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成長するアジアの社会科学トップスクールとの連携

  • シンガポールマネジメント大学(SMU)学長アーノル・ドゥ・メイヤー
  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2018年8月29日 掲載

変化の激しい時代に対応できるリーダーや起業家を育成することを目的に、2000年にシンガポール政府が出資して設立された、シンガポールマネジメント大学(SMU)。INSEADやケンブリッジ大学のビジネススクールを経て、アーノル・ドゥ・メイヤー氏が2010年、同学の学長に就任した。同学は、一橋大学を含む世界の社会科学系9大学が加盟するSIGMA(Societal Impact and Global Management Alliance)の創設を主導、社会科学のグローバルな発信力を高めている。このほど、2018年の入学式にドゥ・メイヤー氏をお迎えし、記念講演をしていただいた。本対談ではアジア屈指の社会科学系大学であるSMUの特色や取り組み、そして一橋大学との連携などについて意見を交わした。

アーノル・ドゥ・メイヤー氏プロフィール写真

アーノル・ドゥ・メイヤー

ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジ・フェロー、経営学教授、ジャッジ・ビジネス・スクール長を経て、シンガポール経営大学(SMU)第4代学長。INSEADに23年間所属し、初代INSEADアジア・キャンパス長などを歴任。ベルギーのゲント大学において、電気工学理学修士号、経営学修士号(MBA)、経営学博士号を取得。また、米国マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院にて、客員研究員として従事。研究分野は、製造・技術戦略、研究・開発(R&D)管理、不確実性の高い状況下でのプロジェクト管理、アジアにおける経営・イノベーションであり、学術誌において研究成果を幅広く発表し、数多くの書籍も出版している。その他、ヒューマン・キャピタル・リーダーシップ研究所、国立研究財団、シンガポール国際商業会議所、シンガポール・シンフォニア社、テマセク・マネージメント・サービス社などの組織の役員、ダッソー・システムズ社社外取締役(フランス)、フレミッシュ科学技術研究所(VITO)戦略諮問委員会委員長(ベルギー)、欧州品質改善システム(EQUIS)認証機関代表も務める。

蓼沼学長プロフィール写真

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D(.博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済学──効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。

オペレーションマネジメントの研究で日本との関わりができる

対談風景1

蓼沼:本学の入学式では、素晴らしいスピーチをしていただき、ありがとうございました。

ドゥ・メイヤーこちらこそ、大変光栄です。

蓼沼:国際経験の重要性、それも単なる観光に行くのとは違って、現地の人にアクティブに質問したり議論することが重要であると語っていただきました。本学の教育方針とも合致することであり、大変ありがたく思いました。
では、まずメイヤー学長のご経歴について伺います。ご専門分野や日本との関わりについてもお話しください。

ドゥ・メイヤー:私は最初からマネジメント分野を専門としていたわけではありません。大学では電気工学を学び、卒業後は石油化学産業でエンジニアとして働きました。しかし数年後、博士号を取るのもいいのではないかと考えるようになり、それまでプロセス工学の分野で働いてきたので、R&D(研究開発)マネジメントで博士号を取ることを決意しました。
私が学んだベルギーのゲント大学の博士課程では、アメリカのマサチューセッツ工科大学への留学機会を得るという幸運に恵まれました。私にとってそれは初めての海外生活でした。そしてR&Dマネジメントにおける生産性向上の分野で博士号を取得し、卒業に際して、論文指導教員からフランスのビジネススクールINSEAD(インシアード)に応募するよう助言を受けました。
教員に採用されたINSEADでは、一般のマネジメントだけでなく、プロセス工学の経験を活かしてオペレーションマネジメントを教えるように求められましたが、これが日本とコンタクトを取るきっかけになりました。なぜなら、当時つまり1980年代、日本の製造技術は世界のどこよりも優れていたからです。
一方、当時INSEADはインドネシア、シンガポール、マレーシアといった東南アジアの各国で多くのエグゼクティブ育成プログラムを実施しており、オペレーションマネジメントや品質管理、サプライチェーンマネジメントについて非常に高いニーズがありました。こうしたニーズに応えるために、東南アジア各国で教壇に立つ傍ら、日本から多くのことを学び、研究を続けていました。この間R&Dマネジメントやオペレーションマネジメントの分野で多くの論文を発表し、必然的にイノベーションマネジメントにも関心を持つようになり、研究分野はイノベーションを創出するバリューチェーン全体に広がって行きました。
1980年代後半から90年代初頭の日本のメーカーは、製品開発スピードが速いことで知られていましたので、製品開発を学ぶためにサバティカル(研究休暇)を利用し、来日。90年代初めの1年間を日本で過ごしました。その後も日本はたびたび訪れています。生活がしやすく、働きやすい東京をとても気に入っています。

