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一橋大学での学びを出発点にグローバル社会のリーダーへ

  • 東京ガス取締役会長/如水会理事長/一橋大学学外理事岡本 毅
  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2017年冬号vol.53 掲載

都市ガス事業者として世界最大規模を誇る、日本を代表するエネルギー企業の東京ガス株式会社。その取締役会長であるとともに、日本経済団体連合会(経団連)副会長などさまざまな要職に就任されている岡本毅氏。一橋大学のOBとして、2015年に如水会理事長、さらに一橋大学学外理事にも就任。学生時代の思い出から、社会に出て実感した学びや縁というものの大切さ、そして一橋大生への期待まで、大いに語っていただいた。

岡本氏プロフィール写真

岡本 毅

1970年一橋大学経済学部卒業。同年4月東京ガス株式会社入社、文書部長、日本ガス協会業務部長を経て、2002年執A行役員企画本部総合企画部長、2004年取締役常務執行役員企画本部長、2007年代表取締役副社長執行役員、2010年代表取締役社長執行役員などを歴任し、2014年4月より取締役会長、現在に至る。2015年6月如水会理事長就任、同年7月学外理事就任。

蓼沼学長プロフィール写真

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D.(博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済学──効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。

熱い母校愛に溢れた3万4000人の組織

蓼沼:岡本さんは、2015年6月に如水会理事長に就かれ、そして7月には一橋大学の学外理事にご就任いただきました。東京ガス取締役会長や経団連副会長といった要職でお忙しいにもかかわらず就任なさった時のお気持ちについて、まずは伺いたいと思います。

岡本:如水会理事長を拝命し、その活動内容を改めて把握し何より強く感じたことは、何と熱い母校愛に溢れた3万4000人の組織であることか、ということです。結束力だけでなく、しっかり考え積極的に行動する力も大したものですね。地域ごとの支部や、部活動、あるいはゼミ、クラスとさまざまな切り口でそれぞれが結束し、活発に活動しています。改めて、素晴らしい組織であるとの思いを強くしています。

蓼沼:同感です。

岡本:たまたま2016年5月、如水会理事長に就任した翌年ですが、シンガポールに行く機会があり、せっかく行くならと如水会シンガポール支部に「少し時間があるので」と連絡したのです。すると「理事長が来るなら人を集めます」と言ってくれて、実に大勢の会員が集まってくださいました。私自身が「人を集めるための恰好のネタ」になったのですが(笑)、それでもたくさん集まっていただいてありがたいと思いました。業種などを問わず、会員同士和気あいあいとその場を楽しんでいる。中にはライバル関係の企業に勤める会員もいますが、そんなことはお構いなしにお互い仲良くやっているわけです。いい会だと思いましたね。

蓼沼:そうでしたか。

岡本:また、大学改革にも関心の強い会員が多いですね。就任して1年半が経ち、厳しい言葉や提言もたくさんもらいました。冒頭でご紹介いただいたとおり、一橋大学の学外理事も務めさせてもらっています。それぞれの立場で調整に苦労することもなくはないのですが、会員の熱い母校愛から出ている提言だけに、しっかり受け止めていきたいと考えているところです。

蓼沼:学外理事のお立場としてはいかがでしょうか。

岡本:実は、卒業後の長い間、大学とはそれほどの接点もなく過ごしてきました。このほど学外理事として内部に入らせていただき、いろいろ見聞きして、改めて社会科学系の大学として最高レベルにあるというその地位に揺らぎはないと感じました。特に、1学年約1000人、全体で6000人強の学生数という、小規模ながらもピリッと引き締まった大学であるという印象を持っています。その良さが典型的に表れているのが、少人数で運営されているゼミ教育ですね。また、長期留学制度で学部生の10%以上が海外に出ているというのは、大変素晴らしいことだと改めて思っているところです。
もう一つ、4つの学部の垣根が低いところもいいですね。この規模だからこそ、各学部が閉鎖的になってはならないと思いますが、そのあたりはとても柔軟なのではないかと思います。また、東京医科歯科大学、東京外国語大学、東京工業大学との四大学連合をはじめ、他大学・機関との連携に積極的に取り組んでいるところも大変良いことですね。特に、東京工業大学との合同移動講座については学外理事に就任してから初めて知り、「こんなに意義深い取組があったのか」と感銘を受けました。規模は小さいながらも、総合力の高い大学であると再認識しています。

