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"共通善"のための文理共創へ

  • 国立研究開発法人産業技術総合研究所理事長中鉢 良治
  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2017年春号vol.54 掲載

国立研究開発法人の中でも、特に世界最高水準の研究開発成果が見込まれる「特定国立研究開発法人」に指定された、日本最大級の研究機関である産業技術総合研究所。ソニーの社長や副会長を歴任した後に同研究所の理事長に就任した中鉢良治氏を迎え、主に"文理共創"をテーマに、自然科学と社会科学の協働の重要性と一橋大学と締結した包括連携協定の意義などについて語り合った。

中鉢氏プロフィール写真

中鉢 良治

1977年3月東北大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。1977年4月ソニー株式会社入社。1999年6月同社執行役員に就任。同社執行役員常務、業務執行役員上席常務、執行役副社長COO、エレクトロニクスCEO、取締役代表執行役社長兼エレクトロニクスCEO、取締役代表執行役副会長を経て、2013年4月独立行政法人産業技術総合研究所理事長、2015年4月国立研究開発法人産業技術総合研究所理事長に就任、現在に至る。

蓼沼学長プロフィール写真

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D.(博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済学──効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。

社会とのつながりを重視して発展した産総研と一橋大学

蓼沼:一橋大学と産業技術総合研究所(産総研)は、2016年月日、産学官連携・協力に関する包括連携協定を締結しました。"ビジネス"と"科学技術"という二つの世界の間には"死の谷"が存在し、特に日本においてはそれによってイノベーションの実現する機会が失われているとの指摘もあります。本協定は、そんな谷に架橋を行う画期的な試みとして大変有意義なものだと思っています。そこで本日は、産総研の中鉢理事長をお迎えし、この協定のベースとなる"文理共創"の意義や今後の展望についてお話ししていきたいと思います。その前に、まずは産総研の沿革やミッションなどについてお話しいただけますか?

中鉢:産総研は、旧通商産業省工業技術院でつくばに8所あった分野別の研究所、及び全国に7所あった地域研究所の計研究所等が2001年に統合されて誕生しました。それらのうち最古のものは1882(明治)年に設立された地質調査所でしたので、そういう意味では135年の歴史があることになります。
現在、エネルギー・環境や生命工学、情報・人間工学、エレクトロニクス・製造、などの7分野の研究領域を持ち、日本の産業分野をほぼ網羅する形で産業技術の研究開発と産業界への技術移転を行っています。産業技術総合研究所という名のとおり、私たちのミッションは基礎研究、応用研究の成果をいかに実用化させるかという「技術の橋渡し」にあります。そこで、約2300名のプロパー研究者に加えて、約6500名のポスドクや企業等からの研究者が"技術を社会へ"というスローガンを掲げ、活動しているところです。

蓼沼:今のお話を伺って、一橋大学との共通点や相違点がいろいろあると思いました。共通点としては、まずは歴史の長さです。一橋大学は1875年に開設された商法講習所を起源として、日本の近代化の担い手を育成してきました。その当時から社会とのつながりを重視して発展してきたところにも共通点があると思います。

一本一本の線が太い"総合"研究所を目指す

対談の様子1

中鉢:そのとおりですね。一橋大学は産業界に直接的に役立つ人材を輩出し、日本の近代化に貢献されてきました。創立当時の時代背景として、列強に伍していくための人材を育てなければならないという社会的な課題があったのだと思います。それは産総研も同様でしょう。ルーツとなった諸研究所は、産業界が困っていた問題を科学技術の力で解決し、富国強兵の"富国"を支えてきた歴史があります。お互い、社会科学と自然科学というそれぞれの立場で社会の諸問題を解決する人材を育ててきたということでしょう。

蓼沼:当時は日本の最初のグローバル化の時代だったと思います。一橋大学は世界に雄飛する人材の育成とその基盤となる社会科学の基礎・応用研究という一本の線で発展を続け、それとともに組織形態も拡大してきました。産総研は広範な産業分野を網羅するという点で組織の成り立ちや規模の面で違いがあるように思います。理事長のお立場として、広範な領域を束ねていかれることにご苦労もおありかと思います。

中鉢:先ほど申しましたように、所あった研究所を統合して7分野に再編したのですが、研究活動は高度化すると細分化し深化していく傾向があります。今後、さらに社会と産業の未来を見据えて、組織を再編していく必要性が出てくるかもしれません。たとえば、生命工学とエレクトロニクスを組み合わせて何ができるか、といった視点ですね。一方で、かつて総合商社とか総合電機、百貨店などの"総合"企業には、「中核となる事業が見当たらない」とか「いろいろあるけれど欲しいものがない」と批判された時代がありました。"総合"であることが強みとなるように、それぞれ研究活動の線の幅を太くしていく必要があると思っています。そういう点では、一橋大学の一本の線の太さというのも大きな強みではないかと思いますね。

