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平成23年度学部入学式における式辞

2011年4月18日

大学で学ぶということ

新入生のみなさん、入学おめでとうございます。また、新入生のご両親などご家族の方々にも、来賓のみなさまや一橋大学教職員とともに、心より入学をお祝い申し上げます。

私たちは最初に黙祷をいたしましたが、みなさんは大変な年に入学されました。自然災害の多い日本でもきわめて稀なほどの大災害が起こりました。みなさんの中にも直接、被害に遭われた方もいるかもしれません。多くの貴重な生命と財産が失われました。政治も経済も混迷の度を深めています。私たちはこのようなときにどうすればよいのでしょうか。そう問わざるをえません。私はみなさんに、このような時代だからこそ大学でしっかり学び、考える力を身につけ、世にでて自分のみならず、社会のために働き、活躍してください、ということを強調したいと思います。

大学で学び、そこで得た力を具体的問題の解決のために生かしてください、ということを私はいま申し上げました。それでは、「大学でしっかり学び、考える力を身につける」とはどのようなことでしょうか。おそらく、これにはたくさんの方法があり、ひとつの正解というものはないと思います。ただ、私は参考になるお話を伝えすることはできます。この話は、「一橋大学で学ぶ」ということの意味を考えるうえでも有益です。

1992~98年に本学の学長をされていた阿部謹也先生の著作のなかに『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫、2007年)という本があります。西洋社会史の碩学であった先生が若い人たちのために書いた作品です。そのなかに大変印象的な場面があります。阿部先生がまだ一橋大学の学生の頃に、卒業論文のテーマに迷ってゼミの先生に相談するところです。ゼミの先生の名は上原専禄といいます。1947年から1949年まで一橋大学の前身である東京商科大学の学長をされていたドイツ中世史の権威でした。いろいろ相談しているうちに、上原先生はふとこういわれたそうです。

「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」。

たいへん含蓄のある、簡単そうで非常に難しい要求です。阿部先生も当然、卒論でそれを見つけることはできませんでした。しかし、「そのような方向で一生その問題を探し続けるという姿勢のようなものはできたように」思うと書かれています。たしかにそうです。テーマは簡単には見つかりませんが、そのための「姿勢」を持とうとすることは大切です。人は「姿勢」がなければ、浮遊します。みなさんも一橋大学では、まず「姿勢」をもつように努めてください。

もうひとつ興味深い話があります。上原先生はゼミナールで学生が報告すると、「それでいったい何が解ったことになるのですか」と問いかけたそうです。「解る」というのはどのようなことを指しているのでしょうか。これも難しい問題です。阿部先生がどう考えていたかは『自分のなかに歴史を読む』で多くの頁を割いていますので、みなさんは直接読んでください。この本は、一橋大学の知的伝統というものを感じさせてくれる書物でもあるので、一橋大生必読の書といってよいと私は思います。

さて、その「解る」ということとの関連で、私も自分の学生時代のことを思い出すことがあります。私は西洋法制史といって、法哲学や比較法などとともに法を原理的に考える学問のゼミに属していました。実務や司法試験にはほとんど縁がないのですが、私もその頃、憲法や民法などもう少し法学部らしい分野にも関心がありましたから、進路に少し迷っていました。ある日、ゼミが終った後にひとり残ってゼミの先生に尋ねました。私は要するにこう質問しました。「民法などと比べて、法制史はあまり役に立たないような気がします。歴史を学ぶ意義というのはどのようなものでしょうか」。法制史の偉い先生をつかまえて、ずいぶん不躾な質問をしたものですが、先生は怒ることなく、「うーん」とひと呼吸おいて、こういわれました。

「歴史学に関する書物は、E・H・カーの『歴史とは何か』をはじめとしてたくさんある。それを紹介しても良いし、歴史の意義というものを並べてもよいけれども、君はきっとそれでは納得しないと思う。それで、仮に、仮にだよ、歴史というものがまったくないという状態、歴史の書物がまったくこの世にないとしたら、どうだろう。君はどう感ずるかな。」

>みなさんは、どうでしょうか。この世に歴史というもの、歴史書というものがないとすると、みなさんはどう感じられますか。私は、一瞬、心の中に空白というか、虚無というか、そんなものができたような気がしました。なんとも頼りない感じです。先生は、私の心の中が見えるかのように言われました。

「君の心のなかに、なにかぽっかりと空きがでたような感じがするなら、君にとって歴史は学ぶ意義がある。なにも感じない、平気だ、というのであれば、歴史を学ぶ必要はない。もっと、ほかの勉強をしたほうがよいでしょうね。」

私はそのとき、解りました。歴史を学ぶことが私には必要なのだ、ということを。私は心からそう思いました。「解る」というのはそういうことです。

ゼミの先生の名は勝田有恒といいますが、すでにこの世にありません。しかし、私は毎日のように勝田先生のことを思いおこします。それには理由があります。先生は退職された後、本学の同窓会である如水会のある支部の支部長をされていました。その支部の50周年を記念して、先生は大学に記念の植樹をしたいので取り次いでほしいと私に頼まれました。首尾よく植樹をした日に、先生は上機嫌で私を呼び出しました。そこには、小さな苗木と堂々とした石がありました。石には麗々しく「はなみずき」という樹木の名前とその支部の名前が書かれていました。「先生、これでは石のほうが大きいではありませんか。」といいかけましたが、「なかなかいいだろう」とにこやかにいわれて、私は言葉を飲み込みました。私はいま、その立派な石の前をほぼ毎日通ります。「はなみずき」と彫られたその石を見るたびに、私は先生のことを思い出します。