蓼沼:ありがとうございます。

岡本:また、再発見できたこともあります。卒業生の人材としての多様さです。昔から一橋大生といえば、商社や銀行、メーカーなど基幹産業で活躍するという印象が強くありました。しかし実際には幅広い分野で活躍していますね。たとえば、一橋大学を卒業し、医学部等で学び直して医師になった人が100人近くもいるわけです。それ以外にも、作家や芸術家として名を成した人も少なくありません。こうした幅広さ、多様性の素地がこの大学にあるというのは大変素晴らしいことだと思います。

蓼沼:本学の特色をいろいろと挙げていただきました。全く同感です。特に感じるのは、少人数ゼミや長期留学など、学生が興味関心を抱いたさまざまなテーマについて深く学ぶことのできる特色あるシステムが揃っていることです。これらは、長年受け継いできた伝統と、卒業生や教職員の努力の積み重ねのおかげです。今後も大事にしていきたいと思っています。

岡本:一方、あえて言っておきたいことは、一橋大学に対する世の中からの、あるいは国際的な評価がこうした現実に追いついていないと感じることです。どうしても小規模であることが不利に働いているように思えます。致し方ないことではありますが、こうした問題を打ち消すためにも、大学からの発信力をもっと高める必要があると思っています。

蓼沼:社会的評価という意味では、自然科学分野とはかなり違う社会科学分野の特性は必ずしも十分考慮されているとはいえません。大学ランキングなどでも、比較評価の基準に分野の特性をもっと考慮に入れる必要があります。我々の側からも、どういった点が評価されるべきかをもっと多くの場面で発信していく必要があると思っています。

ようやく書けた卒論の最後の一行

対談の様子

蓼沼:次に、岡本さんの学生時代のお話をお伺いします。経済学部に入られて、板垣與一先生のゼミでミャンマーの経済を研究されたと伺いました。また、学生時代は日本全国を旅行されたそうですね。

岡本:そのとおりです。まず、ゼミの話からしますと、経済学部の1、2年生の間に学んだ限りでは、理論経済学的アプローチよりも、政治経済学的、あるいは文化人類学的アプローチのほうに興味を持ちました。同時に、発展途上国の経済というものに強い関心を持ち始めていました。そんな思いがあった時に、板垣ゼミに出合ったのです。それで、2年生の終わり頃でしたか、板垣先生のゼミの門を叩きました。

蓼沼:そうでしたか。

岡本:3年生になってゼミが始まり、しばらく経って研究テーマを絞り込む必要が出てきました。板垣先生と議論する中で、今思えば汗顔の至りなのですが、私は偉そうに「途上国の問題をやるからには、東西そして南北関係の交点として東南アジアの政治力学的問題を解明したいのです」と言ったわけです(笑)。

蓼沼:なるほど。

対談中の岡本氏

岡本:すると先生は黙って立ち上がり、1冊の本を持ってきて渡してくれたのです。その本はアメリカのある経済学者によるもので、後で読んでみると、ビルマ(当時。現・ミャンマー)の村落社会に入り込んで実証的な研究を積み重ねつつ、同国の近代化への道筋は見えるか見えないかといったことを理論的に解析する内容のものでした。その本を読み始めて、いかに自分が先生の前で大言壮語したかを恥じ入る気持ちになったのです。先生はそんなふうに私を黙ってたしなめてくださったんですね。せっかくそう気づいて、またミャンマーとも縁ができたので、ならば地道に勉強してみようと思ったわけです。そこで、4年生いっぱいまでミャンマーに関わる書物を可能な限り読みました。たとえば、ミャンマーは典型的な小乗仏教の国ですが、村落社会に浸透している宗教のあり方をマックス・ウェーバーのいうプロテスタンティズムの倫理的観点で比較考量したりしたわけです。そもそもウェーバー自身がプロテスタンティズムだけではなく、もっと幅広く宗教と近代化の関係についての本を書いていることもその中で知りました。そのように学びの領域もどんどん広がっていって、蓼沼学長がおっしゃる「専門を深める中で教養が広がる」という概念を実体験できたわけです。

蓼沼:それは素晴らしい学びの経験ですね。

岡本:自分なりにできる研究をしたうえで、卒業論文に仕上げました。テーマは「ビルマの近代化と村落社会の構造」というものです。今思えば大した中身ではないのですが、当時はやれるだけのことはやったという気でいたものです。しかし、やはりどこか欠落感を覚えていました。