蓼沼:90年代の初頭と言いますと、日本はちょうどバブルがはじけて、以来日本経済は長い停滞期に入りました。その頃にドゥ・メイヤー先生は、何度か来日されたわけですが、日本の変化であるとか、経営上の問題を感じることはありましたか?

ドゥ・メイヤー:最初の来日はバブル期の後半でした。日本は好景気に沸いており、世界で最も成功した経済国とみなされていました。「我々は世界を必要としていない」というようなある種のおごりさえ感じられたほどです。実際に日本のメーカーや輸出された製品は、ほぼ無敵でした。昨日考えていたのですが、今の日本の若者の多くは、iPhoneを使っていますよね。つまり今、最も成功している企業はアップルなのでしょう。私が日本で生活していた頃は、最も成功していた企業はソニーでした。誰もがソニー製品を欲しがりました。当時最もファッショナブルな製品は、ほとんど日本製だったのです。その後、バブルがはじけた後に再び日本を訪れましたが、日本の経営者の多くは、かつて圧倒的だった競争優位性を日本はすでに失ってしまっている、中国やインドなどの新興国企業が迫っている、そうしたことに気づくのに、ずいぶんと時間がかかったと感じました。
また日本企業は、単なる輸出企業から国際的な企業へと変わっていく必要がありましたが、その切り替えにも非常に長い時間を要したと感じています。たとえば日本の自動車メーカーは、ヨーロッパのフォルクスワーゲンやダイムラーといった企業に比べ、中国市場への進出が遅れました。

INSEADとケンブリッジ大学での経験を活かしSMUの学長に就任

対談風景-メイヤー氏

蓼沼:今後の日本経済の再生に、大変有益な示唆をいただいたと思います。では、その後のご経歴についてもお教えください。研究者として大変立派な業績を上げておられますが、次第に大学経営の仕事に重点が移っていったと理解しています。その経緯についてお話をいただければと思います。

ドゥ・メイヤー:先ほどお話ししたように、INSEADは東南アジアでエグゼクティブ育成プログラムを実施していました。90年代半ばになるとプログラムの規模がかなり大きくなっていました。そのためINSEADの理事会は、アジアでの事業展開についてフィージビリティ・スタディ(実行可能性についての調査)を行いたいと考え、東アジアに関心を持つ私に実施要請がありました。いくつかの選択肢が考えられましたが、最終的に理事会はシンガポールに独立したキャンパスの設置を決定し、私を学部長、つまりシンガポールキャンパスの責任者に任命しました。とても面白い経験でした。フランスの本部から1万kmも離れた場所に全く新しいキャンパスをつくるという機会は、滅多にありませんからね。新キャンパスは成功を収め、シンガポールで過ごした5年間は、素晴らしいものでした。しかし、私は個人的な理由でヨーロッパに戻りたいと考えていました。その際にケンブリッジ大学のビジネススクール長(Dean)に就任するという機会に恵まれたのです。その後、2010年になって、SMUの理事会からシンガポールに戻る気はないかと打診されました。INSEADとケンブリッジ大学での経験を活かして、歴史が浅く発展途上のSMUに力を貸して欲しいという話でした。こうしてよく似た大学の学長同士として私たちは知り合うことになりました。もっとも、一橋大学のほうがずっと長い歴史をもち確固たる位置を占めている大学ではありますが。

蓼沼:SMUはさまざまな革新的な施策を素早く導入し、急成長されているところに敬意を持っております。
シンガポールにおける学術研究、高等教育についてお伺いしたいと思います。とりわけシンガポールでは高等教育が一つの重要な国家産業と見受けられます。シンガポールでの高等教育の位置づけや、国がどのように高等教育を振興し、サポートしているかといった点についてお聞かせいただけますか。

