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管理会計を"医療現場"に持ち込み、病院経営の未来を切り拓きたい

  • 商学研究科教授荒井 耕

2016年冬号vol.49 掲載

荒井 耕

荒井 耕

1994年一橋大学商学部卒業。富士総合研究所(現・みずほ情報総研)勤務を経て、2001年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。大阪市立大学大学院准教授、一橋大学大学院准教授等を経て2012年より現職。その間、エジンバラ大学(公会計部門)やUCLA(医療サービス部門)で在外研究に携わるほか、東京医科歯科大学大学院で「財務・会計」の講義を担当(2004年度~現在)。また、厚生労働省や医療経済研究機構等の管理会計に関わる各種研究委員会や、中央社会保険医療協議会(中医協)の診療報酬調査専門組織保険医療専門審査員(医療機関のコスト調査分科会委員)を歴任。2015年より中医協の公益を代表する委員(三号委員)、費用対効果評価専門部会・部会長を務める。近著に『病院管理会計:持続的経営による地域医療への貢献』(中央経済社、2013年、第43回日本公認会計士協会学術賞-MCS賞受賞)等がある。

管理会計の専門家が"不在"だった医療業界

私の研究分野は"管理会計"ですが、研究の対象としてきたのは一貫して"病院経営"です。管理会計とは、会計情報を経営者の意思決定や業績の評価・管理に役立てることを目的としたものです。そうした経営管理の仕組みを、私は"医療の現場"に導入しようと長年取り組んできました。
スタートさせたのは1990年代の半ばです。経済成長が下降線をたどり始め、高齢化社会に突入していくターニングポイントと言える時期でした。国が病院の診療報酬の抑制に動き始め、将来の経営難を見越した対策として"管理会計"に注目したのです。
当時、私は一橋大学商学部卒業後に入ったシンクタンクに勤務していましたが、病院経営に関心を持ったきっかけは、厚生省(当時)が関わる病院の原価計算プロジェクトに参加したことです。大きなやりがいを感じました。その頃、医療業界には管理会計の専門家がおらず、手つかずの状態だったからです。1980年代までは経済成長とともに診療報酬が上がり続け、1990年代になって伸びが鈍化してからもストックがありましたから、管理会計を導入する必要がなかったわけです。"病院=お金の話はそぐわない"という固定観念が根づいていたことも一因かと思います。
当初は国からの受託研究という形でプロジェクトに携わっていました。それだけに、自分なりに納得できるまで取り組むことができずフラストレーションが溜まっていきました。そこで一念発起してシンクタンクを辞め、大学に戻って研究を続けることにしました。

医療管理会計とは、"質と効率"を両立させる活動である

私が研究してきた"医療管理会計"は、私が研究を始めた90年代半ばには、すでに米国の病院では20年以上前から導入が始まっていました。日本でも今となっては一般的になっていますが、潮目が変わったのは2003年です。大学病院から実施された診療報酬制度の見直しがきっかけになりました。投薬や検査などを行えば行うほど収入が上がる"出来高制"から、疾患ごとに一日当たりの診療報酬が決まる"定額制"に移行されたのです。そのため"コスト管理"という発想を病院経営に取り込む必要が出てきたのです。
病院経営では、人件費をはじめとして病棟や医療機器にかかる費用など"固定費"が7〜8割を占めます。割合が高いほど、利益に大きな影響を与える"収益"をコントロールしようという意識が働くものです。ところが、定額制への移行で収益を自由に増やせない状況になり、安定的に利益を確保するにはコスト管理が不可欠になったわけです。
ここで誤解のないようにお話ししておきますと、コストを管理するということは、安全性を含めて医療の"質"をなおざりにすることではありません。病棟や医療機器の稼働率・回転率を上げ、提供する医療サービスの費用対成果を向上させることで、採算がとれるようにする。また、後発医薬品の使用を促進したり、医師以外でもできる仕事を看護師に代替させたりすれば、医療の質を維持しながら費用を低減させることが可能になります。技術の進歩に対応した高価な機器への投資を高い頻度で行いながら、医療水準を高く保つためにもです。
つまり医療管理会計とは、医療の世界で二律背反と思われがちな"質と効率"の両立を実現させるための活動なのです。

管理会計に関する"教育活動"で、研究成果を医療現場にフィードバック

導入にあたっては、効果を出す鍵となるポイントがあります。その一つが"責任センター別原価計算"の実施で、企業で言えば"部署"にあたる"診療科"別に財務状況を把握することが重要です。
原価計算を実施するうえで責任者となるのは、経営者と医療職の間に立つ現場の事務系管理職ですが、現状では人材が十分に育っているとは言えません。また現場の医療系管理職の管理会計に対する認識は低いのが現状です。そこで私は、研究活動の傍ら、病院の管理職に対する"教育活動"にも力を入れています。最近の例を挙げると、一般社団法人日本病院会が主催する病院管理職向け研修・スクーリングや、日本赤十字看護大学大学院での経営管理職にある看護師の方々を対象にした講義などを行っています。
原価計算の目的の一つは、"業績評価"に役立てることにあります。ただし評価するのは損益だけではなく、財務以外の各種の目標の達成度なども対象になります。ちなみに、そのようなシステムとして有名なものが"バランスト・スコアカード(BSC)"です。財務指標を中心とした業績管理手法の欠点を補うものとしてアメリカで提唱され、四つの視点(財務・顧客・業務プロセス・学習と成長)で評価される点が特徴です。病院事業に留まらず、介護事業や非営利組織など、"質と効率"の両立が強く求められる事業団体に適したシステムと言えるでしょう。
いずれにせよ、業績評価で大切なのは"やり過ぎない"ことです。利益偏重になれば質の低下をもたらしますし、経営状況に合わせた仕組みの導入を心掛けるべき。バランスが大事だということです。

時代が変われば、経営学も変わる。
"未踏の分野"に活かし、社会をより良くしたい

医療管理会計を導入するメリットは、病院経営を安定させることに留まりません。各種医療職や事務職に蓄積された知見が、職種を超えて全員に共有され、病院全体としての知識水準の底上げにつながっていく。そんな副次的なメリットも生み出します。なぜなら、管理会計活動の中で、病院スタッフが一丸となって提供する医療サービスの設計図を引き直すことになるからです。
病院には数多くの人が働き、数多くの患者さんやご家族がいらっしゃいます。規模が大きくなるほど、大きな雇用を生み出す"吸収力"のある場と言えるでしょう。高度な医療環境とホテル並みの施設を備えた日本最大級の私立総合病院として有名な亀田総合病院(千葉県鴨川市)はその好事例と言えますが、国が取り組んでいる"地域創生"という観点でも重要な役割を担う拠点になると考えています。
振り返れば、私は社会が必要としている管理会計とは何かを追究してきた気がします。時代が変われば、経営学も変わる。医療機関や国のプロジェクトに携わってきた異端をいく研究者として、これからも未踏の分野を切り拓いていくつもりです。(談)

(2016年1月 掲載)