蓼沼:どういったことにでしょうか。

岡本:現地を見ていない、ということですね。1ドル360円の時代、奨学金をいただいて学ばせてもらっていた身分で海外に行くことなど無理でした。ですから、結局は書物でしかミャンマーを知り得ていないのです。自分ができたのは、資料を読み込んで整理、分析することまでであり、悪くいえば、卒論は資料の切り貼りみたいなものだと思いました。仕方のないことだったとはいえ、行ってもいない国についてさも知ったように書くということが、気になっていたのです。そこから話は一気に45年後に飛びますが、2015年5月、仕事で初めてミャンマーに行く機会がありました。短期間でしたが、ヤンゴン周辺などを実際に歩いたのです。それでようやく、卒論の最後の一行が書けたような気がしました。

北海道から沖縄まで日本中を旅する

プリントを見る2人

蓼沼:なるほど、いいお話ですね。では、部活動はいかがでしたか。

岡本:お恥ずかしい話ばかりです。まず、入学してすぐ勧誘に乗ってワンダーフォーゲル部に入りました。その時、ワンゲルとはハイキングのようなものだと思い込んでいたのです。野山を楽しく散策する部活かと(笑)。ところが、とんでもなかった。いきなりものすごくきついトレーニングが始まり、3か月後の初の山行が神奈川県の大山から始まる丹沢表尾根というところで行われました。もっと穏やかな山なら続けられたと思うのですが、この付近の尾根はとんでもなく険しい山道だったのです。そんな場所を約20キログラムのザックを背負って登りました。その時、ザックのパッキングが上手にできなかったせいで、肩に余計な重さがかかってしまいました。2泊3日の間ずっとそのような状態で山歩きをしたことで、肩を壊してしまったのです。戻ってから病院に行くと、「危険な状態です」と医者に言われ、即退部しました。

蓼沼:そんなことがおありだったのですね。

岡本:ほんの数か月間の在籍でしたから、私もすっかり忘れていましたし、そんなことを知っている人もいないはずでした。ところが、如水会理事長になったことで、ワンゲル部のある先輩から「君はワンゲル部にいただろう」と、まさに大山に登った時の写真が送られてきたのです。確かに私が写っていました(笑)。

蓼沼:そうでしたか。よく旅行に出かけられたという話を伺ったことがありましたが、実際はどのようなところに行かれたのですか。

ワンダーフォーゲル部で初登頂を体験した時の岡本氏

ワンダーフォーゲル部で初登頂を体験した時の岡本氏(写真中央チェック柄のシャツ)。大山にて

岡本:アルバイトをしては、得たお金をほとんど旅行に注ぎ込みました。北海道から、まだ日本に返還される前の沖縄まで巡りました。先ほども言いましたが、1ドル360円の時代で海外には残念ながら行けませんでしたけれども、学生の特権で時間はありましたので国内はよく回りました。お金は持っていませんでしたが、楽しかったですね。どれぐらい学生時代に国内を巡ったか計算してみたら、4年間で180日くらい旅していたことになります。

蓼沼:それはいい経験をされましたね。ほかに何か思い出に残っていることはありますか。

岡本:学園紛争が起こり、半年ほど大学が封鎖されてしまったのです。当時はいい加減なもので、大学に行かずに単位がもらえるなどと喜んだりしていましたが、もったいないことをしましたね。私は実家から通いましたが、下宿住まいの友人たちと、学園紛争はどうあるべきかなどと飲みながら徹夜で議論をしていたこともあります。それはそれでいい経験だったのかもしれませんが。

蓼沼:初めて伺うことばかりですが、学生生活を満喫されていた感じが伝わってきます。ゼミにしろ、旅行にしろ、興味を持ったこと、好きなことに前向きに取り組まれたことがよく分かりました。学びにおいては、岡本さんのように学部時代はいろいろな文献を読み、基礎知識をしっかり固める時期だと思います。そうした基礎があるかないかで、たとえばミャンマーに行かれた時に感じ取れるもの一つをとっても、大きな違いがあるように思いますね。また、部活動のお話には一橋大学の自由な空気を感じました。今に通じるそんな空気も、一橋大学の伝統の強みであろうと思います。

現場経験で築いた
職業人としての強固な基盤

蓼沼:次に、ご卒業後のことを伺わせてください。岡本さんは東京ガスに入られて、出向や留学などいろいろなご経験を積まれて社長、会長を歴任されています。そういった職業人生活の中で、どういったことを心がけてこられたのか、また学生時代に学んで役立ったことなども交えながらお話しいただければと思います。

