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"実学"重視で共通する慶應義塾大学と一橋大学の過去と未来

  • 前慶應義塾長清家 篤
  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2018年春号vol.58 掲載

1858(安政5)年、啓蒙思想家で教育者の福澤諭吉が蘭学塾として江戸に開いた慶應義塾。以来、慶應義塾大学は福澤の唱える「実学の精神」を受け継いだ教育・研究を通じて数多くの人材を輩出してきた。実は、一橋大学とは歴史的な関わりが深く、かつ実学教育・研究などの点で両学は共通点も多い。今回のトップ対談は、その慶應義塾の塾長を8年にわたって務め上げた清家篤氏をお迎えし、両学のミッションや連携、これからの人材育成などについて語り合った。

清家氏プロフィール写真

清家 篤

慶應義塾大学商学部教授、慶應義塾学事顧問。博士(商学)。専攻は労働経済学。1978年、慶應義塾大学経済学部卒業、1980年慶應義塾大学商学部助手、1985年同助教授を経て、1992年より同教授。2007年より商学部長、2009年から2017年5月まで慶應義塾長。2017年5月より現職。この間、カリフォルニア大学客員研究員、ランド研究所研究員、経済企画庁経済研究所客員主任研究官、社会保障制度改革国民会議会長(内閣)、天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議構成員(内閣官房)、日本私立大学連盟会長、日本労務学会会長、ハーバード大学客員教授(Edwin O.ReischauerVisiting Professor of JapaneseStudies)などを歴任。現在、社会保障制度改革推進会議議長(内閣)、ILO仕事の未来世界委員会(ILO Global Commissionon the Future of Work)委員などを兼務。2016年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。2018年4月より一橋大学経営協議会委員に就任予定。

蓼沼学長プロフィール写真

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D(.博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済学──効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。

祖父は機械工学者
父親は建築家

蓼沼:本日は、高名な労働経済学者であり、慶應義塾長を長く務められた清家篤先生と対談する機会を得ることができ、楽しみにしておりました。清家先生には、2018年4月から一橋大学の経営協議会の委員にご就任いただくことになっております。どうぞよろしくお願いいたします。

清家:大変に光栄なことで恐縮しています。どこまでお役に立てるかは分かりませんけれども精一杯務めさせていただきます。

蓼沼:では、清家先生のご経歴から伺います。まず、お父上の清家清先生は建築家として大変高名でいらっしゃいました。

清家:はい、父の清は建築家でした。また祖父の正は一橋大学の兄弟校のような東京高等工業学校、現在の東京工業大学を出た機械工学者で、神戸高等工業学校、現在の神戸大学工学部などで教えていました。子どもの頃を神戸で過ごした父は、旧制中学時代に美術の先生から絵がうまいと褒められたことから、美術学校に行きたいと思うようになったそうです。機械工学者の祖父としては、美術の道に進むことには心配で、最初は賛成しなかったようですが、願書を取り寄せた東京美術学校、現在の東京藝術大学美術学部にたまたま建築科があったので、祖父も建築ならよかろうということになり、それで建築の道に進んだと聞いています。父としては、仮に建築科でも、美術学校に入ってしまえば絵の勉強はできると考えていたそうです。しかし入ってみたら周りには全国から絵のうまい学生ばかり集まってきており、自分は神戸で天狗になっていたことを知り、絵描きにならなくて良かったと思ったと言っていました。

蓼沼:そうだったのですね。

清家:父は、自分の子どもたちには好きなようにさせようという方針で、私には祖父と父の間にあったような進路を巡る会話はありませんでした。数学や英語などはわりあい好きでしたので、親類が通っていたこともあり、慶應の経済学部に行ったということで、あまり劇的な話ではありません。

蓼沼:お父上は広い心で見守られていたわけですね。

清家:広い心といいますか、いい加減だったのではないでしょうか。父はよく「いい加減が"好い加減"」などと言っていました(笑)。よくいえば、自由ということなのだと思いますが。

「学者は国の奴雁なり」と
"cool heads but warm hearts"

蓼沼:芸術や建築の世界は、師が懇切丁寧に教えるよりも、創造に取り組む姿を見せるほうがむしろ弟子を大きく育てるように思います。それは経済学も同様かもしれませんね。もちろん、体系的な知識を教える必要はありますが、教師が研究に打ち込む姿を見せることもとても大事ではないでしょうか

清家:同感です。学部生では少し難しいかもしれませんが、大学院生ならば教員が一緒に研究で苦労し、失敗するプロセスを共有することなども大切だと思います。

蓼沼:清家先生は、経済学者として政府の有識者会議や審議会などでもご活躍されています。専門の研究だけでなく、研究成果をつねに政策と結び付けながら社会に還元されている清家先生の姿勢に高い敬意を払っておりますが、経済学者の果たすべき役割とはどういったものであるとお考えでしょうか。

