プリント

平成26年度学部入学式における式辞

2014年4月3日

平成26年度学部入学式式辞
教養ある社会科学的理知─自由学芸のすすめ

一橋大学長 山内進

 みなさん、一橋大学に入学おめでとうございます。また、本日この場に参加されている保護者、ご家族、ご親族などの方々にも、来賓のみなさまや一橋大学教職員とともに、心よりご入学をお祝い申し上げます。本日はみなさんを迎え入れるにあたって、一橋大学がどのような大学、どのような個性をもった大学であるかをお伝えして、大学としての祝意を表したいと思います。
 一橋大学は1875年に、明治の啓蒙主義者で初代の文部大臣となった森有礼によって、銀座尾張町に創設された商法講習所に由来します。商法講習所は1884年に農商務省、翌年文部省直轄になり、東京商業学校と改称しました。1885年には神田一ツ橋に移転し、1887年には高等教育機関となって、高等商業学校と名称を変えます。日本で唯一の高等商業学校で、やがて本科の上に専攻部を設置し、帝国大学に匹敵する体制を整えました。1902年、神戸に新しい高等商業学校が設置されたので、名称を東京高等商業学校と変え、多くの優れた人材を世に送り出しました。ところが1909年、文部省は東京高等商業学校の専攻部を廃止し、それを帝国大学に吸収しようとしました。これに猛反発した東京高等商業学校の学生たちは総退学の決議を行い、全員が退学届を提出しました。世論の同情や渋沢栄一など多数の経済人たちの働きかけもあって、専攻部はその存続をかろうじて認められました。この出来事を申酉事件といいます。その後、紆余曲折をへて、東京高等商業学校は大学への昇格が認められました。1920年のことです。名称も東京商科大学となりました。帝大と並ぶ最高水準の大学として、東京商科大学は、教育、研究の両面で優れた人材を輩出しました。やがて、敗戦後の学制改革で、東京商科大学は名称を一橋大学と変え、単科の大学から4つの学部をもつ社会科学系総合大学となりました。一橋大学はそのよき伝統を踏まえて、その後も日本を代表する大学として発展を続け、今日に至っています。
 以上が概略ですが、とくに注意していただきたいのは、本学が1887年に高等商業学校となったということです。高等商業学校は、Commercial Collegeと英語で表記されました。これは、ハイレヴェルのビジネススクールとなったということを意味します。その当時、純然たる高等商業教育機関は、パリの高等商業学校(1881 年設立、現在のHEC経営大学院=HEC Paris)、ベルギーのアントワープ高商およびわが高商の3校しかありませんでした。後にドイツでは商科大学が設立されるのですが、その際に東京の高商をひとつの模範とした、という話がドイツの学者によって伝えられています。
 大学の中の専門的ビジネス教育機関としては、アメリカで1881年にペンシルヴァニア大学にウオートン・スクールが、1898年にシカゴ大学、カリフォルニア大学に商業カレッジ(College of Commerce)が設置されています。また、同年、ドイツにライプツィヒ商科大学が生まれます。イギリスでも1902年にバーミンガム大学にアシュリーを教授として商学部が創設されました。1902年は日本にも神戸に二つ目の高等商業学校が設置され、本学が東京高等商業学校と名称を変えたことはすでにお伝えしました。
 一橋が高商の本科の上に専攻部という大学レヴェルの教育部門を創ったのは1897年ですから、たしかに先駆的です。現在、一橋大学は、ここで名前をあげたパリHEC経営大学院、ペンシルヴァニア大学、カリフォルニア大学、バーミンガム大学と学術・学生交流協定を結び、毎年学生の交換をするなど活発に交流しています。伝統のなせる業です。
 東京高等商業学校は福田徳三や三浦新七など多くの俊英を育てていました。すぐに大学にならなかったこともあって、この俊英たちは東京商科大学を創るにあたって、それをただのビジネススクールにはしないと考えました。大学昇格直後の本科に入学し、翌年から福田ゼミに参加した中山伊知郎先生(初代一橋大学長)は当時のことを次のように述べています。

「その時分の商科大学の理念の中には、経済学を中心にして、もっと広い意味の社会科学、あるいは人文科学--社会科学というより、むしろ人文科学といった方がいいと思うんですが、哲学であるとか、文学であるとか、そういう方面に広げていこうという意図が非常にはっきりしておったと思う」