蓼沼:おっしゃるとおりだと思います。産総研のこれまでの代表的な研究成果について教えていただけますか。

対談中の中鉢氏

中鉢:土地利用や災害防止、資源探索などに必要な全国の地質図の作成・提供、及び長さや時間、質量などの計測技術の向上と計量体系の維持は、安全で快適な社会と産業の基盤で、世紀から連綿と続けてきています。世紀には、第一次世界大戦後の食糧難に国産肥料を提供したアンモニア合成法、今では当たり前の電子計算機、機械翻訳の原型、ブドウ糖を微生物酵素で果糖に転換する技術などを社会に提供してきました。最新鋭の旅客機に用いられている炭素繊維、携帯電話のディスプレイに使われている透明導電膜、電子機器やロボットに使われている希土類磁石なども、オリジナルの技術は産総研において開発されたものです。近年では、カーボンナノチューブや次世代パワー半導体の製造技術、肝炎患者の発がん診断マーカーなど、実生活や産業に役立つ技術を続々と開発してきています。特に、目下日本企業の独壇場となっている炭素繊維は、産総研が開発した材料の中で、社会に最もインパクトを与えた一つだと思います。

理系にこただわって
博士号取得、そしてソニーへ

蓼沼:中鉢理事長のご経歴についてお聞きしたいと思います。宮城県のご出身と伺いました。

中鉢:鳴子町、現在の大崎市の出身です。米どころの農村地帯です。のんびりした田舎町でしたし、親も勉強しろと言うことなどなく、将来学問に関わるような要素はありませんでした。むしろ、アカデミズムとは真逆の環境だったと思います。そうした中で、仙台の高校に進学しました。当時は一学年が8クラスある中で理系が5クラスありましたので、文系は理系に進めなかった者が行くところという勝手なイメージを抱いてしまい、漠然と「理系に進まなければならない」と思い込んでいました。今思えば謂わば"偽装理系"でしたね(笑)。その証拠に、理系にこだわった無理がたたったのか、2浪をしてしまいました。浪人中はなぜか「今に見ていろ」という自信があり、三度目の正直で、東北大学の工学部に入りました。その後、結果的に博士課程まで進んで大学生活を終えました。そしてソニーに入社したわけですが、日本の製造業が最も光り輝いていた時期、しかもグローバル企業の先頭を走っていたソニーは、恵まれた環境でした。

蓼沼:ソニーという、日本を代表する先進企業の経営者になられて、どのように取り組まれたのでしょうか?

中鉢:(目の前のテーブルを指差して)世の中をこのテーブルにたとえれば、1人の人はこのほんの一部しか知らないわけです。私は企業の開発技術者だったのですが、その立ち位置にいた者がいきなり会社全体を眺めようとしても難しいものです。まずはそれを感じました。それまで電子デバイスの開発に専念していた者が、明日から社長だと言われてもすぐに対応できるものでもありません。筑波山からいきなり筑波研究学園都市に出てきたタヌキのようなものです(笑)。戸惑いもありましたが、しかし腹を決めて一つひとつこなしていきました。グローバルに事業を展開している企業ですから難しい仕事ばかりでしたが、周囲の力も借りて懸命に取り組みました。社長に就任したのは2005年で、リーマン・ショックまでは業績は好調でした。それが自分の努力によるものかどうかは分かりませんが、逆にリーマン・ショックという大きな力の流れの前には、非力さを感じたものです。IT化やインターネットがビジネスに不可欠なものとなり、世の中の動きが格段と速くなりました。社長としての数々の経験を経て物事が分かる頃には、もうタイミングが過ぎていたと感じることもありました。「あの時こうしていれば」という後悔ばかりですね。あの頃は社員の総力を結集していたつもりでしたが、まだまだ不足していたかも知れない、"文理共創"をもっと活発に行う必要性があったということでしょう。2009年には副会長となって直接ビジネスを指揮する立場は離れたわけですが、自分の中の"偽装理系"は産総研の理事長に就任するまで解けなかったのかもしれないと思っているところです。産総研には多くの優秀な研究者がいますから、自分が理系だとこだわる必要がない。今は、技術がわかる文系ぐらいの意識で、研究者と接しています。

