一橋教員の本

日本の刑罰は重いか軽いか

 
 

日本の刑罰は重いか軽いか

 王雲海
集英社   2008年4月刊行
ISBN:9784087204384   本体720円+税
 刊行時著者所属:王雲海(一橋大学大学院法学研究科)

著者コメント

いまの日本では、司法改革が行われている。そのなかで、日本の刑罰の軽重などが国民的関心事になり、大いに議論されている。本書は、この問題に答えるべく、米国や中国との比較で書かれたものである。
まず、方法論として、犯罪とは行為と反応との統一体であり、刑罰とは見える刑罰と見えざる刑罰の二つの部分からなること、刑罰の軽重を云々するときに、この両方から見るべきこと。グロバール化とローカル化が進んでいるいまの世界で犯罪刑罰の問題も比較的に見る必要があり、比較法は異なる国々の刑事法の間での「横」的比較だけでなく、それぞれの法とそれぞれの社会の関係での「縦」的比較も必要で、その両方のなかで行われるべきこと。A対Bという「二極」的比較よりA対B対Cという「三極」的比較が物事をより多く見えることを提示する。
次に、以上の方法をもって、一方では、米、中、日における死刑、経済犯罪、薬物犯罪、刑事裁判の刑事法上の意義を比較して、日本の刑罰は決して重いとは言えない結論を示す。他方では、米、中、日における犯罪の範囲、法適用の厳密さ、刑務所での行刑、刑事裁判の社会的意義を比較して、日本の刑罰は決して軽いとは言えない結論を示す。一見して矛盾に見えるこれらの結論は、「日本の刑罰は重いか軽いか」より、むしろ、日本の刑罰の特徴がどこにあるかを問うべきことを暗示していること、中国の刑罰の特徴は「狭くて深い」(犯罪とされる行為の範囲は狭いが、一旦犯罪とされたら刑罰が極めて重い意味)で、米国のそれが「二分化する」(犯罪類型により異なる対応をする意味)であるのに対して、日本の刑罰の特徴は「広くて浅い」(犯罪とされる行為の範囲が極めて広範囲であるが、しかし、犯罪と言っても、それに対する刑罰が軽い意味)である。これらの違いをもたらしたのは、中国は権力を原点とする社会で、米国は法律を原点とする社会であるのに対して、日本は文化を原点とする社会であるからである。
最後に、刑罰の軽重の問題は、「力の支配」を本質原理とする民主主義よりむしろ「人権・理性」を本質原理とする法治主義の問題である。刑罰が重いか軽いかというのは、犯罪行為・犯罪状況にもよるものの、それ以上に、主観的問いで、国家、社会、人間が何を理想な社会とするのか、どこまで法治主義を取り入れるかにかかっている。



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