 東京商科大学は、技術的な商学の上により根本的なものを求める動きをもっていました。商学の学府としての伝統は確立し、帝国大学にない「実学」の優位は自他ともに許すところとなったのですが、Commercial Collegeを超えることが目標とされました。東京商科大学は英語で自身のことをTokyo University of Commerceと呼びました。これは奇妙といえば奇妙な英語なのですが、一橋は明らかに College でなくUniversity を目指していました。哲学、人文科学への強い傾向をもった商業教育ということです。このようなビジネス教育の最高学府は国際的にみてもきわめてユニークな存在でした。言葉の矛盾にもかかわらず Tokyo University of Commerce がこの時期に有為な人材を多数世に送り出すことができた要因のひとつはこれでした。その伝統の上に、いまの一橋大学は立っています。
 したがって、私はみなさんに専門の社会科学を学ぶのはいうまでもなく、同時に、いわゆるリベラルアーツと呼ばれるものについても大いに学んでほしいと考えています。実は一橋大学の校章はそのことを象徴的に伝えています。一橋大学の校章はメルクリウス(マーキュリー)の杖を図案化したもので、東京商業学校が高等商業学校となった1887年ころに考案されたと言われています。中央のCCはCommercial Collegeの略です。実はこのメルクリウスとリベラルアーツとは深い結びつきをもっています。そのことについて、簡単にお話ししておきたいと思います。
 リベラルアーツというのは自由学芸と訳されることもあります。私はこの言葉の方が好きなので、以下は自由学芸と呼ぶことにします。実は、自由学芸という考え方は古代ギリシアから、言葉としてはローマの時代からあるのですが、中世ヨーロッパにおいて確立しました。中世は全時代を通じて、自由学芸こそが知識の基礎、柱であり、その上に、神学や法学など専門的学問が成立すると考えられていました。この自由学芸という考えはいまも生きた言葉なのですが、この用語法が確立したのはある人物のある著作によるものでした。それは、カルタゴ生まれの弁論家マルティアヌス・カペッラ(Martianus Capella・365年頃~440年頃)の『フィロロギアとメルクリウスの結婚』です。このメルクリウスこそ、わが校章のメルクリウスです。メルクリウスはラテン語で、マーキュリーはその英語名です。
 この話は次のようなものです。メルクリウスは最高神ユピテルの子で、成長して、天上の神々が多くの子供たちに恵まれた幸せな結婚生活を送っていることに誘発されて、自らも結婚することを望みます。メルクリウスは自分にふさわしい女性を探し、2,3の女神と結婚しようとするのですが、断られました。やむなく兄のアポロに相談した結果、兄は気高く博識の乙女フィロロギア(文献学)を勧めます。メルクリウスは喜び、アポロのこの提案はユピテルとその妻ユーノーにも認められました。二人はめでたく結婚式を行うことになります。結婚式冒頭の婚礼贈与のセレモニーでメルクリウスはフィロロギアに自由七学芸を意味する7人の侍女を贈与しました。この7人とは文法学、論理学、修辞学、幾何学、算術、天文学、音楽の寓意です。 ヴァチカンに残されていた15紀のある写本に描かれていた彩画はそれぞれの特徴を示しています。

①文法学の寓意:子供の間違いを罰するための懲罰棒を持っています。
②論理学の寓意:聡明のシンボルである蛇と草の陰に隠れている真理といった意味での花を持っています。
③修辞学の寓意:弁舌のための武器を持っています。
④幾何学の寓意:運動、時間、重さをコントロールします。
⑤算術の寓意:手に鍵を持っています。
⑥天文学の寓意:手に天球の図(宇宙の表現)を持っています。
⑦音楽の寓意:楽器を演奏しています。