清家:福澤諭吉の言葉に、「学者は国の奴雁どがんなり」というものがあります。奴雁とは、雁の群れが一斉にエサをついばんでいる中、一羽だけ首を高く上げて周囲を見回し、難に備える雁のことだそうです。福澤はこの奴雁になぞらえ、学者も世の中が目先のことに追われているような時に、歴史を顧み、現状を冷静に分析し、その結果をもって先々のために何をすべきかを考えて示す役割があると言いたかったわけです。このことはあらゆる学問にいえることだとは思いますが、特に将来経済予測を目的とする経済学者などは、経済史を踏まえ、現状を実証的に分析しうるモデルを構築し、そこから将来に悪い予測が出ればそれを回避するための、良い予測が出ればそれを促進するための政策はどうあるべきかなどを考えることが求められている、ということではないでしょうか。

蓼沼:経済学者として名高いアルフレッド・マーシャルの"coolheads but warm hearts"、「冷静な頭脳と温かい心」との名言に通じるように思います。"奴雁"という、大変意味の深い言葉を教えていただきました。

日本の経済学を開いた慶應義塾大学と一橋大学の歴史

対談風景1

蓼沼:さて、慶應義塾大学と一橋大学は私立大学と国立大学という形態の違いはあっても、実質で共通点が多いと思います。一橋大学は1875(明治8)年に明治六大教育家に数えられる森有礼が開いた商法講習所が起源です。その商法講習所の設立に、渋沢栄一とともに福澤諭吉が深く関わっていることが伝えられています。そして、日本の経済学を開拓した福田徳三は、一橋大学の前身である東京高等商業学校で学んだ後に母校の教授となり、その後慶應義塾の教授に就任しました。その理由は、東京高等商業学校校長の松崎蔵之助との対立が原因とも言われています。しかし、転じて慶應義塾では小泉信三や高橋誠一郎といった逸材を育てるなど、数々の功績を残しました。その後、母校に復職し、中山伊知郎、杉本栄一、山田雄三など、日本における経済学の発展の中核となる人材を数多く育成しました。つまり、福田によって慶應義塾と一橋、さらには日本の経済学の礎が築かれたといえると思います。

清家:そのとおりだと思います。福澤は森の依頼を受けて開学の趣意書を書いた際、国際貿易には商法の知識が必要であり、日本人にはそれが足りていないがゆえに外国の商人に委ねている現状は残念であり、それゆえ社会的インフラとして商法講習所が必要であると書いています。福澤が一橋の設立に関わったことは、慶應義塾にとっても光栄なことです。また、福田徳三は慶應義塾の大恩人です。1905(明治38)年から1918(大正7)年まで教授を務めましたが、ご指摘のとおり、塾長となった小泉や、後に文部大臣などを歴任した高橋といった慶應の経済学を背負って立った人たちを教えています。面白いエピソードがあるのですが、当時の慶應義塾は文学、理財、法律、政治という四つの学科がありました。小泉は経済学者ですが、実は慶應義塾では政治科の出身なのです。それは、福田が政治科で教えていたからで、それだけ小泉は福田に傾倒していたわけですね。

蓼沼:福田の経済学にそれほど魅力があったということですね。

清家:経済学をベースとした日本の社会政策の創始者です。福田は市場経済を認めたうえで、政府が再分配や福祉政策を行う形で社会を前進させる政策の必要性を説きました。それは、福澤の実学の精神にも合致していると思います。福澤は何事もバランスを重視し、極論を排し、革命ではなく改革を進めるため、実学、つまり実証的な学問を重視しました。福田は関東大震災の直後に東京市(現在の東京都)の約3万6000人の市民に対して失業率調査を行い、その結果をもって国や東京市に支援の必要性を訴えました。イデオロギーにとらわれない、今日につながる労働経済学の基礎を築いたわけです。困っている立場の人たちをどう救済するか、まさに"cool heads but warm hearts"で社会政策を考えた人といえるでしょう。その伝統は、今の慶應義塾の労働経済学研究などに脈々と受け継がれています。

「半学半教」と「実学の精神」

対談風景2

蓼沼:あの時代にそのようなフィールドワークを行ったのは先駆的で、実証科学を切り拓いたといえますね。実学を重視するということでは、ルーツが近い一橋大学とも共通しています。

