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平成25年度学部入学式における式辞

2013年4月2日

平成25年度学部入学式式辞  プリマヴェーラ

一橋大学長 山内進

 みなさん、一橋大学に入学おめでとうございます。また、本日この場に参加されている保護者、ご家族、ご親族などの方々にも、来賓のみなさまや一橋大学教職員とともに、心よりご入学をお祝い申し上げます。

 一橋大学は今年で創立138周年を迎えます。明治8年、1875年に商法講習所として銀座尾張町、現在の松坂屋百貨店がある場所で授業が始まりました。いまでも、そこに発祥の地碑があります。明治の啓蒙思想家として著名な森有礼が、武力ではなく、ビジネスで西欧諸国と対等に戦い、競える人材を育てるために、ここに商法講習所を創設したのです。森は開学の二か月後に中国の特命全権公使となって中国に赴任したため、その後をゆだねられたのが東京会議所会頭の渋沢栄一でした。みなさんご存知のように渋沢栄一は日本資本主義の父といわれる存在で、その後、陰に日向に商法講習所を育むことにつとめました。渋沢や勝海舟、三井物産社長の益田孝、日本銀行副総裁の富田鉄之助などのバックアップをうけて、商法講習所は木挽町に移り、公立の東京商業学校となり、さらに国立の高等商業学校、東京高等商業学校そして東京商科大学となり、日本における世界的レヴェルのビジネススクールとなることに成功しました。東京商科大学は第二次大戦後、一橋大学となり、社会科学全般をその教育研究の対象とすることになりました。一橋大学は現在、世界でも有数の社会科学系研究総合大学として活動し、ソウル大学をはじめとする世界の優れた大学と豊かなネットワークをもち、優れた研究と有意な人材を世に送り出しています。

 このような歴史のなかで、本学にとって節目となる時期がいくつかあります、そのうちの一つは府立の商法講習所が農商務省所管の国立の東京商業学校となったことです。これは日本で最初の国立の商業学校でした。いわば国が商業学校の必要性を認めたことを意味します。その翌年、もう一つの重要な出来事が起こります。1884年に駐英公使の任を終えて帰国した森有礼が1885年に東京商業学校を文部省の所管に移し、さらに神田一ツ橋にあった東京外国語学校と合併させ、名称もそのまま東京商業学校としたことです。東京商業学校は木挽町から一ツ橋に移りました。商法講習所は創設から10年目に一ツ橋に本拠地を移しました。そして、その2年後の1887年に東京商業学校はワンランク上の国立の高等商業学校となります。これはもちろん、日本最初の高等商業学校でした。

 ハイレヴェルの高等商業学校というのは当時の世界でも数多くありませんでした。いまをときめくハーバードビジネススクール(これは大学院ですが)ですら、1908年に設立されたにすぎません。もちろん、アメリカに商業学校はいくつもありましたが、それは決して国際的ビジネスマンを養成するというレヴェルのものではなく、実務のできる事務員養成校でしかありませんでした。むしろ、当時、最先端をいっていたのは、アンヴェルス(アントワープ)の高等商業学校でしたが、これですら設立年は1852年でした。アンヴェルス高等商業学校と同じレヴェルのものはパリの高等商業学校だけでした。パリの高等商業学校は1881年にパリ商工会議所によって作られ、現在のパリHEC経営大学院として世界でも有数のビジネススクールとなっています。本学はその日本で最初の学術、学生交流協定校で、いまも非常に緊密な関係にあります。2010年にはベルナール・ラマナンス学長が本学の学部入学式においてこの兼松講堂で記念講演をしてくださいました。

 さて、東京商業学校は、高いレヴェルの商業教育を行うためにアンヴェルス高等商業学校の卒業生であるアルテュール・マリシャルを1886年に採用していました。このマリシャルの助けを借りて、高等商業学校は独自の校章を作成することになりました。それがマーキュリーです。

高等商業学校校章

 これについて、本学のホームページでは次のような説明が与えられています。

一橋大学の校章「マーキュリー」の由来

 一橋大学の校章「マーキュリー」は、ローマ神話の商業、学術などの神メルクリウス Mercurius(英語名マーキュリー Mercury、ギリシア神話のヘルメス Hermes に対応)の杖を図案化したものです。 2匹の蛇が巻き付き、頂には羽ばたく翼が付いています。 蛇は英知をあらわし、常に蛇のように聡く世界の動きに敏感であることを、また翼は世界に天翔け五大州に雄飛することを意味しています。