蓼沼:数々の実績を挙げておられるので、偽装とはご謙遜だと思いますが、確かに当時の大学進学者の多い高校では数学や物理のできる生徒が優秀、という雰囲気はありましたね。私は元々歴史や地理が好きな文系人間でしたが、それでも理系の友だちと話すのは楽しかった記憶があります。何を学ぶか、人として何を大事に考えるかは人それぞれですが、そういった人同士が交ざり合うのが面白いのだと思います。また、1人の中に文系と理系の要素が交ざり合っているということもありますね。

自然科学や社会科学をつなげ統合する人材の必要性

中鉢:学問には、分からなかったことが分かる快感があります。成長している感覚が心地よいというか。少年時代や学生時代はすべて「自分のため」にやることです。会社に入ることも自分のためです。それが、管理職や役員になると「会社のため」になります。会社人間と言われたりするのはこの頃です。私の場合、企業経営者になった頃から、「社会のため」という動機が少しずつ強くなりました。そして産総研の理事長となった今は、「社会のため」が自分の中心を占めるようになりました。自分の落ち着き場所を見つけたという感じですね。そこで、理系や文系は、もっと大きな"善"のためにあるという点で同様と思うようになりました。

蓼沼:なるほど。

中鉢:ずっと理系としてやってきて企業経営まで手掛けたわけですが、自分の中で今一つ理解できていなかったことは、世の中の仕組みはどうなっていて、誰がどのように動かしているのかということです。逆に、文系の人にとっては、技術的なことがブラックボックスのように感じられていることでしょう。どちらも中身が見えない。ともに中途半端で、どこか落ち着かない感覚があると思うんですね。自然科学の学者が自然科学を説明し尽くすことはできませんし、社会科学の学者も同様でしょう。

蓼沼:社会科学の場合「どうであるか」ということと、「どうあるべきか」という二つのことを両方考える必要があると思います。研究対象が社会だからこそ、社会の基本的な仕組みを明らかにすることと、それがどうあるべきかを追究し政策などに活かすことが求められるわけです。社会科学も経済や法律などの専門領域に分かれますが、最終的には社会全体はどうあるべきかというところに収斂されます。しかし、だからといって個々の社会科学者に世の中全体が見えているとは限りません。社会が対象なので多少は視野が広いのかもしれませんが、基本的には自分の専門分野の視点で社会の現実を判断することになるわけです。自然科学はさらに高度化し細分化が進んでいるように思います。

中鉢:そのとおりで、同じ理系といってもITの研究者が機械のことも分かるかといえばそんなことはなく、分野が違えば文系の人と同じように分からないものです。また、社会科学で、たとえば人間すべてを研究しようとしても、膨大な時間がかかって生涯においてまとめ切ることはできないでしょう。これをたとえば特定の地域に住む特定の人の研究に細分化すれば、数年で結果を出せるかもしれません。どこにフォーカスするかが研究の第一歩となるわけで、それはアカデミズムの宿命であると思います。そしてそこに、自然科学や社会科学の各領域をつなげて統合する存在の必要性が浮上するように思うのです。いろいろな領域の接点をインテグレートして一つの課題を解決していくような人材ですね。日本の場合、そのような人材の育成が後れていることが問題だと思っています。

対談中の中鉢氏2

中鉢:そのとおりで、同じ理系といってもITの研究者が機械のことも分かるかといえばそんなことはなく、分野が違えば文系の人と同じように分からないものです。また、社会科学で、たとえば人間すべてを研究しようとしても、膨大な時間がかかって生涯においてまとめ切ることはできないでしょう。これをたとえば特定の地域に住む特定の人の研究に細分化すれば、数年で結果を出せるかもしれません。どこにフォーカスするかが研究の第一歩となるわけで、それはアカデミズムの宿命であると思います。そしてそこに、自然科学や社会科学の各領域をつなげて統合する存在の必要性が浮上するように思うのです。いろいろな領域の接点をインテグレートして一つの課題を解決していくような人材ですね。日本の場合、そのような人材の育成が後れていることが問題だと思っています。

文理が共に"共通善"の実現に向かわなければならない

対談中の蓼沼学長

蓼沼:中鉢理事長がおっしゃる"文理共創"ですね。いい言葉だと思います。それぞれの領域がこれだけ高度化すると、何かの専門性がなければなりません。それとともに、他の分野に対しても関心や知識があり、コミュニケーションできる能力を持つ人材が必要です。今はまだ言葉が通じない状況にあるのではないでしょうか。