岡本:そもそも東京ガスに就職したきっかけも、ゼミでした。三商ゼミ*の幹事を務めたのです。4年生の5月頃、資金集めのために先輩方のところを回りました。まずはゼミの先輩が一番お願いしやすいということで、ある先輩を訪ねて東京ガスに行ったわけです。その先輩は快く5000円ほど寄付してくれましたが、「ところで君は、就職はどうするつもり?」と聞いてきました。「まだ考えているところです」と答えると、「うちの人事課長も一橋大学の先輩だから会っていきなさい」と言ってくれたのです。ならばと会わせてもらうと、素晴らしい人でした。当時学生の自分から見ても、人格識見ともに素晴らしい人だと。こういう人が人事課長をやっている会社なら間違いはないだろうと思ったわけですね。

対談中の蓼沼学長

蓼沼:ご縁があったのですね。入社後の配属はいかがでしたか。

岡本:どの企業も同様だと思いますが、最初は現場配属です。ガス会社も現場で成り立っているからです。研修期間には、一般家庭を回ってガスメーターの検針や集金、器具の販売などを経験するわけです。工場の夜勤なども経験します。そうやって現場で汗まみれになった後に営業所に配属されましたが、こうした期間の体験は私の職業人としてのベースとなりました。大きく、二つのことが経験できたからです。一つは、お客様からお金をいただくということを、身を以て実感したことです。各営業所では集金や器具の販売を行いますが、それがガス会社としての収入源のすべてです。集金は、お客様のお宅を回って行いますが、中には営業所に支払いに来てくださるお客様もいます。「先月分です」と言って、872円とかを払っていただく。それを受け取る時、「こうやって一軒一軒、何円何十円何百円という単位でいただくお金が集まって、この会社は成立しているのだ。この一円の重要性を忘れたらダメだ」と強く感じたのです。その後の何十年という会社生活で、何億円何十億円、時には何千億円という大きな事業にも関わりましたが、「あの時の一円が原点」と自ら言い聞かせてきました。

蓼沼:立派なお考えです。そしてそれを実践されてきたのですね。もう一つとは何ですか。

岡本:現場で働く人の重要性です。夏も冬も、朝も昼も夜も、ガス事業のため、ひいてはお客様のために汗水垂らして真面目にコツコツ働いている。こういう人たちが会社を支えてくれているのだと。このことも生涯、忘れてはならないと肝に銘じました。

蓼沼:素晴らしいですね。その後、中東経済研究所(当時。現・日本エネルギー経済研究所中東研究センター)やハーバード大学国際問題研究所に行かれるわけですね。

岡本:研究所への出向や大学への留学などもキャリア構築としては大変有意義でしたが、やはり原点や自分のベースとは何かということを忘れてはならないと改めて思います。
中東経済研究所には、入社して7年後に出向命令が下りました。ちょうどその頃、そろそろ変化がほしいと思っていたところで、喜んで行かせてもらいました。当時、中東研はできてまだ3年目でしたが、なんと理事には恩師の板垣先生が名を連ねていたのです。こんなところで再会できたと感銘を受けました。研究所生活は3年間に及びましたが、今思えば贅沢な期間でしたね。その間は丸々会社から離れ、好きな研究をしていいと言ってもらえたからです。研究対象は中東、アフリカ、そして東南アジアです。ここでも、大学時代に学んだことと接点ができました。実際にゼミで学んだことが役立った局面もありましたし、3年間の研究所生活は有益な研究ができ充実の時を過ごせたと思っています。中東研の研究の眼目は石油やエネルギーであり、我が国にとって、また世界においても最重要な切り口から国際情勢を見ることを徹底的に学び、対外発表もこなしながら身につけた知見は、今に至っても私の大切なベースとなっています。

10年おきに社外に出て積んだ貴重な経験

対談中の岡本氏2

蓼沼:充実ぶりがよく伝わってきます。中東研から戻られた後はどういう仕事に就かれたのですか。

岡本:原料部に配属になりました。ガスの原料を世界から調達する部署です。明治以降、当初の原料は石炭でしたが、それが石油に代わり、そして石油から天然ガスに急速に代わる時期でした。採集した天然ガスを液化しLNGにしてタンカーで輸入するわけですが、その主対象地がインドネシアなどの東南アジアだったのです。