この「石」は物ですが、私にとっては、ただの物ではありません。もっと大切な何かです。私はこの点でどうも過去の人々とつながっているような気がします。なぜなら、昔の多くの日本人にとって、物とはしばしばそのような存在だったからです。『中世の罪と罰』(網野/笠松/勝俣/石井、東京大学出版会、1983年)という本によりますと、日本中世では、民衆は「ぬすみ」に対して厳罰を課すことを望んでいました。鎌倉幕府などはむしろ「ぬすみ」については盗まれた物の価値に相応する処罰で済ませようとしていました。権力は軽い罪で窃盗を処理しようとしていたのに、民衆は逆のことを望んでいたわけです。何か反対のような気がするのですが、これはなぜでしょうか。窃盗はそれ自体で「穢れ」をもたらす、と人びとが考えていたからです。権力は合理的に物事を処理しようとしたのですが、民衆にとって「もの」は単なる「もの」ではなかったのです。長く家に伝わり、いとおしく身につけたものには所有者の「たましひ」が含まれると考えられました。ですから、窃盗は「たましひ」を奪う行為なのです。したがって、物の財産的価値とは無関係に、「たましひ」を奪う行為に厳罰を下すべきだ、と人びとは考えたのです。

私が「はなみずき」と書かれた「石」を見て、ただの石と思えないのは、そのような心のありかたとどこかでつながっています。おそらく、日本人の多くはいまもそのような感覚を多少なりとももっています。震災などで大切な物を失うのは、単に財産を失うというだけのことにとどまりません。それは、もっと人々の心の奥底に迫る出来事なのです。そして、実は、このような心と物のかかわりは過去の日本やそれにつながる今の日本だけでなく、過去のヨーロッパ、古ゲルマンや古スカンジナヴィアの人びとの間にも見出されます。

この時代、この地域の人びとの財を得る主要な手段は戦争の際の掠奪でした。彼らは奪うために戦いました。そして、奪った富を盛大に浪費するのがよいこととされていました。惜しげもなく蕩尽する、それが盛大であればあるほど、威信が高まるとされていました。残しておいて後からまた利用するなどというのは立派な人間のすることではないというわけです。ところが一方で、彼らは奪った富を地中に隠しておくという習慣をもっていました。なにか矛盾しているように思えます。ところが、そうではありません。

ロシアの歴史家であるアーロン・グレーヴィチ(川端・栗原訳『中世文化のカテゴリー』、岩波書店、1992年)によれば、財宝を埋めたのは人が後から使うためではありませんでした。むしろ、財宝は回収できないようなところに隠されていました。当時の人びとの考えでは、「所有している財宝」は、その人の「個人的な資質」とその人の「幸福と成功」との「結晶」でした。逆にいえば、「財宝を失うということは滅びること、その所有者の最も重要な本性と武運を喪失すること」を意味していました。力ある者が財宝を隠そうとしたのはそのためです。こうして、奪ったものは再生産にまわされず、消費されるか、「秘宝」へと姿を変え、時として「呪術的な作用」をおよぼすことにすらなったのです。

経済のあり方、物に対する考え方がいまと大きく異なるわけです。逆にいえば、ではなぜ、どのようにして、いまのようなあり方がでてきたのか、私たちはそれを知りたくなります。それを知らなければ「解った」気にはなれません。いうまでもなく、簡単に「解る」はずがないので、私たちは、過去と現在、日本とヨーロッパ、時には他の地域の間を繰り返し行き来しなければなりません。それが「考える」ということです。

もちろん、忘れてならないのは、考えるためには「学ぶ」必要があるということです。知識とスキルは学ばなければつきません。考えるには知識とスキルが必要なのです。私たちは多くのことを学ばなければなりません。そのうえで、はじめて本当に考えることができるようになります。一橋大学はその二つを大事にしてきました。授業で学び、ゼミナールで考える。もちろん、考える授業もたくさんありますが、まず学ぶことが不可欠です。ゼミで先生と皆さんは対話し、考えることを繰り返すはずです。その伝統は脈々と受け継がれてきました。「一橋大学で学ぶ」ということは、そのようなことなのです。

私が例として挙げたのは、歴史を学び考える際の一つのスタイルとその流れですが、同じような流れは、もちろん商学部、経済学部、法学部、社会学部のそれぞれの専門領域に確固として存在します。その豊かな流れがいまの一橋大学をつくっています。一橋大学は135年の歴史の中でそれぞれの分野にふさわしい方法で「学び、考える」スタイルを培ってきました。そして、そのようにして心と頭を鍛えた多くの有為な人材、とくに本日祝辞をいただく松本正義住友電気工業株式会社社長のようなキャプテンズ・オブ・インダストリーを世に送り出し、日本社会と経済の発展に多大な貢献をしてきました。

一橋大学はいま「スマートで強靭なグローバル一橋」のテーゼのもとに、「スマートで強靭なグローバルリーダー」の育成を目指しています。そのためにさまざまな施策を用意しています。とくに、英語はリーダーとして活躍するための不可欠のツールですから、その力を強化することにいっそう精力を注ぎます。みなさんも、しっかり学んでください。と同時に「姿勢」と「考える力」を身につけてください。新しい状況や危機的な状況に面して的確な判断を下すには、「姿勢」と「考える力」が必要です。答えが用意されていないときには、自分のスタイルで、自分で考えるしかないからです。それができるのがスマートつまり賢明ということなのです。そして、このように自分を鍛えていくことで、人は強くなります。強靭になるためにも、考える力をつけてください。

みなさんのこれからの4年間が充実した、素晴らしいものになることを期待して私の式辞を終えさせていただきます。

一橋大学長 山内 進

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