対談風景-メイヤー氏2

ドゥ・メイヤー:ご存知の通りシンガポールは非常に小さな国です。面積はわずか約720km2しかありません。天然資源もありません。そのため政府は、自国の資産は国民しかないと考え、経済的な成功を目指して国民の能力開発に多くの投資を行っています。1980年代後半から90年代初頭、シンガポール政府は、日本や欧米の下請のような国にならないためには知識経済を構築する必要があることに気づきました。そして、90年代の半ば以降、高等教育や研究機関への多大な投資を行っています。INSEADもその一環で誘致されたわけです。さらにシンガポール政府は競争も重要と考え、競い合うことができるよう、さまざまな学術機関や大学を創設してきました。

蓼沼:今、シンガポールには世界トップランクの大学や研究機関がいくつかあります。中でもSMUは、世界における社会科学をリードする大学の一つです。そこに至るまでにはいくつかのステップがあったかと思いますが、どのような方法で成長していかれたのでしょうか。

ドゥ・メイヤー:第一に、シンガポールは非常に開かれた国なので、世界各地から優秀な教員を招聘することができました。現在、SMUの教員の60%がシンガポール以外の国の出身者です。SMUが成功した要因の一つは、日本を含め世界中の国々から非常に有能な人材を迎えられたことが挙げられます。
第二の特徴に小規模であることが挙げられます。ご存知の通り小規模な学術機関の場合、研究分野を絞り込む必要があります。すべての分野で秀でることは難しいため、トップになれる分野を選び、戦略を練ったうえで力を注いできました。
第三に、SMUは実務家が設立した学術機関だということです。大学創設者のホー・クォンピン氏は、学術機関の経営にビジネスの考え方を持ち込みました。SMUが機動的で対応が速く、野心的なのは、その影響が強いのです。

学生に海外経験を義務づけるSMUの教育方針と内容

対談風景-蓼沼学長

蓼沼:研究においては強みのある分野にフォーカスする必要はあると思います。一方で人材育成、教育においてはどういう方針で臨まれているのでしょうか。学生には、専門分野の深い知識とともに幅広い知識も求められると思いますが。

ドゥ・メイヤー:非常に的確なご指摘です。研究については、リソースに限りがあるため分野を絞る必要があります。しかし教育においては、どの学部でも学生はより広範な科目を学んでいます。通常、学生は卒業までに36科目を履修する必要がありますが、そのうち自分が専攻する経済や金融といった専門分野の科目は半分より少し多い程度です。残りの半分弱、確か16科目だったと思いますが、それらは歴史、文化、芸術、社会学といった、より一般的な科目です。つまりSMUの学生は、専門分野だけを集中して学ぶのではなく、かなり幅広い教育を受けています。
またインターンシップを必修化していますし、社会奉仕活動も卒業要件として義務づけています。さらに2018年以降は海外経験も義務づけます。

蓼沼:学生に国際的な経験を積ませることの重要性については、記念講演の中でもおっしゃっておられましたが、具体的にはどのような取り組みをなさっていますか。

ドゥ・メイヤー:学生には、これから更に進むグローバル化への対応力を身につけてもらいたいと思っています。とりわけシンガポールは小さな国ですから、政治、経済はもとより、世界の変化の影響を大きく受けます。海外経験を義務づけているのは、そうした理由からです。多くの学生は他大学との交流プログラムに参加することになりますが、その一つに一橋大学があることは、大変嬉しいことです。
海外でのインターンシップを選択する学生もいます。例年、相当数の学生が中国やインドネシアを訪れ、現地での就労体験を通して国際感覚を磨いています。また、海外経験の第三の形として、社会奉仕活動が挙げられます。ケニアやネパール、中国といった国でNGOと協力して4~5週間コミュニティサービスに参加するのです。さらにビジネス・スタディー・ミッションという研修もあります。25人の学生グループが一学期間、一つの国や地域について研究し、学期末にグループで現地を訪れ、企業や政府機関で見学やインタビューを行うといったプログラムです。多くの学生が複数の海外プログラムに参加しています。

蓼沼:一橋大学の教育方針と非常に近いと感じました。本学でも、一つの専門分野を深く学ぶことに加え、他分野への関心を持つことを奨励するために、学部や大学の枠を超え、自由に他学部や他大学の科目が履修できるシステムを導入しています。国際化の促進の点でも同様ですが、SMUがパートナーであることは大変ありがたく思っております。学生にとっては、大変人気がある留学先だからです。ただ、海外のインターンシップについてはスペインでの研修プログラムがある程度ですので、さらに充実させなければならないと思いつつ、お話を伺っていました。