清家:そうですね。一橋と慶應義塾は国立大学と私立大学の違いはあるものの、その基本的な考えかたにおいてとても親和性があると思います。

蓼沼:開学した時は貧しい私塾でしたから、専任教員をたくさん雇えなかったという事情もあったのでしょう。しかし、それ以上に福澤の理念として、塾生は一方的に教わるだけではなく、学んだことや得意なことは塾生同士で相互に教え合い、学び合うことが大切だという考えがあったと思います。塾生だけでなく教員も学生に触発されるし、もちろん教員同士が互いに切磋琢磨することも大切であると。ある意味、高等教育のあるべき姿を先取りしていたといえるかもしれません。蓼沼 一橋大学の教育の中心であるゼミナールは、まさに「半学半教」の場といえると思います。

清家:そう思いますね。その点でも両者は一致しています。そしてもう一つ、福澤の大切な理念である「実学」ですが、言葉の意味として誤解されている面もあると思います。

蓼沼:どういった面でしょうか?

清家:福澤はわざわざ実学という言葉に"サイヤンス"、つまり"science"というルビをふっています。おそらく、その頃まで日本の学問の主流だった儒学などに対するアンチテーゼであったのでしょう。偉い人の言ったことを金科玉条の如くありがたがるのが学問ではないということ。実学というのは学問の研究対象に実体があり、それについて自分なりに仮説を立てて検証し実証していく科学であるべきだと。何事も絶対視せず、物事を相対化し、客観的に見る姿勢を大切にしたのです。

蓼沼:世間一般には、実学という言葉に対して「すぐに役立つ知識やスキル」といった、誤ったイメージがあるように思います。一橋においても真の意味の実学を重視する点は同じで、学長としてそのことを説明する場が数多くありますが、"サイヤンス"という言葉は非常に分かりやすいですね。さっそく使わせていただきます(笑)。また、実学の「実」は「実り」に通じます。つまり、実証科学であるとともに、社会に実りをもたらすことを目指す学問であるべきだと思います。ところで、清家先生は慶應義塾の塾長を8年間務められましたが、その間も社会のグローバル化は大きく進展しています。そのような社会状況の中で、大学教育や研究の役割について、どのようにお感じになっているかお聞かせください。

"グローバル人材"のあり方とその育成

対談風景3

清家:研究においては、好むと好まざるとにかかわらずグローバル化はますます加速するでしょう。もっとも、事情は分野によって異なり、たとえば法律などにはローカル性もありますね。一方、経済学や自然科学は、活動の場をグローバルにしていくしかありません。教育においては、経済のグローバル化に伴いモノやサービスの国際間移動が増すと同時に、日本では少子高齢化も進んでいますから、国内だけに留まっていてはビジネスチャンスは十分ではないという状況にあります。その意味でも、グローバルに活躍できる人材を育成する必要性が、ますます高まっているというのは間違いないでしょう。

蓼沼:ご指摘のとおりですね。

清家:外国語や国際標準の経済学などをしっかり学ぶ必要があると思います。そこで一つ気になるのは、"グローバル人材"といった時に、ともすると"グローバル競争を勝ち抜ける人材"という意識が強すぎるのではないかということです。

蓼沼:なるほど。

清家:それも大切ではありますけれども、実は真の意味で大学が育成すべきグローバル人材とは、グローバルな課題の解決に貢献できる人材であるべきでしょう。国際的な自由競争市場をきちんと守り、地球温暖化や少子高齢化などボーダーレスな課題解決に貢献していける人材です。国際競争に勝ち残り、自分たちだけが成長していければいいということではないのではないかと。

蓼沼:全く同感です。そして、グローバル人材として身につけるべきは英語のスキルであると思われがちですが、それだけでは十分ではありません。英語力ももちろん大事ですが、どのような時代にあっても自分のコアとなる力が大切であると思います。それは課題を発見し、論理的に思考し、実証的に検証し、解決への道筋を見出していく力です。

量より質を重視すべき海外留学や留学生受け入れ

清家:おっしゃるとおりです。グローバルなコミュニケーションにおける共通言語として英語は極めて大切です。同時にどこへ行っても通用するのは科学的な論理です。客観的な論理は、相手が誰であろうとどんな言語であろうと互いに理解できます。そういう意味で、今日のように変化の激しい時代においては考えるべきテーマを特定し、それについて自分なりに論理を組み立て、系統的に考える力がますます重要になります。これはまだ答えが見つかっていない問題について仮説を立て、それを科学的な方法で検証して答えを出すという学問的方法論に他なりません。ですから学生には、グローバル人材となるためにもそういった学問の方法論をしっかりと身につけてほしいと思います。