蓼沼:ここでもまた東南アジアと関わったのですね。

岡本:縁とは本当に大切にしなければならないと思いました。調達先は中東やオーストラリアなどにも広がりましたが、大学や中東研で身につけたものは随所で役立ったと思います。ビジネスに直接関わらないところでも、たとえば相手国の理解の仕方や、どうアプローチすればいいかといった間接的な知識であっても、大変重宝しました。石油やガスが出ないミャンマーこそ行きませんでしたが、LNGの基地がある場所は辺境の地であることが多いのです。そういう場所に行くと、学生時代に書物で学んだミャンマーの村落社会的な場所も垣間見られて、深い感慨を覚えたこともあります。

蓼沼:原料部で調達という重要な業務を手がけた後に、ハーバード大学国際問題研究所に行かれたわけですね。

岡本:原料部の6年間は、相手国とのシビアな交渉もあり、かなりのハードワークでした。ですから、その後の1年間のハーバード大学在籍は、自分にとってはいい骨休めになりました。妻と子どもを連れ、ボストンの郊外に一軒家を借りてアメリカ生活を満喫しました。たった1年でも、出張ベースでは分からない、現地に暮らしてみて初めて分かることが山のようにありましたね。また、外から日本を見ることができたのも貴重な経験でした。これもまた、今思えば贅沢な待遇だったと思います。
勉強もある程度はしました(笑)。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で有名なエズラ・ヴォーゲル先生が日米関係のプログラムを持っていて、そこで学ぶことができました。

蓼沼:勉強も存分にできて、いいリフレッシュができましたね。

対談中の蓼沼学長2

岡本:そのとおりですね。実は、もう一か所出向しています。1999年から3年間、日本ガス協会という業界団体に行きました。同じガス業界なので未知の分野ではないのですが、日本中に200以上あるガス事業者との付き合いは興味深い体験でした。2016年6月にまさにその日本ガス協会の会長に就任しましたが、17年前の経験がとても役に立っています。

蓼沼:業界団体でもまた違う世界を経験されたのですね。

岡本:こうして振り返ると、30代で中東研、40代でハーバード、50代で日本ガス協会と会社員生活において10年おきに社外に出て貴重な経験を積ませてもらったわけです。交友関係や自分の知見を広げることができ、本当にラッキーでした。幸せな会社員生活を送らせてもらえたと思いますね。

蓼沼:いろいろと新しい世界に入るということは、とても貴重な体験であられただろうと思います。また、2016年3月に本学の学位記授与式(卒業式)でご祝辞をいただいた際に、「社会人として大学で学んだことが大いに役立った」とおっしゃっていただけて、大学人としてとても嬉しく感じました。

岡本:ゼミで深く学んだことによって、チャンスも広がったと思います。大学での学びは、直接的、間接的に社会で役立つことは間違いありません。大事なことは、卒業し社会人となってもアンテナを高く上げ情報収集を怠らないことです。そのためにも、幅広いことに関心を持つ必要があると思います。受け身でいると、こうした体験ができるかどうかは分かりません。そして、最初の現場経験を大切にして、自分の土台をつくることが大事です。

東日本大震災で見直した現場を支える力

蓼沼:岡本さんは経営者になっても現場を第一に考えておられます。我々にとっての現場とは、まさに研究現場であり教育現場です。大学における"現場第一"とは、学生にとって何が大事か、学生のために何ができるかという観点で発想するということだと改めて感じました。
その後、執行役員、社長、会長とステップアップされるわけですが、社長時代に東日本大震災が発生しましたね。ライフラインを支える企業のトップとして大変な時期であられたろうと思います。

岡本:2011年3月11日の午後2時46分は社長室にいました。本社ビルは地上27階建てですが、ビルが折れてしまうのではないかと本気で思ったほどの激しい揺れでした。すぐに緊急対策本部を立ち上げ、情報収集に当たりました。不幸中の幸いで、当社のガス供給エリアは大きな打撃を受けずに済んでいることが分かりました。ガスの供給も平時とあまり変わらず順調になされていました。ガスメーターが各所でストップするということはありましたが、それは機器が正常に作動しているということの証ですので、当社においては重大事象はなかったわけです。しかし、ライフラインの供給責任を持つガス会社として、当社の供給エリアだけ良ければいいというものではありません。関東圏、そして東日本エリアと、周辺のガス会社に何かあれば助ける責務もあるわけです。そこで、千葉県において液状化現象で苦労しているガス会社の支援に出るなどしました。
そして、その日のうちに東北沿岸地域が津波で大変なことになっていると分かりました。東北地方には小規模のガス会社がたくさんあります。どこも甚大な被害を受けていましたので、当社として1日あたり1500人ほどの社員を仙台市や周辺地区の復旧支援に行かせました。数週間経って一段落してから私も現地に行きましたが、津波に襲われた後の現場のありさまに、言葉を失いました。あの光景は終生忘れられないと思います。