ドゥ・メイヤー:私たちはつねに相互に学び合うことができます。今はどの大学も、大学運営の国際展開という未知の領域を少しずつ切り開いているところですから、お互いの経験から学ぶ必要があるのです。

蓼沼:次に大学の財政について伺います。日本は莫大な財政赤字を抱えており、国から国立大学への交付金が徐々に減っている状況で、日本のどの国立大学も厳しい財政に直面しています。そこで、SMUの財政構造と産学連携の状況についてお聞かせください。

ドゥ・メイヤー:SMUの法的な位置づけは、保証有限責任会社という特殊な形態ですが、実際には民間企業と変わりません。株主こそいませんが、民間企業と同じように事業活動を行います。教育省と業務協定を結びますが、教育省が大学を管理するわけではありません。各大学が学生数、卒業生の就職状況、研究の質などについて教育省と契約を結び、代わりに学生1人当たりいくらといった補助金が年額で交付されます。補助金の対象は学部生のみでほかの活動には適用されません。
補助金以外の収入源は、各大学の自主性に任されています。もちろん学生からの授業料収入もありますが、そのほかにも単位取得後のプログラムの提供や、研究契約の締結、利益率が高い社会人教育のプログラム、さらに資金調達活動も行っています。
産学連携に関するご質問がありましたが、SMUはエグゼクティブ教育で産業界と緊密に連携しているほか、企業との研究契約を相当数、結んでいます。また教員に対しては、企業との共同論文の執筆を奨励しています。

対談風景-蓼沼学長2

蓼沼:一橋大学でもエグゼクティブ向けの教育プログラムを行い、かなりの規模になっています。これは今後も伸ばして行きたいと思っています。一方、研究については社会科学分野となると産学連携はなかなか難しいと感じています。理工系や医学系などでは、企業の製品開発や新薬開発に直接結びつく研究領域があります。それに比べると社会科学では政策提言や制度改革など公共財に関わることが大きいわけです。もちろん企業の利益につながるものはあると思いますが、理系に比べるとそれがやや薄いのではないかと感じています。その点、どうお考えになっているのか、また貴学としてどう対処されているのかをお教えください。

ドゥ・メイヤー:自然科学・工学分野のほうが研究契約を獲得しやすいのは確かです。その点で、本学の大きな収入源となっているのは情報システム学部です。情報システム学部はコンピュターやソフトウエア工学を研究する学部で、さまざまな企業と共同研究を行っています。しかしながら、経営やビジネスの領域でも、企業が関心を寄せる分野はいくつかあります。たとえば最近、SMUでは小売業の将来に関する研究を行うためのリテールセンターを設置しました。ご存知の通り、小売業はe-コマースやネット通販に脅かされています。そうした課題を解決するために複数企業によるコンソーシアム(共同企業体)が、SMUの小売業研究を支援してくださっています。またラグジュアリー製品を取り扱うフランスの企業LVMHと協力し、アジアにおける高級品のマーケティングに関する研究も進めています。このように、産業界が関心を持ち、大学と共同研究を行いたいと考える分野は、少なからず存在するのです。

蓼沼:大変興味深いことです。もう一点、授業料は社会科学系の大学にとって、重要な収入源になります。先ほど、特に大学院の授業料については、自由に設定できるとおっしゃいましたが、どういった方針で決められているのでしょうか。特に留学生とシンガポール国民との間で区別をしているのかなど、授業料の大まかな方針を教えていただけますか。

ドゥ・メイヤー:学部と大学院とでは、明確に分けて考える必要があります。学部課程については、政府から補助金を得ているため、授業料の額は政府の承認を得る必要があります。率直に言って、SMUの授業料はシンガポールの他大学と比べて高めの設定になっています。一方、大学院に関しては、完全に自由に授業料を設定できますが、こちらは国際競争力を保つことが重要です。そのためSMUでは、INSEADのMBAプログラム、ロンドン・ビジネス・スクール、米国のいくつかのトップレベルの大学、香港などの大学を参考に、授業料を設定しています。個人的な意見ですが、授業料というのは授業の質を表す指標の一つだと考えています。つまり授業料の水準があまりに低いと、その授業には価値がないと思われる可能性がある。SMUはまだ知名度がそれほど高くなく、歴史も浅いため、最高水準の授業料を設定することができません。それでも競合する大学グループの上位4分の1には入るようにしています。