 東京商業学校が高等商業学校に昇格した明治20(1887)年頃に、ベルギーのアンヴェルス(アントワープ)高等商業学校出身の教師アルテュール・マリシャル Arthur Marischal (1857-没年不詳)と教頭成瀬隆蔵の発案により制定され、一般の商業学校とは区別される「高等」商業学校の特別な地位を示す Commercial College の頭文字C・Cが添えられています。

 2004年4月1日の法人化を契機に、ユニバーシティ・アイデンティティの確立の観点から校章として2005年に商標登録をおこないました。

 私はここで本学の歴史の話をひとまず離れて、これから、このマーキュリー、つまりメルクリウスの杖についてお話したいと思います。というのも、メルクリウスはもちろん商業の神なのですが、実はその他にもいくつかの重要な役割をもつと同時に、その杖にも大切な意味づけが与えられているからです。私は、そのことに注意を促して、みなさんに一橋大学の使命についてお伝えしたいと考えています。

 まず、画面を見てください。

ボッティチェッリ:プリマヴェーラ(春、1482年ころ)

 これは、ボッティチェッリのプリマヴェーラ(春、1482年ころ)という作品です。これについては多数の解説がありますが、ごく一般的に語られるところによりますと、「プリマヴェーラ(春)」という名前は通称のようで、何をあらわそうとして描いたかは不明とされています。いろいろな学者が様々な意見を述べているようですが、とにかく画面の説明をすると、右手にいるのは西風をあらわすゼフュロス神、それからニンフ(森の妖精)が描かれています。その隣に正面を向いて立っているのが、ゼフュロスの愛を受けて変身した花の女神フローラです。中央に立っているのがおそらく主役である愛の女神ヴィーナスです。その上に浮遊して、まさに矢を射ようとしているのが子のキューピッドです。その矢の先にはヴィーナスの侍女である3美神がたたずんでいます。春爛漫という言葉がありますが、まさに愛と美が爛漫とする春を思わせます。入学早々の学長式辞で、このような少しドキッとさせられるような絵を映し出されて、皆さんも少し驚いているかもしれませんが、一橋大学はスマートでリベラルな大学です。そんなものかと思って話をきいていてください。

 ヴィーナスは身ごもっているようにも見えます。このことから、ボッティチェッリは、フィレンツェの支配者であったメジチ家のロレンツィーノの結婚を祝して、この絵を描いたのではというのが有力な説のようですが、問題は、画面に向かって左側に青年と思われる人物がひとり描かれていることです。

 この人物がメルクリウスつまりマーキュリーなのです。メルクリウスはなぜここにいるのでしょうか。

ボッティチェッリ:プリマヴェーラ(春、1482年ころ)  この人物がメルクリウスであることは確かです。なぜなら、彼が右手で何かをもって何かを払っているように見えますが、その手にもっているものが「メルクリウス(マーキュリー)の杖」つまりラテン語でカドゥケウスだからです。彼が何をしているのかについてはやはり諸説があって、判然としません。私はいくつかある解釈の中から、ひとつを選びたいと思います。それは、カドゥケウスで払おうとしているのは雲、暗雲だ、というものです。ヴィーナスがたたずんでいる春の園は光と花にあふれ生命の息吹と平安のなかにあります。この春の園に影を落とそうとしているのが雲なのです。メルクリウスはこの雲を追い払うことによって、春の園の平和を守ろうとしているのです。メルクリウスがそうしているのはなぜなのか。そしてその役割をなぜメルクリウスが果たそうとしていると解釈できるのか。みなさんはそう疑問を持つと思います。そのことを説明するために、もう一枚の絵を見てください。

ボッティチェッリ:プリマヴェーラ(春、1482年ころ)

  この絵は、やはりフィレンツェにあります。「プリマヴェーラ」のあるウフィツィ美術館ほど有名ではありませんが、やはりすごい作品を多数抱えているピッティ美術館に所蔵されているもので、ペーテル・パウル・ルーベンス作の「戦争の惨禍」と呼びならわされているものです。だいぶ雰囲気が違いますね。この絵についてもいろいろな解釈があるのですが、とにかく配役を見てみましょう。