蓼沼:そうだったのですね。

岡本:そのような中で、当社の社員たちは、水も電気ももちろんガスも止まっている状況で、光もなく水も出ないホテルの部屋に寝袋一つで泊まり込みながら、懸命に復旧活動に駆けずり回ってくれました。その時感じたのは、嫌なことどころか、意気に感じてやってくれているということ。「ガス屋の力をここで発揮しないで、いつ発揮するんだ」と言わんばかりでした。現場の力が生きているなと嬉しくなりましたね。復旧作業は順番にやっていきますから、なかなかガスが通じない場所もあるわけです。そんな時も「申し訳ありません、できるだけ早く直します」と頭を下げているのです。胸の奥に残っている光景ですね。

蓼沼:胸に迫るものがありますね。未曾有の大災害においては、トップが率先して動かないと現場もどう動いていいか分からないでしょう。その点、岡本さんは迅速かつ的確に動かれたわけですね。被災地にも早くから行かれました。

岡本:私だけでなく当社の役員たちも多数行きました。皆現場に強いこだわりがありますから。
いずれ、首都直下型の大地震が発生すると予測されています。その時に備えておくことが極めて重要です。ガスの設備はかなり強靭になっており、大きな地震でも簡単に壊れることはありません。また、東京湾には東日本大震災の時のような大津波は来ないといわれていますが、可能性のある規模の津波などの対策は怠ってはならず、当社としても万全を尽くしています。

一橋大学はもっと積極的な情報発信を

蓼沼:心しておかなければなりませんね。ところで、岡本さんには一橋大学学外理事として本学の運営に深く関わっていただいています。今、一橋大学では社会科学における世界最高水準の教育研究拠点を目指して、学際的・国際的研究や学期改革、カリキュラム改革、さらにプロフェッショナル・スクールの再編など大きな改革を進めているところです。そのような一橋大学に対する期待についてお聞かせください。

対談中の岡本氏3

岡本:如水会理事長や学外理事として一橋大学に関わる中で感じることは、社会科学系の研究総合大学の意義とはどういうものかということです。2015年6月に文部科学省の通達があってから何かと話題となっていますが、私は今日のような激動の時代こそ社会科学をしっかり学ぶことの意義があると確信しています。国として、企業や組織として、そして個人としてどう行動すべきか。それを考えるための基盤が非常に重要な時です。その基盤となる規範こそ、まさに社会科学の各分野における専門的研究と、その成果を核とする幅広く深い教養が形づくるものだと思います。それをベースに自分で考えた意見を発信し、レスポンスを受けて再考し、そして自分のものとする。さらにそのサイクルを繰り返しレベルアップさせるという一連の行動をとれる人材こそ、社会は求めていると思います。
国立大学は法人化され、新しい時代に入りました。法人として運営していくうえでさまざまな苦労もあると思います。そうした中でも、蓼沼学長が掲げておられる「社会科学における世界最高水準の教育研究拠点の形成」というビジョンには賛同し、期待もしています。

蓼沼:ありがとうございます。

岡本:法人であるならば、組織も、予算も、人事もしっかりしていなければなりません。それらは企業にとっては当たり前のことですが、国立大学法人においてはまだまだ課題も多いように思います。交付金の問題もあり財政事情も大変厳しいですね。しかし、何か手を打って一朝一夕に改善できるものでもありません。ここはプランの実現を目指して地道に取り組んでいくしかありませんね。そのためにも、他機関との連携や積極的な情報発信などは不可欠だと思います。その点、一橋大学の元々オープンな風土は強みとなりますが、さらに強化していってほしいと思います。また、情報発信の面では、もう少し図々しいくらいに積極的なところがあってもいいように思います

蓼沼:財政事情にもご理解いただき、ありがたく思います。ご指摘のように、情報発信にもより積極的に取り組んでいきたいと思っています。

岡本:先ほど、一橋大学の規模の問題が出ましたが、それはやむを得ないこととして、より正当に評価されるための努力は必要だと思います。素晴らしいことをしているのですから、それが世に知られるように努められるとよいと思います。