蓼沼:日本の国立大学の場合、授業料は厳しく規制されておりまして、国立大学の授業料は学部・大学院ともに、どの大学も標準的な金額に合わせているのが現状です。学部については、機会均等という観点からある程度の規制は必要とも思いますが、職業との結びつきが強い大学院については、もう少し自由化すべきと私自身は考えておりますし、プライスは質を表すシグナルでもあるというお話は、重要なご指摘であると思います。実際、一橋ビジネススクールの場合には、その点が懸念されているところです。
次に私どもがメンバーになっているSIGMAについてお伺いしたいと思います。SIGMAを創設されたお1人として、設立の主旨と目標についてお話しいただけますか。

社会科学系大学の価値を高めるSIGMAのコンセプト

対談風景

ドゥ・メイヤー:何年も前に、私はあることを確信しました。「ビジネスに携わるものに対する教育は、従来ビジネススクールが提供してきた範囲を超える、幅広いものであるべきだ」と。私はキャリアのほぼすべての時間を、ビジネススクールで過ごしてきました。いずれも優れたビジネススクールです。しかし現在では、ビジネス上のさまざまな問題を解決するには、広い領域の知見が必要になります。問題がより複雑になってきているからです。ですから学生にとっては、一橋大学やSMUなどが提供する広範な教育が必要なのです。
私はつねづね、マスコミや各国政府といった、いわば「外の世界」の人々は、一橋大学やSMUのような教育機関を十分に評価していないと感じていました。大学ランキングは、ビジネススクールと総合大学に分かれており、私たちのようなタイプの大学は、両者の狭間に隠れて、きちんと評価されていません。
私は、「SMUはビジネススクールではない。ビジネスのための学校だ」と表現することがあります。あらゆる分野の知識を結集し、今ビジネスが直面しているさまざまな課題に対応する学校、という意味です。しかし、そのことを認識できている人はほとんどいないようでした。そこで私は仲間探しを始めたのです。SMUと同じ価値体系、方法論を持つ大学がないかと。仲間がいれば、集まって情報を交換し、共同研究を行うことができます。あるいは協力してプログラムをつくることができるかもしれません。しかし、一番の目的は、「研究・教育分野を絞りつつなお幅広い領域を包括する大学」という概念を世に広めることでした。

蓼沼:単なるビジネスのスキルやノウハウを教える大学ではないschool for business、大変いい言葉だと思います。一方で先ほどいわれたビジネススクールと理系を含む総合大学との中間の存在になっているというアドバンテージは何だと思われますか。

ドゥ・メイヤー:私にはビジネススクールであるINSEADと総合大学のケンブリッジ大学の双方で働いた経験があります。ですから両方のデメリットを知っています。ビジネススクールは、ビジネスだけに焦点を絞り過ぎているため、ほかのさまざまな社会的側面を忘れがちです。一方、規模の大きな総合大学は、各学部の権力が非常に強いことが挙げられます。学部の独立性が強く、学部間の協力はままなりません。その点、我々の大学はそれほど規模が大きくなく、各学部は互いに必要とし合っていますし、学際的に協力し合うことが容易です。

蓼沼:非常に興味深いポイントを指摘していただきました。我々はある程度小規模で、たとえば、経済学と経営学、法学、社会学との共同は比較的容易にできる大学だと思います。一方で現代社会、これからの社会の問題として、高齢化社会や環境問題が挙げられ、理系との共同教育プログラムも必要になってくると思います。ドゥ・メイヤー学長は、そうした課題を解決するために、どのような試みや取り組みを考えておられますか。

ドゥ・メイヤー:まず高齢化と持続可能性の分野については、学内で大規模な共同プロジェクトを行っています。高齢化については、経済に関する研究だけでなく、情報システム学部でもさまざまな研究を行っています。高齢者の自宅にセンサーを取り付けて移動パターンを研究し、パターンからの逸脱が見られた時にサポートや介入を行うといった研究です。持続可能性においては、弁護士にも参加を呼びかけて法制度や持続可能性への影響、サステイナビリティーマネジメント、企業への影響などについて研究を行っています。また政府、NGO、企業の間で必要とされる協力の在り方や、国際連合の「持続可能な開発目標(SDGs)」についても研究を進めています。
もちろん、一部の分野については文系と理系の共同が必要です。たとえば現在SMUではヘルス・マネジメントに関するプログラムの新設を計画していますが、これには医学部との連携が不可欠です。そうした連携が必要になった時、研究の方向性をきちんと見極めてから、他大学に共同研究の話を持ちかけます。また共同研究のパートナーとして産業界に働きかけることもあります。たとえばヘルス・マネジメントのプログラムに関しては、複数の大病院を有する医療グループに連絡を取りましたが、先方はSMUとの連携に関心を持っていました。

