による特別講演会を開催した。その内容をレポートする。

中村 修二

中村 修二

カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学科教授

中野 聡

中野 聡

社会学部長・社会学研究科長

清水 洋

清水 洋

イノベーション研究センター准教授

苦労する環境を求めてアメリカに渡る

講演の様子

300人以上の学生や市民の方々が詰めかけた盛況の会場で、社会学部長・社会学研究科長である中野聡教授の司会により講演会は始まった。中野教授は「一橋大学の若手教員派遣事業で社会学研究科の福富満久教授がカリフォルニア大学サンタバーバラ校を訪ね、中村教授に会った際に講演を要請、快諾いただいた。中村教授はこの講演会のために来日してくださった」と本特別講演会開催の経緯を紹介。次に、イノベーション研究センターの清水洋准教授が中村教授の略歴を紹介した。そしていよいよ中村教授が登壇し、「日本の未来と文理融合~日米同時に裁判を経験して~」というテーマで講演が始まった。
中村教授は、徳島大学工学部電子工学科卒業後、日亜化学工業に入社。以降一貫して研究開発に従事する。そして、1993年11月、高効率青色LEDを世界で初めて発明、製品化。この画期的な業績でのちにノーベル物理学賞を受賞している。1995年には、世界初の紫色半導体レーザーの開発に成功。1999年に日亜化学工業が青紫色半導体レーザーを製品化すると、次なるチャレンジを求めて会社を辞め2000年2月に渡米。カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学科教授に就任する。「言葉も文化も違う環境に入れば苦労することになる。自分は苦労することで成長してこられた」と、その動機を語った。
2000年12月、中村教授は日亜化学工業から企業秘密漏洩の疑いでアメリカの裁判所に訴訟を起こされる。しかし、2001年8月、反訴として日亜化学工業を相手取り、特許権の帰属と相当対価を求め、日本の裁判所に提訴。その結果、2002年11月、米国の裁判では全面勝訴し終結。日本では、2004年に東京地裁が日亜化学工業に対し200億円の支払いを命じる判決を下し、さらに2005年1月、控訴審で東京高裁が8億4000万円での和解勧告を出す形で終結した。

日本の司法制度の問題点とは

中村教授は以上のような略歴に触れたうえで、日米両国での裁判の同時進行という貴重な経験をもとに、日本の司法制度を舌鋒鋭く批判。その指摘は次のとおりである。

  • 日本には、アメリカにある証拠書類を提出するディスカバリープロセスがない。証人録取・証人尋問もない。
  • アメリカの法廷では、原告側・被告側のそれぞれの弁護士が議論を交わし、裁判長や陪審員が論点を理解する。日本では、証拠に基づかない準備書面を提出するのみ。裁判官も理解できているかどうかチェックできない。
  • 日本の裁判所の判決は「利益衡量判決」であり、国や大企業など、その判決でより多くの人が利益を受ける側が有利となる。また、証拠に基づかないため原告・被告の双方が納得できず裁判が長期化しやすい。ベンチャーと大企業が知財で争ってもベンチャーに勝ち目はなく、ベンチャーの成長を阻害している。
  • 日本の量刑は判例主義。アメリカのような懲罰的損害賠償判決でないので効果が薄い。
  • アメリカの裁判官の給与は憲法で保障されているが、日本ではそうなっていない。
  • 知財の裁判は、アメリカに集中している。徹底的に証拠を集め、正義に基づき懲罰的損害賠償判決を下すから。
  • 日本の特許には虚偽の記載が多い。アメリカでは偽証罪は重罪で、犯せば禁固刑などに処せられるが、日本ではまれ。

中村教授は、「日本の将来のためには、こうした司法制度の問題を改める必要がある」と訴えた。法曹を多く輩出している一橋大学の学生に強いメッセージを送った形である。

四国で生まれ育ち世界に知れ渡った研究者

さらに、日本のマスコミや諸団体が中村教授のノーベル賞の受賞理由を「青色LEDの量産化技術の開発」と伝えたことも取り上げ、事実を正しく理解し正しく伝えるという当たり前のことができていない在り方を批判した。
次に、愛媛県西宇和郡四ツ浜村大久(現・伊方町)に生まれてから、ノーベル賞の受賞に至った高効率青色LEDの世界初の発明・製品化までの半生が紹介された。小学校2年の時に転居した大洲市で高校時代までを過ごし、中学・高校の6年間はバレーボール部で活躍。徳島大学に進学し、就職先も徳島県阿南市の日亜化学工業と一貫して四国で過ごしたことを語った。
赤色LEDは1962年、緑色LEDは1968年に発明されていたが、青色LEDだけ困難を極めていた。これができれば光の三原色が揃い、あらゆる色が再現できることになる。
「そこで、日亜化学工業の創業者である小川信雄氏に直訴したところ、高額の研究資金を出すことを認めてくれた。その代わり、『誰にも頼らず、国からも資金をもらわず、独自にやれ』と。以来21年間、ずっと見守ってくれた。今でも小川氏を最も尊敬している」と中村教授は強調した。

発明した青色LEDは劇的な省エネなどに貢献

図

LEDや半導体レーザー構造の発光層であるインジューム窒化ガリウムInxGa(1-x)Nの組成xを変えることで、直流電流により生じる光の色(波長)が変わる。
中村教授が1992年に初めて、この発光層であるインジューム窒化ガリウムを発明し、青色、緑色LEDや紫色半導体レーザーを開発、製品化した。

青色LEDの発明により、スマートフォンにも使われるディスプレイ用光源やさまざまな照明光源が開発され、我々の生活がいっそう豊かになった。そして、「LED照明は蛍光灯の2倍、白熱灯の10倍という高効率により、劇的な省エネルギー効果をもたらしている」ことにも触れた。また、1995年に、中村教授らによって発明された紫色半導体レーザーにより、ブルーレイディスクも生まれた。
中村教授は現在、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で半導体レーザーを用いた照明の研究開発に力を入れ、青色LEDと蛍光体を組み合わせた一般的な白色LEDよりも高輝度かつ高効率な照明の実現を目指している。そして、半導体レーザーのベンチャー企業も共同設立しているといった近況を紹介した。
講演後は、来場者から活発に質問が寄せられた。

世界で通用する英語力を

また中村教授は、次のように発言している。
「これからの時代は、英語力は可能性を広げる上で不可欠。大学における講義や論文が英語であれば、欧米から留学生も研究者も大勢来る。ベンチャー企業も、日本国内だけを意識していると、どれだけ良い商品でも海外市場では模倣された品がすぐに出回り、商品価値を引き下げてしまう。サミットなどの国際会議から商品発表イベントに至るまで、レセプションパーティー等での雑談がその後の流れを決める。あらゆる局面でネイティブ並みの英語能力が重要だ」
海外で大いに活躍されている中村教授の言葉は、会場に集まった学生にとって、説得力のあるアドバイスだったのではないだろうか。

ノーベル物理学賞受賞中村修二教授特別講演会「日本の未来と文理融合」

講演 中村 修二 カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学科教授
司会 中野 聡 一橋大学社会学部長・社会学研究科長、教授
略歴紹介 清水 洋 一橋大学イノベーション研究センター准教授
日時 2016年10月3日(月)13:00~14:30
場所 一橋大学兼松講堂
主催 一橋大学社会学研究科

(2017年1月 掲載)