 ちなみに、この結婚式には建築術と医術も出席していました。しかし、二人は終始押し黙り、自由学芸から切り離されることが暗に伝えられています。これは、キリスト教の進出によって神の作られた宇宙の秩序や精神性との関連性が重視されてきたことを示しています。カペッラは神学の基礎となる学問として自由学芸を考えていたのです。また、より根本的なこととして、メルクリウスは雄弁(知性)を、フィロロギアは理性(学習)を寓意しているといわれています。この二つの結合がギリシア以来の教育の理想とされていたので、このような題の著作が書かれたと思われます。
 メルクリウスはいうまでもなく商業の神です。しかし、それだけではありません。昨年の入学式で、私はメルクリウスに平和の守護者という解釈を示しました。たとえばボッティチェッリの「プリマヴェーラ」に登場するメルクリウスはその意味を帯びている、というものです。なぜなら、この絵に登場するメルクリウスはカドゥケウスつまりメルクリウスの杖を持っており、これは平和を象徴するものだからです。
 ところで、その少し前に、ボッティチェッリは「自由七学芸に導かれる若者」などと題された興味深い絵を描いていました。この絵をどう解釈するかは必ずしも明確ではないのですが、一説にはヴィーナスが若者の手を引いてきて、自由七学芸に会わせているといわれます。また、自由七学芸の中の入門にあたる文法学が若者の手を引いて導き、自由七学芸とともに中央に坐している「知慮」(あるいは哲学)に引きあわせている、という解釈もあります。後者の解釈の場合、向かって左から巻物を持っている修辞学、さそり(蛇)を持っている論理学と並んで、書類を持っている三人目が算術なのですが、この算術が若者に目をあわせて手をさし出しているように描かれています。これはすでに文系の3学を済ませた若者にまず算術から理系の4科へと進むように暗示しているように見えます。理系の知識もまた真の「知慮」をもつには不可欠なのです。
 ある学説では、ボッティチェッリの有名な「プリマヴェーラ」は、『フィロロギアとメルクリウスの結婚』を基にして、雄弁と知性の寓意であるメルクリウスが、中央に配置されたフィロロギア(一般にヴィーナスと考えられている)との結婚について助言を求めているありさまを描いたものだ、と解釈されています。この解釈は正直いってかなり無理があるように思えます。しかし、ボッティチェッリが『フィロロギアとメルクリウスの結婚』を知らなかったわけはないので、メジチ家のロレンツィーノの結婚を祝うために描いたとされる「プリマヴェーラ」にメルクリウスを登場させているのにはそれなりの意味があったのかもしれません。
 メルクリウスが雄弁を象徴するのは、彼が神ユピテルの名代として使者となり、天界と冥界を行き来し、相手を説得することを使命としていたからです。だからメルクリスはしばしば羽をつけて登場します。カペッラがなぜメルクリウスを題材としてその作品を書いたかというと、彼自身が雄弁家で、メルクリウスを守護神のように考えていたからだと私は思います。
 カペッラの世界ではメルクリウスは雄弁(知性)を、妻のフィロロギアは学習を含意しました。メルクリウスが妻となる女性に贈り物としてささげたのが自由七学芸だった、ということは、まず学習しなければならないのは自由七学芸で、その基礎の上に知性と雄弁が成り立つと彼が考えていたからではないか、と私は理解しています。メルクリウスにとって、自由七学芸を備えたフィロロギアは不可欠なのです。
 雄弁とは相手や人々を説得するものです。武器ではなく、言葉で人々と対峙し、諸問題を解決することを目指します。メルクリウスはその意味でも商業だけでなく、平和に尽くす存在なのです。しかし、そのためには理系の基礎を含む自由学芸の素養が必要です。その素養が知性に深みと広がり、創造性と温かさを与えてくれます。『フィロロギアとメルクリウスの結婚』はそのことを暗示しています。一橋大学にとって、メルクリウスは大学の象徴であり、社会科学の暗喩です。一橋大学で社会科学を学ぶものはすべからく自由学芸つまり豊かな教養を身に付けなければならない、と私は思います。私はそれを「教養ある社会科学的理知」と呼んでいます。みなさん、どうか高い志をもった「教養ある社会科学的理知」を目指してください。
 最後に付け加えておきたいことがあります。東京高等商業学校の危機であった申酉事件やその後の推移をみて、単なる親睦ではなく、母校を支援することを重視する同窓会組織として如水会が創られました。その年は1914年です。したがって、今年は如水会創立100周年に当たります。私は、ここで如水会の100周年を心から祝したいと考えますが、その本拠地である一ツ橋の如水会館ビルの三階の庭園にジャン・ボローニアの有名なメルクリウス像に基づいて創られたメルクリウスが展示されています。庭園はテラス・メルクリウスと名付けられています。今年も如水会はみなさんを如水会館での歓迎会に招待してくれることになっています。招待を受け、ぜひそこにも足を運んでください。そして、「教養ある社会科学的理知」を目指して勉学に励むことをメルクリウスに誓ってきてください。みなさんはすべからく「メルクリウスの末裔」だからです。
 以上をもって私の式辞とさせていただきます。御清聴感謝いたします。

Share On