蓼沼:一橋大学でもAIやロボティクス、ヘルスケアといったテーマについては産業技術総合研究所という日本最大級の国立研究開発法人と連携しています。また、医科大学との連携も進めています。私が感じるのは、社会科学の立場から提言する時に、総合大学ではなく独立した社会科学の大学だからこそ、より強く指摘できるということです。

ドゥ・メイヤー:同感です。

単なる交換留学を超えたジョイントプログラムに期待

対談風景-メイヤー氏

蓼沼:では、今後SIGMAが重視する取り組みについて、お考えをお聞かせください。

ドゥ・メイヤー:私にとってSIGMAは、相通じる大学と連携できる初めての場です。しかし、すでにその関係は、情報交換を超えて次のステージに入るべき段階に来ていると思います。たとえば、3〜4校程度が連携していくつかのプロジェクトを立ち上げるといったことです。私は現在、学部生向けの共同モジュールあるいは共同プログラムを構想しています。現在SIGMAに所属する大学は、相互に交換留学の提携を結んでいますが、将来的には、SIGMA参加大学からの留学生には特別な経験を提供できるようにしたいですね。何かしらの優遇措置が受けられるといったことです。また、共同研究ももっと行うべきでしょう。各国とも自国だけでは解決できない課題を抱えているからです。その意味で、SMUの高齢化経済研究センターと一橋大学の医療政策・経済研究センターが協力して活動を行っていることは非常に素晴らしいと思います。

蓼沼:共同プログラムは、単なる交換留学ではなく、お互いに学生の教育に責任を持つという点で、ワンステップ上がった学生交流となるように思います。そして、高齢化やヘルスケアについてのSMUとの共同研究は大変光栄に思いますし、これからさらに進めていきたいですね。また、SIGMAのほかのメンバーとの共同研究や教育にも、積極的に参画して行きたいと考えています。

ドゥ・メイヤー:SMUでは、先頃「SMU-X」というカリキュラムを立ち上げました。XはExperienceの意味です。教員の指導のもと、学生が産業界や政府、NGOと協力してプロジェクトを遂行するというコースです。我々は海外経験を重視していることもあり、現在関心がある大学を探しています。私は今後、このプログラムをSIGMAのメンバーとともに発展させて行きたいと思っています。

蓼沼:実現すれば、学生にとって大変有意義なプロジェクトだと感じます。一橋大学もぜひ積極的に参加したいと思います。そのように、多面的にSMUと連携できることは大変素晴らしいと感じています。最後に、SMUから一橋大学に期待することをお話しください。

ドゥ・メイヤー:一橋大学は昔から高く評価し尊敬してきた大学で、30年ほど前に初めて来日した時も世界トップクラスの大学として認識していました。日本において一橋大学は、すでに多くのことを成し遂げています。私が貴学に期待することの一つは、SMUとの連携です。私たちは多くの共通点を持つ大学同士ですから、協力できることがたくさんあると思います。東南アジアと東アジアが共有する関心として、膨大な経済力を有する中国の存在があります。シンガポールは中国ともいい関係を維持しなければなりませんが、日本や韓国、そして東南アジア諸国とも同様に良好な関係を築いて行かなければなりません。そうした中、一橋大学とSMUが協力して若者の間の協働を促進できれば、今後両国が将来、よりよい経済を実現していくうえで大いに役立つと思うのです。
そしてもう一つ、研究面での協力にも期待を寄せています。共同で研究を行えば、社会科学分野の優れた研究の重要性を政府に理解してもらえると思うのです。私は現在の理系偏重の風潮を危惧しています。理系の研究そのものを否定するつもりはありませんが、ほかの視点も必要だということです。たとえば最近起きたフェイスブックの個人情報流出問題からも分かるように、ビッグデータや人工知能の社会的影響は十分に検討されていません。私たちが力を合わせ、そうした研究がもっと必要だと主張すれば、両国政府からの理解を得られるのだと思います。

蓼沼:全く同感です。本日はありがとうございました。