 中央にいて兜をかぶり、楯と血染めの剣を手に持っているのは戦争の神マルスです。マルスの、向かって左側にいる裸婦がヴィーナスです。先ほどの、あのヴィーナスです。ヴィーナスは実はマルスの愛人でした。キューピッドもそばにいますね。ヴィーナスは抱擁してマルスを止めようとするのですが、マルスは止まりそうもありません。マルスの右側にいてマルスを引っぱっているのは、復讐の女神アレクトです。アレクトのそばには「疫病」と「飢餓」を意味する怪物たちがいます。地面には腕に子どもを抱いた母親が横たわっていますが、これは多産性と母の愛が戦争によって蹂躙されていることをあらわしています。右端の下で倒れているのは建築家です。これは、建築物が戦争によって廃墟とされることをあらわしています。画面左側の黒い服を着た女性は宝石やあらゆる装身具を奪われていますが、これは長年にわたって掠奪、非道、悲惨に痛めつけられてきた「ヨーロッパ」を寓意しています。

 「戦争の惨禍」はおおむねこのように解説ができます。この解説にはけっこう自信があります。なぜなら、ルーベンス自身が手紙でそう書いているからです。もっとも、どう見てもメルクリウスは描かれていません。それにもかかわらず、私がこの作品を挙げているのには、もちろん理由があります。この絵の下のほうに注意を払ってください。マルスがふみつけているものがあります。一冊の本です。マルスが学芸を蹂躙するという意味です。また、向かって左側の下をみると、紐のほどけた矢があります。

ボッティチェッリ:プリマヴェーラ(春、1482年ころ)

 そして、その矢の横に、とルーベンスは手紙に書いています。

「『平和』の象徴であるカドゥケウス〔メルクリウスの杖〕……がありますが、やはり横に投げ捨てられています」(中村俊春、『ペーテル・パウル・ルーベンス 絵画と政治の間で』三元社、2006年、288頁)。

 ルーベンスは、カドゥケウス(メルクリウスの杖)を「平和の象徴」と伝えています。そうなのです。メルクリウスの杖は実は平和の象徴でもあるのです。先ほどのボッティチェッリの絵に描かれていたメルクリウスが春の園の暗雲を払っている、という解釈ができるのは、そのためなのです。「プリマヴェーラ」と「戦争の惨禍」は160年ほどの時間をおいているのですが、ヴィーナスを軸として、まるでポジとネガの関係にあるかのようにすら見えます。「プリマヴェーラ」で悠然として雲を払い春の園の平和を守ろうとしていたメルクリウスは、「戦争の惨禍」ではまったくその姿を見せません。あるのはカドゥケウスだけです。メルクリウスはもはや存在しないのです。時は30年戦争の時代でした。

 メルクリウスの杖がなぜ平和の象徴とされるのかについては、もういちど校章をみていただくとよいかと思います。

高等商業学校校章

 そこには2匹の蛇が描かれていますが、蛇は互いに離れています。メルクリウスのもととなっているギリシア神話のヘルメスが2匹の蛇の喧嘩を杖で分けて仲裁したため、二匹の蛇がヘルメスの杖に巻きつき、互いに相離れ、平和がもたらされたといわれています。そのことから、カドゥケウスが平和の象徴となったのです。したがって、メルクリウスは当然、ボッティチェッリが示したように、平和の守護者ともいえるのです。

 メルクリウスには翼があります。これは彼が神々の伝令とされたためです。カドゥケウスは使者の証明でした。メルクリウスはこのことから商業だけではなく、通信・交通の神でもありました。このことを重視し、われわれは情報化時代の先駆的担い手となることを目指すべきだ、と私は考えています。しかし、同時にまた、一橋大学の校章がメルクリウスの杖であるということの意味をもっと自覚すべきではないかとも考えています。メルクリウスの杖は平和の象徴です。一橋大学は平和を維持し、守ることのために努力しなければなりません。本校の研究教育憲章は、「一橋大学は、日本及び世界の自由で平和な政治経済社会の構築に資する知的、文化的資産を創造し、その指導的担い手を育成することを使命とする」と謳っています。メルクリウスの徒であるわれわれは、なによりも平和な政治経済社会の構築に尽力しなければなりません。

 入学したみなさんが、本学のこのような使命を理解し、自覚し、自身のためだけではなく、日本と世界の通商と平和に貢献する指導的担い手となることを期待して、私の祝辞とさせていただきます。

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