中鉢:そう思います。"文理共創"には、まず共通言語が必要です。現状では、文理を同じ言葉で連結できる専門職は存在していません。そこで、社会科学を手掛けている人が理系の世界に入って協働する、その逆もある中で、お互いに理解を深め、徐々にブラックボックスをなくして不安を取り除いていく必要があると思うのです。

蓼沼:私もそのように思います。

中鉢:世の中の企業経営者の7割は文系です。そういう面では、産業界は文系社会といえるわけですが、この事実を理系の人は知らないのです。なぜならば、研究所などのせまい世界に入り込んでいるからです。そこから飛び出ると、なんと文系の人が多いことかと気づきます。政治経済を担っているのは文系の人間が多いわけです。そうでありながら、国立大学は理系に偏重しているように思うのですが

蓼沼:国立大学で理系の比重が高いのは、研究設備などに費用がかかるので近代化の過程では国策として整備する必要があったからだと思います。ですから、研究成果や発明・発見は公共財として国民全体の利益に還元されなければなりません。公共財を供給するという点では一橋大学も同様の役割を担っているわけで、文系の重要性をもっと主張していく必要性は感じています。

対談中の蓼沼学長2

中鉢:産総研も公共財ですし、もっといえば企業もそうではないでしょうか。松下幸之助さんや盛田昭夫さんは、「企業は社会の公器」だと言っていますね。その点、大学人も企業人も「社会に貢献したい」との思いに大きな差はないと思います。私は、この"公"というものを見直すべき時期にあるように思っています。大学も企業も予算などのリソースをどう振り向けるのかという難しい話はありますが、その大前提として"大きな善" "共通善"の実現に向かわなければならないということです。文系と理系の"善"が違っていてはならないと思います。そして、それを仕掛けていく存在が必要だということです。

蓼沼:おっしゃるとおりですね。

違和感を大事にすることが次のパラダイムにつながる

中鉢:そうであるにもかかわらず、そうなっていない事象をよく見かけます。たとえばですが、今年の大学入試センター試験の国語の問題です。科学技術は「先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている......」といった問題文でした。その意味を問う解答の五つの選択肢を読んで、私は全てが正しいとしか思えなかったのです。しかし、試験問題としての正解は一つだけです。私には理解できませんでしたが、あれは何を問うていたのでしょうか

対談の様子2

蓼沼:おそらく、その設問は読解力を見るためだけのもので、その問題文を通じて社会的に何が正しいのかを問うものではないからだと思います。

中鉢:それは分かりますが、出題された問題文と五つの選択肢をつなげれば、そのどれもが間違ってはいないとしか読めません。つまり、こういうところに、大きな視点でものを見て、考える姿勢を育てる思想が欠落しているのではないかと危惧するわけです。世の中の正解は、たった一つだけではありませんね。社会科学は多面的であり、多様性の中で自分の考えをどう打ち出していくか、そういった個性が社会活動においては大切なのではないでしょうか。学校ではそういう教育もしていると思います。そう教育しておきながら、一つしかない正解を選ばせること自体がよく理解できないのです。なぜ画一を求めるのでしょうか?私は、筆者の考えとは違う解釈があってもいいと思います。堂々と「自分はこう考える」という姿勢が必要なのではないか。しかし、なかなかそう言えません。自信がないからです。「間違ったら恥ずかしい」と思うから、人前で自分の意見を言えなくなっているのではないかと思います。個人の意見はそれぞれ異なっていい、個人が社会に抱いた違和感が貴重なことがある、そういう違和感を尊重することが、社会を健全に発展させるのだと思います。

蓼沼:今のお話は、まずは大学人として、大学入試におけるアドミッション・ポリシー、つまりどういった学生を受け入れるのかという方針を考えるのに大変参考になりました。そして、多様な考え方がある社会において、一つの考え方がなぜ正しいか、あるいはなぜ実行すべきかを説明し、多くの人に納得してもらうフレームワークを持つ重要性を感じました。その一方で、様々な人がいて、違和感を覚えるからこそ、次のパラダイムができてくるのだと思います。

科学技術の進化には社会的合意が不可欠

中鉢:おっしゃるとおりで、フレームワークを構築するにはまさにサイエンスが必要なわけですね。勘と経験と度胸だけではダメだということです。勘をサイエンスしたものが、今の潮流となっているAIでありIoTであったりするわけですが。