蓼沼:優れたグローバル人材を育成するためには、海外留学の機会を学生に与えることも重要です。学生にはできるだけ外の世界を経験させたいと思いますが、一橋大学では単に量を増やすというよりも、つねに質を重視すべきと考えています。

清家:慶應義塾も全く同じです。量と質の間にはトレードオフ(ある選択をすることで別の何かを犠牲にする、二律背反)の関係があります。いたずらに量を追求して質を落とすのは得策とはいえません。海外留学生を受け入れるというのは、国内の学生と机を並べ、まさに"半学半教"で学び合うところに最大のメリットがあると考えています。留学生の数を増やすために留学生だけのための特別プログラムをつくったりすることは、慶應義塾では行っていません。国内の学生を送り出す場合も、留学先は慶應義塾と同等以上のレベルで学べる環境を、責任を持って確保する必要があります。そういった大学と信頼関係を深め、提携していくのには時間もかかり、なかなか大変な作業です。

蓼沼:そう思います。一歩一歩信頼関係を築いていくことが大事ですね。

清家:そういう姿勢が大学の長期的な評価にもつながると思います。そうした視点に立てば、私は慶應義塾も一橋も質を重視するという点で共通していると思います。また大学の評価とは、卒業生がどれだけ社会に貢献しているかで測られるべきです。その点においても、この両者ほど人材を輩出している大学はないと思います。そして私たちは、三田会、如水会という極めて強力なOB・OG組織を持つ点でも共通していますね。

蓼沼:在学生に対していろいろと親身に支援してくれるなど、質・量ともに傑出している同窓会だと思っています。

社会人教育への取り組みと両学の連携について

蓼沼:次に、近年注目されている社会人教育について伺います。これだけ変化が激しい時代になると、社会人もまた大学で勉強し直す必要性が増していると思います。また、少子化も進んでいるので、大学側も社会人を積極的に受け入れていく方向にあると思います。

対談風景4

清家:慶應義塾には、1960年代からのビジネススクールと、さらにそれ以前からあった通信教育課程の二つがあります。通信教育でも単位認定は厳しく卒業論文も必修であって、学位も通学生と同じものを授与します。ビジネススクールの方も、特に中堅層のビジネスパーソンの再教育ニーズは増えています。最近は学部から直接進む学生もいますが。

蓼沼:そうですね。

清家:よく「学生時代にもっと勉強しておけば良かった」と言われます。確かに社会に出て初めて勉強の必要性に気づくという面があると思います。ですから、そういう人たちのニーズにより広範に応えるためには、フルタイムのカリキュラムばかりでなくもっとフレキシブルに受講できるプログラムを用意することもありうるでしょう。また、これはインフォーマルなものですが、ゼミ仲間と卒業後も勉強し合う場などを大学がサポートすることもあっていいと思います。

蓼沼:開かれた大学、ということですね。いずれにしても、ビジネスや法務などにおいてグローバルに活躍するために必要な専門知識やスキルがますます高度化する中、大学に求められる役割はいっそう高まると思います。

清家:一橋と慶應義塾はともにロースクールの実績も良いですね。ロースクールで学んだ学生が公務員になるといった動きもあります。学会だけでなく、民間企業や官庁等で活躍する高度な専門性を身につけた人材を大学院やビジネススクールが養成できるということを、もっと社会に認識してもらう必要はあると思います。

蓼沼:私も強くそう思います。さて、これからも慶應義塾大学とはいろいろな面で連携していきたいと考えています。たとえば、大学院生や教員同士の交流をはじめ、それぞれが持つ豊富な長期的な統計データやパネルデータなどの教育研究資産の共同利用などが考えられると思います。

清家:同感です。すでに自然発生的な交流はずいぶん盛んです。大学レベルで決めて上意下達式に進めるというよりも、研究者同士の自発的交流を大学がサポートするという形が良いのではと思います。そうした動きを踏まえて、博士課程の国内留学・単位互換といった施策がボトムアップ的に起きていくのが望ましいのではないでしょうか。

握手を交わす二人

蓼沼:確かに両大学の教員の間には何十年にもわたる交流の基盤がすでにあります。その上に、自然に出来上がっていく仕組みこそ実り多いでしょうね。
では、最後に、一橋大学に期待することをお聞かせください。

清家:これまで培ってこられた強みを、これからも大切に伸ばしていっていただきたいですね。何といっても一橋大学の強みは、量より質を重視したレベルの高い教育と、教育でも研究でも特にセンスの良さが感じられるところにあると思います。卒業生も研究者もスマートで良識がある。そういったブランドイメージを守ることのできるような教育、研究を続けていただければ良いのではないでしょうか。

蓼沼:心していきたいと思います。本日はありがとうございました。

(2018年4月 掲載)