蓼沼:おっしゃるとおりですね。

岡本:如水会理事長としては、会を挙げて大学への支援は惜しまないつもりです。元々、如水会の定款には「広く政治経済、社会文化の発展に寄与する」といった素晴らしい理念が謳われています。冒頭でお話ししたとおり、会員は熱い母校愛に溢れていますから、いろいろな局面で協力してくれるでしょう。ただその際に、明確で分かりやすいビジョン、目指す姿を示してほしいと思います。多くの卒業生に「このビジョンの達成に貢献しよう」と思ってもらえるような太い柱ですね。それがあれば、より協力しやすくなりますから。

蓼沼:どのような組織も歴史というものを背負っているので、一朝一夕に変えることは難しくても、本学の将来への方向性を間違わないように、ビジョンを示し、舵取りをしていきたいと思います。

学生時代にしかできないことは第一優先でやってほしい

にこやかな対談の様子

蓼沼:さて、岡本さんは経団連副会長でもいらっしゃいますが、大学では学生の就職が大きな関心事としてあります。就職協定ではいろいろとご苦労も多いと思います。

岡本:副会長として、雇用政策や教育問題の委員長を仰せつかっているわけですが、いずれも大学に密接に関わっていますね。就職協定はどう決めても批判されてしまうので、ご心配いただいたとおり苦労もありますが、学生にとっていかに良い仕組みにするかという目的だけは見失わないようにしたいと思っています。働き方改革も、大学改革もそうですが、何のためにやるのかといえば、将来の日本を背負って立つ学生に社会に出て活躍してもらうことが大きいと思っていますから。
その点で一つ、一橋大学の学生の皆さんに申し上げておきたいことは、あまり早くからあくせく就職活動をする必要はない、ということです。一橋大生は一般的に優秀ですから、就職に苦労する学生はそもそも少ないはずです。また、3年生の3月に企業の広報活動を解禁し、4年生の6月に採用活動を解禁するという指針を決めた際、7月に帰国する留学生に不利になるという批判が起こりました。しかし、企業は留学生枠というものを持っていますし、留学しようという学生には優秀な人が多いのです。一橋大生ならなおさらです。不利になることなどあり得ません。
ですから、ぜひ学生時代にしかできないことをやってほしいと思います。若いうちは、時間はいくらでもあると思いがちですが、時間は有限です。今という時間は二度と戻ってこないのです。今は何をすることが大切なのかをよく考え、それを第一優先にして過ごしてほしいと思います。

蓼沼:おっしゃるとおりですね。このまま学生に聞かせたいぐらいです(笑)。

岡本:私の場合は無駄な時間の使い方もしましたので恥ずかしいですが、遊んではいけないというのではなく、勉強でも趣味でも旅行でも、何でもとにかく有意義な時間の使い方をしてほしいということです。

蓼沼:では最後に、グローバル化について伺います。企業も社会全体もまさにグローバル化に直面していると思いますが、グローバル化する産業界にどういった人材が求められているのか、お考えをお聞かせください。

岡本:産業界においてはすでに、国内だけを向いていてはビジネスが成立しない状況になっています。どの企業も、国内だけでなく広く世界を見渡し、生き残るには何が必要で、どうすればそれが手に入れられるかを必死に考えていると思います。東京ガスは、昔はドメスティックな会社で、唯一例外だったのが私の在籍していた原料部でした。それが今日では調達先は世界中に広がり、調達法も単なる輸入だけでなく、三国間貿易とか、産出地の権益を購入して自ら手がけるなど多様化しています。現地法人、駐在員事務所もどんどん増えています。当社ですらそうなのですから、ほかの業界ではもっと国外に目を向けているはずです。どこも一様に国際化では苦労していると思います。
そうした中で求められる人材にまず必要な能力としては、分かりやすいところでは英語力ということになるのでしょう。しかし私は、極端な言い方をすれば、日本語も満足に話せない人が英語力を身につけたところでさして意味はないと思っています。英語を流暢に話せても、中身がまるでないという人もままいるのです。ですから、逆説的ですがいかに学問的な深い教養を身につけておくかということのほうがはるかに重要ではないかと思っています。

蓼沼:大変貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。本日は長時間にわたり、誠にありがとうございました

(2017年1月 掲載)