蓼沼:AIが進歩して自分で新たな思考パターンを見つけていけるようになると思いますが、大本のところがどうあるべきかは人間が考える必要があるでしょうね。社会科学でも情報分析は非常に重要で、いわゆるビッグデータを分析できる人材が必要です。産総研でも情報分野を研究されていますから、連携できることが大変楽しみです。

中鉢:私も大いに期待しています。産総研では冒頭でお話ししたとおり"技術を社会へ"というスローガンを掲げて研究に取り組んでいるわけですが、技術的に解決できていることでも事業化できずに"死の谷"に落ち込んでしまうことが多々あるわけです。技術の未熟さもあるかもしれませんが、それよりも社会的な合意形成ができない問題が大きいのです。一橋大学には、ぜひそこに社会科学の知見を提供していただきたいと思っています。

蓼沼:科学技術が急速に進歩すると、それまでになかった問題が生じますね。例えば、AIによって奪われる仕事があるといわれていますが、そのことをどう受け入れるかという社会的合意形成は難しいのだろうと思います。そこには「事実認識の違い」と「価値観の相違」という二つのレベルの問題があるように思います。

中鉢:そのとおりですね。実に難しい問題です。誰がどのように事実を認識しているのかも不明ですし、価値観となるとさらにわからない。もっと議論を進めて、この両方を公の場にさらしていく必要があるでしょう。その議論の中で、場合によってはどこかを思い切って捨象しなければならない。捨象し、方向性を決めていける、そういう能力を持つ人が、自然科学と社会科学を連携させることができるのかもしれません。細かい各論に拘泥していては進みませんから、より高次に連携させていく必要があるでしょう。自然科学の視点で考えると、人間と自然と科学の三者がどう寄り添うかを考え、三者が合意して初めて、"共通善"に向かうことができるように思います。人間と自然と科学の"三方よし"です。私はその中でも最重要視しなければならないのは自然だと考えています。自然への適合性の前に、科学への適合性、人間への適合性を考えるのは、順序が違うと思うのです。農薬などの化学物質の危険性を訴えた『沈黙の春』という名著がありますが、人間は資源を掘り続け、ものをつくり続け、そして捨て続けてきたわけで、今それが限界に近づいているのです。さて、その次に果たして人間はどうすべきなのか。そういう大きな問題を目の前にしている時に、文系だの理系だのと言っている時間はないと思います。もっと真剣に文理が共創していかなければなりません。これを本気で進めることは日本の最重要課題の一つではないかと思います。

一橋大学とのコラボレーションは技術を社会に実装する第一歩

蓼沼:科学には人間が自然を変えるための道具という考えが根強くあるのだろうと思います。地球温暖化や異常気象などは、その反作用というとらえられ方もされています。あらゆる問題は制約の中でトレードオフとして考える必要があると思います。自然を開発して物質的に豊かになるかもしれないが、その反作用で他の重要な価値が打ち消されてしまうこともある。そういったジレンマを明らかにしていく必要がありますね。

朗らかな様子の中鉢氏

中鉢:ジレンマ、トリレンマはたくさんあります。しかし、そうした中で何が一番大切なのかははっきりしている。人の命、人の幸せです。これからの自然科学は倫理や社会科学と照らし合わせつつ進めていくという思想が必要です。

蓼沼:そういう意味で、産総研のミッションには「経済・社会的課題への対応」という項目もあります。今後の役割をどうとらえられていますか?

中鉢:これからのものづくりにおいて大事なのは、つくることやつくるものが人間社会にとって価値のあるもの、正しいこと、すなわち"共通善"に結び付いていることです。経済的な価値は大切ですが、それのみが優先されて、人間にとって真に大切なことがないがしろにされるのは、もはや許されないことです。私は、そのような視点に立って産総研の運営に携わっていきたいと思っています。50年、60年経った時に「産総研があって良かった」と言われるような存在を目指したいですね。

蓼沼:産総研との包括連携協定を、人材育成の場にもしていければと思います。いろいろな専門分野の人材が交ざり合って、議論していく中で面白い成果が出てくるのではないでしょうか。技術系の経営人材を育成する大学院などもつくっていきたいですね。

中鉢:楽しみですね。産総研の内部に一橋大学の研究者や学生を受け入れる場をご提供することで、その研究もよりリアルなものになるのではないかと思います。"技術を社会へ"は、"技術を一橋大学へ"と言い換えてもいい(笑)。我々にとっては、一橋大学とのコラボレーションは、技術を社会に実装する第一歩になるととらえているのです。私もその交ざり合いの議論にぜひ加わりたいと思っています。

蓼沼:本日はありがとうございました。

(2017年4月 掲載)